0084.生き残った者
アウェッラーナは、まだ震えが止まらなかった。
彼らが来てくれなければ、どうなったか、考えたくもない。
先程まで、アウェッラーナと少年は、ニェフリート運河沿いの遊歩道で、夕飯用の水と食料を調達していた。
水筒に水を汲み、術で魚を獲る。水筒は、この少年と女の子たち、アウェッラーナの分で合計五つ。力なき民の少年は、荷物持ちとしてついて来てくれた。
帰ろうとしたところ、運河沿いの道を西から来る徒歩の姿が見えた。
二人は他にも生存者が居たことに安堵し、彼らの接近を待った。
「まだ、生きてる奴が居たのか」
「お前さんたち、二人だけか?」
「何してたんだ?」
男たちは、そんな事を言いながら近付く。
「魚を獲ってたんです」
獲れたての魚が、手提げ袋からはみ出した。
彼らは逆光を負うが、こちらの様子は夕日が当たってよく見える。否定しても仕方がないので、アウェッラーナは正直に答えた。
逆光を背負った男たちは、ゆっくり歩きながら羨ましそうな声を返す。
「湖の民……いや、魔法使いってのは、便利なんだなぁ」
「俺たちにも分けてくれないか?」
「袋があれば、それ一杯分、獲れますよ。何かお持ちじゃありませんか?」
アウェッラーナは純粋に親切心から言った。
逆光の中でも、表情がわかる距離に入った。
男たちは笑っている。
それは、同朋に会えた喜びではなく、獲物を見つけた喜びだった。
アウェッラーナは恐怖で足が竦み、動けなくなった。病院でテロリストに襲われた時とは、別種の恐怖だ。
陸の民の少年が、男たちとアウェッラーナの間に入った。
「おっ、何だ? 坊主」
「おっかない顔して」
男たちが一斉に下卑た声で笑う。
……逃げる? どこへ?
野営地へ戻れば、小さな女の子たちに危険が及ぶ。
普段、走ることがないので、長時間逃げ続けるのは無理だ。隠れる場所も殆どなかった。
……戦う?
病院に避難した住民たちが、テロリストと戦う姿を思い出した。【操水】で肺に水を流し込む。
アウェッラーナはこれまで一度も、術で人を傷付けたことがない。半世紀の内乱中ですら、敵兵を手に掛けたことはなかった。
ずっと【跳躍】などで逃げて生き延びた。家族と落ち合う場所は決めてあるが、街が一変した今、そのどれも使えない。
……それに、この子を置いて逃げる訳にはいかない。
アウェッラーナの魔力では、自分一人が逃げるだけで精一杯だ。
野営地へ戻り、加勢……特にあの工員を連れて来れば、勝ち目があるかもしれない。だが、それまでこの子が生き延びられる可能性はあるだろうか。
大人しそうな少年の背は、如何にも頼りない。
みんなの居場所から、この場所に来るまで、片道十分程掛かった。
アウェッラーナと少年は、男たちから目を離さず、じりじりと後退した。
五人の男は、余裕の表情で二人を囲む。
アウェッラーナは、口の中で力ある言葉を呟いた。
「優しき水よ、我が声に我が意に……」
その瞬間、男の一人が飛び掛かった。アウェッラーナの右手を掴み、背側に捻じり上げる。
思わず悲鳴を上げたが、解放されることはなかった。振り解くことも出来ない。
少年は、四人掛かりで殴られた。
「やめて! その子を離してッ!」
アウェッラーナの悲痛な叫びに頓着せず、男たちは少年の髪を掴み、顔面に拳を見舞う。唇が切れ、鼻血が流れ、頬が腫れ上がる。
力ある言葉を唱え、魔力を収斂するどころではない。アウェッラーナには、悲鳴を上げ続けることしかできなかった。
大人しげで、喧嘩の経験すらなさそうな少年だ。
屈強な大人四人に襲われ、勝てる筈などなかった。腹に膝蹴りを入れられ、声もなく倒れた。
「さぁ~て、邪魔者は居なくなった」
「おっかない魔法は、なしで頼むぞ」
男たちは少年を蹴り転がし、アウェッラーナににじり寄る。
「あ……あの、私、癒し手です」
震える声で何とか、それだけ言えた。
男たちは相変わらず、下卑た笑いを浮かべたままだ。
一人が、首に巻いたタオルを外す。アウェッラーナは、二人掛かりで押さえつけられ、汗臭いタオルを口に押し込まれた。後頭部で結ばれ、猿轡をされる。
アウェッラーナは、彼らが癒し手によからぬことをしようとすることに戦慄した。
空襲で全てを失い、自暴自棄になったのか。
アウェッラーナの話を頭から信じないのか。
首から提げた徽章が、薬師の証【思考する梟】では、説得力がなかったのか。
……でも、そんな……もしかして……【白鳥の乙女】を知らない……?
そんな馬鹿なと言う思いと、現在の危機が競合し、思考が乱れる。
「痛ッ!」
男の一人が、顔を押さえて蹲る。続けて、二人、三人と頭を抱えた。
☆術で魚を獲る……「0045.美味しい焼魚」参照
☆病院でテロリストに襲われた時/病院に避難した住民たちが、テロリストと戦う姿……「0010.病室の負傷者」~「0012.真名での遺言」参照




