816.魔哮砲の威力
毎日、魔哮砲を食休みさせる間、魔装兵ルベルは【索敵】で偵察を重ね、イグニカーンス基地の配置は頭に叩き込んである。攻撃順は、ラズートチク少尉が考えてくれた。
少尉は【飛翔】の術で地雷原を避け、基地上空から指示を繰り返す。
「小さくなった魔哮砲にどの程度の威力があるか不明だ。試し撃ちも兼ね、まずは管制塔からだ」
「了解」
地雷原と鉄条網を越え、魔哮砲は敷地に侵入していた。
夜に紛れ、地面と同化するように平たく伸びた身を起こさせる。資材置き場の壁を這わせて屋根に上らせた。
魔力を放出させるのは初めてだ。
前任者がどんな言葉で命令していたか、ここ数日、思い出せる限り手帳に書き出し、何度も反芻した。
口がカラカラに乾く。
ベッド脇の小机から水差しを取り、マグカップに注いだ。手が震え、少しこぼしてしまったが、構わず飲み干す。
ひとつ深呼吸して、力ある言葉で命じた。
「起て。口を大きく開けよ」
屋根に薄く広がっていた魔哮砲が波打ち、中心に向かってまとまる。作りかけの陶器の如く、くにゃりと広がり、ひっくり返した傘の形になった。
闇の塊のどこに接触しても、雑妖は溶け崩れて同化する。
ルベルが見た限り、全身が口のようなものだが、魔哮砲自身が思う「口を開いた形」は、パラボラアンテナのようなものだった。
イグニカーンス基地は深夜でも照明が点り、敷地内を明るく照らしている。雑妖の発生を抑える対策らしく、建物の影にも魔哮砲の餌は見当たらなかった。
大型バイク程度の闇の塊が、パラシュートくらいに広がり、動きを停めた。
魔装兵ルベルは、遠く対岸のランテルナ島から、魔哮砲に【索敵】の視覚情報を送った。地下街チェルノクニージニクの宿に居る主と、アーテル本土イグニカーンス基地に居る使い魔は、契約によって霊的に繋がっている。
ルベルは管制塔の建屋、無人機の制御室を見詰めて命令した。
「ここを撃て」
傘型になった闇の塊の中心に魔力が収斂する。細く吐き出された余剰魔力が滑走路上で扇型に広がり、制御室のフロア全体を吹き飛ばした。
両断された建屋の上階がずれ、傾ぎ、斜め後方にゆっくり落下する。管制塔がへし折れ、アンテナやレーダーは瓦礫の下敷きになってひしゃげた。
恐らく、生存者はないだろう。
魔哮砲はふにゃふにゃ脱力し、成形に失敗した陶器のように蹲った。
……えっ? コイツ、意外と賢い?
言葉ではなく、ルベルの視線から意図を汲み、魔力の放射を変えた。
「どうだ? まだ撃てそうか?」
ルベルは使い魔の魔力の流れを探った。
「恐らく、もう一回くらいは、何とかなりそうです。ただ、先程よりも威力は落ちると思います」
言いながら【索敵】の視線を走らせる。夜勤で訓練していたアーテル兵は、制御室ごと吹き飛ばされ、跡形もなかった。
叩き起こされた兵が、兵舎から吐き出される。
消防車輌や重機が広大な敷地を飛ばし、生存者の捜索と救助に向かう。
魔哮砲の聴覚が、長く尾を引くサイレンを捉え、主のルベルにも伝わる。
上空から見下ろすラズートチク少尉が、サイレンに負けぬ声で命令を下した。
「その場から、有人機の格納庫を撃て。魔哮砲は【従魔の檻】で回収する」
「了解」
二人は五本ずつ予備の【従魔の檻】を持たされている。
破壊対象のアーテル軍基地は、陸空合わせて六ケ所だ。
魔装兵ルベルは、【索敵】の視線で有人機の格納庫を示した。
魔哮砲が面倒臭そうにのろのろと向きを変える。ルベルの視線が格納庫内に入り、待機中の爆撃機を捉えた。
機体には、空軍の紋章が描かれていた。楕円軌道に星が散らばるキルクルス教の聖印の中で鷹が飛ぶ、その右下の給油口に視線を定め、命令する。
「撃て」
闇の塊の一部が、押し潰されたボールのように凹み、その中心に魔力が収斂される。放出された魔力の塊は、【光の矢】に似た短い輝きとなって飛んだ。
圧縮された魔力が、格納庫の扉を穿つ。
手前の機を貫き通し、標的に命中した。
一瞬の間。
爆炎が視界を埋め、格納庫内を満たす。
ひしゃげた扉が、滑走路に飛ばされた。
襟元の【花の耳】に少尉の【跳躍】が届き、魔哮砲の聴覚が【従魔の檻】を発動させる声を拾う。ルベルは少尉の手に握られた茶色の小瓶を視線で示した。
「その中に入れ」
魔哮砲は闇の表面に漣を立てたが、抵抗らしい抵抗はなく、小さな瓶に吸い込まれた。
少尉の【跳躍】先、先程まで滞在していた廃ビルに【索敵】を向ける。
侵入者はおろか、魔哮砲が平らげたお陰で雑妖一匹見当たらなかった。
念の為、ビルの全室に視線を這わせ、周辺の様子も窺う。
ビルの谷間もキレイなものだ。
「潜伏先、異状ありません」
「ご苦労。防壁の開門後……午前六時には宿へ戻る」
「了解」
