813.新しい年の光
常緑の街路樹が、冬の薄日に枝葉を伸ばす。
針子のアミエーラは、一年前の自分がリストヴァー自治区の外、それも外国のアミトスチグマ王国で新年を迎えると知ったら、どんな顔をするだろうと思った。
難民キャンプに最も近い内陸のパテンス市では、家々の扉に常緑樹の小枝で編んだ輪が掛けてある。主神フラクシヌスに一年の加護を願うものだ、と大伯母のカリンドゥラに教えてもらった。
白壁の街並に緑の輪がよく映える。
会社と学校が休みになるのは、外国でも同じで、早朝のパテンス市内は人通りが少なかった。
フラクシヌス教の新年の祈りは、夜明け前から日の出にかけて行われる。
アミエーラは、大伯母カリンドゥラや平和を目指す者たちと共に、夏の都にある湖の女神パニセア・ユニ・フローラの神殿で新しい夜明けを迎えた。
集まった人々が湖に頭を垂れて祈りを捧げるのを見ただけだが、初めてキルクルス教会以外で迎えた朝の光を浴びて、自分が生まれ変わったような不思議な気持ちがした。
通りのあちこちからおいしそうな匂いが漂ってくる。
「みなさんの朝ごはんは、神殿の控室にご用意しています」
道案内する聖歌隊員の説明に、アミエーラは心を見透かされたようで恥ずかしくなった。新年の慈善コンサートは午後開演だが、これから最後の打ち合わせと全体練習をする為、朝食前に夏の都を出た。
「ここもキレイな街よねぇ」
隣を歩く大伯母カリンドゥラも、パテンス市は初めてらしく、物珍しげに異国の通りを眺めて歩く。
行き先は、パテンス市のフラクシヌス神殿だ。
内陸部のこの地では、湖の女神パニセア・ユニ・フローラよりも主神フラクシヌスの信仰が盛んだと言う。パテンス市のすぐ傍には広大な森林地帯が広がり、難民キャンプは森を切り拓いて作られていた。
後ろを歩くラクエウス議員と平和の花束の四人は、どんな思いで歩みを進めるのか。
みんなの荷物は衣裳の袋と楽譜だけで、ラクエウス議員は竪琴を持ち、衣裳はラゾールニクが代わりに持っていた。
「そうですね。アミトスチグマの白い街並は以前から耳にしていましたが、これ程とは……」
舞台衣装姿の男性が、緑の髪を揺らして大伯母の呟きに相槌を打った。ラクリマリス王国の有名な歌手で、年越しコンサートからそのまま駆け付けたと言う。
「あら、イムベルさんも初めてでしたの? 先月、急なお話に快く応じて下さったものですから、てっきり……」
「はははっ。ニプトラさんの頼みを断る者なんて、そうそう居ませんよ。お誘い下さって光栄です」
イムベルが緑の頭を掻いて笑う。
何だかよくわからないが、大伯母カリンドゥラ……ソプラノ歌手のニプトラ・ネウマエは、ネモラリス共和国だけでなく、ラクリマリス王国でも顔が利くらしい。
パテンス市のフラクシヌス神殿は、王都ラクリマリスの西神殿よりずっと小さかった。神殿の敷地には樫の木が植えられ、冬空の下でも青々と葉を茂らせている。
「皆様、ようこそお越し下さいました。どうぞこちらへ……」
陸の民の神官が一行を出迎えた。
今日、ここで慈善コンサートを行うのは、ソプラノ歌手ニプトラ・ネウマエ、オラトリックス、アーテル共和国の国民的アイドルだった“瞬く星っ娘”改め“平和の花束”の四人、地元の聖歌隊十五人、ラクリマリス王国のテノール歌手イムベル、そして、アミエーラだ。
伴奏はスニェーグのピアノとラクエウス議員の竪琴。全員揃っての練習は今日が初めてだ。
撮影係として、ラゾールニクとファーキル、ネモラリス建設業協会の青年も同行している。本番をインターネットで生中継するのだと言う。
「保険とカメラテストを兼ねて、通し練習も撮ります。まぁ、そう固くならないで、気楽に、気楽~に」
ラゾールニクが笑って言うが、アミエーラは緊張で朝食の味もわからず、打合せの内容もあまり頭に入らなかった。
「アミエーラちゃん、練習ではちゃんと歌えてたし、私たちもみんな一緒だから、大丈夫よ」
「う……うん」
集会所の控室でエレクトラに軽い調子で励まされたが、本番を前にしたアミエーラは震えが止まらなかった。心臓が口から飛び出しそうなくらい暴れる。
普段着姿での午前の練習と少し早めの昼食まではあっという間で、何を食べたのかも覚えていない。衣裳に着替えての通し練習も無我夢中で、何が何やらわからない内に終わってしまった。
何とか震えを鎮めようと自分の肩を抱く。
手に刺繍が触れた。【編む葦切】学派のボランティアが、チャコペンで下書きをしてくれた。アミエーラは意味がわからないまま、緑の糸でその通りに刺しただけだ。
クフシーンカ店長の手伝いで祭衣裳に刺したのと同じ模様が、何度も出てきた。読み方は知らないが、これが単なる模様ではなく、力ある言葉の呪文であることくらいは、わかるようになった。
……聖典に載ってたのと同じ。
アミエーラは、サロートカがクフシーンカ店長の聖典を携えてアミトスチグマに来た日のことを思い出した。
