818.否定しない策
クルィーロは【跳躍】を繰り返し、森の傍の野営地に戻った。
「お兄ちゃん、おかえりなさい」
アマナが真っ先に気付いて迎える。一緒に焚火の番をしていたエランティスも、クルィーロに笑顔を向けた。
レノとピナティフィダが、石を積んだ竈にフライパンと鍋を乗せ、夕飯を作っている。日が傾いた森で雑妖が動きだした。
燃料を買いに行ったDJレーフたちのワゴン車も戻っている。
メドヴェージとモーフが、【耐火】の掛かった燃料用ポリタンクをトラックに積み換えていた。
「メドヴェージさん、トラック乗れる船、十日で一便しかなくって、それも今朝、出港したばかりそうです」
「何だ。そうか。でもまぁ、燃料はたんまり仕入れられたからな。無理して近道しなくていいんじゃねぇか?」
「俺たち、間の街で母さん捜したいんで、近道はちょっと……」
レノが、フライパンを片手に言った。小麦粉とドングリの粉を混ぜたパンは、かなり焼き加減の勝手が違うらしく、難しい顔でフライパンに視線を戻した。
ピナティフィダがスープを掻き混ぜる手を止め、エランティスは兄姉を泣きそうな顔で見た。アマナが、気マズそうに友達から目を逸らし、薪を一本だけ焼べる。
クルィーロも何となく申し訳ないような気がして、幼馴染から逃げるように荷台へ上がった。
ジョールチとアゴーニが奥で額を寄せ合って、西グラナート市で集めた情報を整理している。
「あれっ? 父さんは……」
「隊長さんと薬師の姐ちゃんと一緒に薪拾いに行ったぞ」
「そうですか」
少しホッとして、フェリーの件とポスターを貼ってもらえた場所、キルクルス教の広がりを報告した。
国営放送アナウンサーのジョールチが、難しい顔で手帳を受け取る。
「レーフとアゴーニさんにも調べてもらったのですが、やはり、スローガンの出所は掴めませんでした」
「今はまだ、支部の場所がバレねぇように用心してんだろ。勢力が弱い内にネミュス解放軍の連中に知れたら、潰されちまうからな」
アゴーニが、荷台の奥に積まれた燃料タンクをポンと叩いた。
夕食後、クルィーロは何かいい知恵がないか、みんなに尋ねた。
「フラクシヌス教の教えを改めて広めるったってなぁ……」
キルクルス教徒のメドヴェージが苦笑する。
湖の民のアゴーニが、ぼそりと言った。
「モグリのキルクルス教徒が流行らそうとしてる言葉を否定して回りゃ、こっちが悪モンになっちまうぞ」
「そうだな。なんも悪いことは言ってねぇ。奴らも信仰を否定されりゃ、余計に反発するだろうしな」
メドヴェージの顔から笑いが消えた。
少年兵モーフが荷台を指差し、張り切って言う。
「あの絵本、ラジオのおっちゃんに読んでもらやぁいいんだ」
「それは無理だよ」
「何でだよッ?」
当のジョールチに即答され、少年兵モーフは打てば響く勢いで質問を返した。
「あの本は、ネモラリス建設業協会が出版した物だからね。出版物の朗読は、作者に無断で放送できないんだよ。今は何があるかわからないから、なるべく違法なことはしない方がいいんだ」
「軍や警察に難癖付けられてしょっ引かれて、トラック取られちまったらお手上げだ」
メドヴェージが両手を上げる。少年兵モーフは、何だか納得いかないような顔をしたが、それ以上言わなかった。
「お歌はいいの?」
アマナの質問にDJとアナウンサーが顔を見合わせる。
ややあって、DJレーフが小学生にもわかりやすいように説明した。
「歌は権利関係が色々複雑なんだけど、今ここにあるレコードの曲は、全部大丈夫だよ」
「ふーん、じゃあ、あのおっきいお兄さんが歌ってたのを広めればいいよね」
「ん? あぁ、あの里謡か! まんま、神話だもんな」
クルィーロが、よく言ってくれたと妹を撫でると、アマナは、はにかんで言った。
「アゴーニさんが歌詞もらってきてくれたから、ちゃんと最後まで歌えるし」
「じゃあ、前みたいに歌詞書き写して、何かと交換してもらうの?」
エランティスが聞くと、レノが首を振った。
「これだけ物価が上がってるんじゃ、無理っぽいぞ」
……それに、ラクリマリスと違って、こっちはみんなにそんな余裕がないんだ。
「急いでみんなに知ってもらわなきゃいけないから、ポスター貼らせてくれたとこで、一緒に貼ってもらった方がいいんじゃない?」
ピナティフィダの言葉にジョールチが頷いた。
「それがいいでしょう。ただ、紙が残り少ないので……」
「貼りに行くついでに買って来るよ」
DJレーフが引き受け、ソルニャーク隊長の顔色を窺う。
星の道義勇軍の小隊長は、黙ってお茶を飲んでいたが、静かな声で言った。
「放送当日は、我々が神殿の傍で配ろう。放送前に剥がされたら終わりだ」
「明日、俺らは薪拾いしとくから、いっぱい書いてくれよな」
「ありがとうございます」
DJレーフが恐縮する。
……流石に、神話の歌詞書くのは無理か。でも、手伝ってくれるだけでもスゲーよな。
「頑張っていっぱい書くから、配るのよろしくね」
「お、おうっ。任せてくれ!」
ピナティフィダに言われ、少年兵モーフが耳まで真っ赤になって請け負った。
翌朝早く、DJレーフが里謡「女神の涙」の歌詞を持って西グラナート市に【跳躍】した。夜の間、フラクシヌス教徒のみんなで、残りのコピー用紙全部に書いたものだ。
星の道義勇軍の三人と葬儀屋アゴーニは、護身用の剣を持って森に入り、国営放送アナウンサーのジョールチは、トラックの荷台でニュースの原稿を書く。
残りのみんなは、歌の練習だ。
父がアマナのノートを広げて呟いた。
「挽歌なんだな」
「そう言われてみれば、そうだな」
「父さん、ばんかってなぁに?」
「お弔いの歌だよ」
父の答えに、アマナは神妙な顔で頷いた。
「それでちょっと淋しい曲なの」
燃料を節約する為、練習はアカペラだ。
まずは里謡「女神の涙」、次に新たな歌詞が加わった「すべて ひとしい ひとつの花」。この二曲は同じ旋律なので、父もすぐ歌えるようになった。
平和を呼び掛ける「みんなで歌おう」は原曲の国民健康体操を知っているから、父も歌詞さえ見れば歌える。
七人の歌声が、焚火の煙と共に冬空へ吸い込まれていった。
☆あの絵本……「647.初めての本屋」「659.広場での昼食」「671.読み聞かせる」参照
☆おっきいお兄さんが歌ってた……「577.別の詞で歌う」~「579.湖の女神の名」参照
☆前みたいに歌詞書き写して、何かと交換してもらう……「218.移動販売の歌」参照
☆挽歌なんだな……「女神の涙」の歌詞は「531.その歌を心に」参照
☆新たな歌詞が加わった「すべて ひとしい ひとつの花」……「774.詩人が加わる」参照
☆平和を呼び掛ける「みんなで歌おう」……「275.みつかった歌」参照