少尉が無事に【跳躍】したのを確認し、【索敵】の術を解く。
腕時計に目を遣ると、午前四時を回っていた。冬の夜明けにはまだ遠いが、約束の時間まで仮眠するには短過ぎる。
部屋の隅の置かれた水瓶から、ほんの少し水を起ち上げ、ハンドタオルを濡らした。ベッドに腰掛け背を丸め、火照った瞼にタオルを押し当てる。冷たさが目の奥へ沁み渡り、思わず息が漏れた。
……何やってんだろ、俺。ムラークと約束したのに。
自己嫌悪で吐息が震える。
ずっと背中が心細かった。
あの夜、ルベルの腕の中で息を引き取った相棒の遺言を忘れた訳ではない。
「ルベル……あの化け物を、止めろ。あれは……ダメだ」
ムラークは、苦しい息の下で何度もルベルに念を押した。相棒は一度も密議の間に呼ばれず、詳しいことは何も知らされていなかったが、直接見て、直観的に感じ取ったのだろう。
「魔哮砲……使っちゃ……なんだ」
ムラークに言われたことを守れず、今はルベル自身が魔哮砲と【使い魔の契約】を結び、操手として使役していた。
タオルに涙が染み込む。
力を失った相棒の身体の重みが、まだ腕の中に残っているような気がした。
「絶対……止めてくれ」
相棒が、命の残りを振り絞って託したこの願い。
どうすれば叶えられるのか。
イグニカーンス空軍基地を攻撃し、無人機は無傷で残ったが、管制塔と制御室、有人機は破壊できた。
当面はここから出撃できないだろう。
……あんな簡単に、大勢を。
アーテル兵を何人、殺したかわからない。
実行したのは魔哮砲だが、ルベルの命令がなければ、あんなことはしない。
だが、魔哮砲がなければ、バルバツム連邦が提供した無人機は、再び、ネモラリス共和国のどこかの街を焼き払ったに違いない。
ルベルの脳裡に、ガルデーニヤ市を焼き払う炎が、まざまざと甦った。
防空艦ヒュムノディアが到着したのは、アーテル空軍の編隊が弾薬を投下し終え、身軽になって引き揚げた後だった。【雪読む雷鳥】学派の兵による【雷雨】と【豪雨】の術が激しい雨を呼んだが、粘度の高い燃料がこびりついた街は、なかなか火が消えなかった。
あの時のルベルは、哨戒兵としてネーニア島の反対側、東のトポリ市沖で旗艦オクルスから【索敵】で見た状況を報告することしかできなかった。
ルベルたち哨戒兵が敵機の位置を知らせたから、現地の【急降下する鷲】学派の魔装兵たちは、何割か撃墜できた。
少しは被害を減らせたので、全く役に立てなかったワケではないが、魔哮砲ならば、敵機の編隊を一撃で殲滅して完全に守れた筈だ。
ラキュス・ネーニア家のシェラタン当主は、気象を操る【雪読む雷鳥】学派の魔装兵に力を与え、数百機もの大編隊を退けたが、現在は行方不明だ。
湖の民や女神パニセア・ユニ・フローラの信者を置いて、どこへ雲隠れしたのか。様々な憶測が飛び交うが、依然として行方は掴めない。
クーデターを起こしたウヌク・エルハイア将軍に異を唱えたせいで殺されたとの説まであるが、ネミュス解放軍を率いる将軍は、否定も肯定もしなかった。
ネモラリス政府軍は、国内で発生した魔物や魔獣の駆除に加え、クーデター対応にも手を取られ、アーテル本土を攻撃するどころか、迎撃に回せる兵員さえ全く足りない。
……どうせ分裂で殖やせるんなら、最初から迎撃用と攻撃用に分けてればよかったのに。
そうすれば、早期に決着が着き、国民にこれ程の犠牲者を出さず、クーデターを起こされずに済んだだろう。半世紀の内乱で研究資料が分散したとは言え、大部分は、研究所があるネーニア島北部とネモラリス島に残っていたのだ。
……魔哮砲を使おうって人たちの中で、慎重派の人たちが増殖に反対したのか?
秦皮の枝党の古参は、どの程度まで魔哮砲の「性能」を把握していたのだろう。破壊力と増殖能力を持つ魔法生物の存在を知られれば、確実に国際社会から批難されることは、火を見るより明らかだ。
……いや、魔哮砲が居るせいで、戦争吹っ掛けられたんじゃないか。
「絶対……止めてくれ」
耳に残る相棒の遺言が繰り返された。
だが、もう後戻りはできない。
ネモラリス国民を守る為、そして、アーテル共和国を和平交渉の場に引っ張り出す為に、少なくとも、アーテル軍の航空戦力だけでも潰さなければならなかった。
☆契約によって霊的に繋がっている……「776.使い魔の契約」参照
☆ムラークと約束した……「523.夜の森の捕物」「536.無防備な背中」参照
☆ガルデーニヤ市を焼き払う炎……「756.防空網の突破」~「759.外からの報道」参照
☆気象を操る【雪読む雷鳥】学派の魔装兵に力を与え、数百機もの大編隊を退けた……「309.生贄と無人機」参照
☆ラキュス・ネーニア家のシェラタン当主は(中略)現在は行方不明……「684.ラキュスの核」参照