「上手く歌えなくても気にすることないのよ」
「えっ……?」
大伯母の意外な言葉に顔を上げる。
「元はひとつの国だったネモラリス、ラクリマリス、アーテル、支援してくれるアミトスチグマの人たち、フラクシヌス教徒とキルクルス教徒、陸の民と湖の民、力ある民と力なき民、昔を知る私たちと若いあなたたち……何もかもが違う人たちが、一緒に歌うことに意味があるのだから」
大伯母の静かな声を聞く内にだんだん気持ちが落ち着いてきた。
「これだけ人数居るんだし、そんなに失敗が怖いんなら、口パクしてればいいんじゃない?」
そんなことを言うタイゲタは、さっきから眼鏡を拭いては掛け直しを繰り返している。アルキオーネが「もうッ!」と肘で小突き、タイゲタはちょろりと舌を出した。アステローペがくすくす笑うのをエレクトラがシーッと窘める。
聖者キルクルスへの信仰を捨てたと宣言した彼女らは、どんな思いでフラクシヌス教の神殿で歌うのか。アミエーラには想像もつかないが、プロの彼女らも少なからず緊張しているのがわかって少し安心した。
「時間です」
神官の案内で集会所から神殿の裏手に回る。衣裳の裾を踏まないように少しつまんで歩くが、足がぎくしゃくして何度も転びそうになった。
聖職者用の通用口から最奥の祭壇の間に入る。
王都の西神殿では満々と水を湛えていたが、ここは天を突く秦皮の巨木が、すっかり葉を落とした枝を広げていた。
アミエーラたちは祭壇の右手に並び、白髪のスニェーグだけが左手に置かれたピアノに移動する。祭壇前には大勢の人が詰め掛け、色とりどりの敷物に腰を降ろしていた。
コンサートを主催したパテンス市のボランティア団体代表と、来賓の市会議員の挨拶が右から左へ抜けて行く。フラクシヌス教徒の観客は、市会議員の話を神妙な面持ちで聞いていた。
……大丈夫。大丈夫よ。楽譜は歌う順番通りに綴じてあるし。
ラゾールニクとファーキル、ネモラリス建設業協会の青年が、グランドピアノの後ろに並ぶ。三脚を付けたカメラとタブレット端末が、小さな赤ランプを点して動画を撮っていた。
マイクが神官の手に渡り、歌い手たちを端から順に紹介する。
「……そのお隣、こちらのアミエーラさんは、ニプトラ・ネウマエさんのご親戚です」
観客がどよめき、アミエーラは頬が熱くなった。
「ニプトラさんは半世紀の内乱中、妹のフリザンテーマさんと生き別れになりました。内乱終結後もずっと捜しておられましたが、消息がつかめないまま、フリザンテーマさんは世を去られました」
隣で大伯母が微かに身じろぎした。
「アミエーラさんはこの度の戦争で、お祖母様であるフリザンテーマさんの形見の品を持って空襲から逃れ、王都ラクリマリスに身を寄せていたところ、偶然、ニプトラさんとの出会いを果たされました」
神官の説明が知らない人のことのように通り過ぎる。
「難民の方々の多くは、身内や友人知人と生き別れになっていますが、彼女は、生きてさえいれば、いつかどこかで水の縁が繋がると、身を以て示してくれました」
何人もの聴衆が、ハンカチで目元を拭った。
続いて、神官が、アルキオーネたち平和の花束の面々をキルクルス教の信仰を捨て、アーテルから逃れてきた歌手だと告げると、動揺が広がった。
神官は構わず続ける。
「彼女らは最後の舞台で、キルクルス教の聖典にある“魔術は悪しき業である”との教えを盲信せず、人の性質の善し悪しをただ魔力の有無によって決めつけず、ひとりの人として見るべきだと説いて国を出ました。『魔法使いにもいい人は居る』との言葉は、お手元のプログラムに記載しております動画サイトで、後程ご確認下さい」
紙の触れあう音が木の葉のざわめきのように広がる。
全員の紹介が終わり、スニェーグのピアノが一組の和音を鳴らした。
「皆様、お待たせしました。一曲目は『女神の涙』です。ネモラリス島ウーガリ山中に位置するアサエート村に伝わる里謡、お聴き下さい」
ラクエウス議員の竪琴とスニェーグのピアノが前奏にアレンジした第一小節を奏でる。アミエーラは不思議と心が鎮まり、みんなに遅れることなく声を出せた。
「ゆるやかな水の条
青琩の光 水脈を拓き 砂に新しい湖が生まれる……」
自分の声が、みんなの声と重なり溶けあい、ひとつになる。
石造りの神殿に響き渡り、秦皮の巨木を伝って天へと昇る。
アミトスチグマの穏やかに澄んだ平和な空は、遠く離れた故郷の空に繋がっていた。
☆サロートカがクフシーンカ店長の聖典を携えてアミトスチグマに来た日……「702.異国での再会」「703.同じ光を宿す」参照
☆王都の西神殿……一般の神殿「541.女神への祈り」~「543.縁を願う祈り」、王都の大神殿「683.王都の大神殿」~「685.分家の端くれ」参照
☆『魔法使いにもいい人は居る』との言葉/動画サイト……「430.大混乱の動画」参照




