811.教団と星の標
「星の標は、大聖堂から異端だと言われて、バルバツム連邦とか……アーテルとラニスタ以外、ほぼ全ての国から、国際テロ組織に指定されていますよね?」
「えぇ。まだ、破門にはされていないようですが……」
壮絶な記憶を語り終えたスキーヌムは、ロークから目を逸らさず、静かな声で答えた。
「アーテルの教団は、星の標をどう見ているのでしょう?」
冷たい風が、質問を重ねたロークの頬を撫でる。
スキーヌムは、イグニカーンス市の街並を見下ろした。
ラキュス湖の南岸に貼り付き、東西に長い街をバスやトラックが行き交う。乗用車が少ないのは、テロを口実にした規制……実際は、燃料不足のせいだ。
「……特に批難などはしていなかったと思います。……肯定もしていませんけど」
「刺激しないように、距離を置いている感じですか?」
「恐らく……」
スキーヌムは複雑な表情で頷いた。
……成程な。教会は星の標を黙認する代わりに、教団内の“特別な司祭”に攻撃を加えないようにしてるんだな。
暗黙の了解なのか、明確な取り決めが成されたのか、不明だ。
少なくとも、アーテル社会では、星の標が白昼堂々わざわざ人を集めて“魔女”を火炙りにしても咎められない。それどころか、賛同して共に祈りを捧げる者が多数派らしい。
母親も力ある民だったのか。
スキーヌムは、確認するところを見なかったらしい。
もし、魔力の有無を確認せずに火炙りを実行するなら、恐ろしいことになる。
根拠が証言だけなら、星の標の狂信は、邪魔者の殺害に利用されてしまう。
例えば、不倫相手と有利に再婚したい者が、現在の配偶者と子供を排除し、「穢れた者に騙された被害者」として、のうのうと暮らすだろう。
いじめっ子の集団に「穢れた力がある」と口裏を合わせられて、面白半分に焼き殺されたいじめられっ子は、一人も居ないのだろうか。
……いやいや、流石にそれはないよな?
ロークは暗い想像を振り払い、自分を安心させようとしたが、リストヴァー自治区の大火や首都クレーヴェルでのテロなど、実際に行われた信じられない暴挙の数々に妨げられた。
教会と警察の黙認がある為、一度、穢れた者のレッテルを貼られたが最後……本当に魔力があったとしても、呪文をひとつも知らないのでは逃げられない。いや、魔法を使えたとしても、集団に襲われれば、或いは銃で撃たれたら、ひとたまりもない。
……って言うか、なんでランテルナ島への追放じゃなくて、火炙りなんだろう?
流石にスキーヌムには聞けない。後で調べることにして心にメモした。
「大聖堂のお膝元……バンクシア共和国では、どうなんでしょう?」
「アルトン・ガザ大陸北部は、三界の魔物との戦いで、ディアファナンテ高地以外は魔力が枯れたそうですからね。穢れた力を持つ者自体、少ないようです」
少し羨ましそうに説明するスキーヌムの横顔が、ロークの胸の奥をチクリと刺した。
古傷を抉る罪悪感を押し殺し、アーテル人神学生の認識を確める為の質問を続ける。
「それでも、時々産まれるんですよね? 魔物や魔獣による捕食事故の統計を見たことがあるのですが、ディアファナンテ高地より南だけではなく、北部でもそれなりに被害が出ていました」
「どこの国ですか?」
「えーっとどこだったか……現地の警察と消防の公式発表ですよ」
……ファーキル君、ラゾールニクさんにどこのデータを見せてもらったって言ってたっけな?
スキーヌムは端末を取り出して検索した。
共通語の「捕食事故 消防 統計」と言う検索ワードに大量の情報が引っ掛かる。スキーヌムは画面をスクロールし、それらしいページをつついて開いた。
バルバツム連邦の最近十年分の統計情報だ。
「こちらでも教わっているかもしれませんが、ネモラリスの小中学校では、魔物から身を守る為の授業があるんですよ」
「それは……心掛けの護りではなく、悪しき業を使う方法ですか?」
神学校の優等生はイヤそうに言い、端末に表示されたグラフを見る。
交通事故よりも、魔獣による捕食事故の方が死者数が多かった。
「それもありますが、俺は力なき民なので、魔法が使えなくてもできる方法です。呼び方は違いますが、心掛けの護りと同じ方法も教わりました」
「他には、どんな方法があるんですか?」
スキーヌムは興味津々で端末から顔を上げた。
「何故、魔物が出るのか。出やすい条件、場所、魔物や魔獣の種類、性質、分布状況……正しい知識を持って、発生を抑えたり、逃げ方を工夫したり……そんな感じです」
「神学校では、魔物の知識は教わりませんでした。心掛けの護り……場を清めて心を鎮めましょう、と言う信仰に基づく指導だけです」
スキーヌムは、ロークを不思議そうに見た。
ルフス神学校高等部の授業では、一般信者の心を鎮める方法や、場の清め方の指導方法も教わる。
「魔獣は、全てが完全に有害と言うワケではないんですよ。草しか食べなくて人間にはあんまり害がない種類や、角や牙が薬とかの材料になるのが居たり、素材になるからわざわざ飼育して殖やしてるのが居たり……」
「えぇッ?」
スキーヌムは端末を落としそうになり、慌てて持ち直した。
……あー、やっぱり、アーテルじゃそう言うの、ランテルナ島にしかないんだな。
ロークは、スキーヌムの知識がほぼゼロと看做して、説明の仕方を変えた。
「先程の事故の統計に戻りますが、魔物が涌く……幽界から現世に来るのは、色々条件があるんです」
「冷蔵庫で生肉を腐らせてしまうと、出ますよね?」
スキーヌムが薄気味悪そうに声を潜めた。
「それは、どこで教わりました?」
「えーっと……一般常識ですね。お年寄りや親から教わります」
……内乱中に生まれた人たちの知識を口伝してるのか。
ロークは頷くだけに留めて続ける。
「この世界と幽界が繋がった場所からは、何もしなくても出ます。他に、誰かが術で召喚したり、この世に定着した魔獣が繁殖したり、色々です」
「何もしていないのに、ふたつの世界が繋がる場所って一体……?」
スキーヌムが恐る恐る聞いた。
空いた手で自分の肩をさする。
「土地の魔力が強い地点です」
「土地の、魔力……」
スキーヌムは流石に勉強家なだけあって、ロークが何を言おうとしているか察したらしい。顔を曇らせたが、眼鏡を拭いて掛け直し、ロークに先を促した。
「アルトン・ガザ大陸にも、魔力がまだ少し残っているから、これだけ捕食事故が多いんですよ」
スキーヌムは、ロークの結論を無言で受け止めた。
彼の推測通りだったのだろう。表情は変わらない。
再び眼鏡を拭いて掛け直し、震える声で確認する。
「だから、つまり……バンクシア共和国でも、穢れた力を持つ子が生まれている……と?」
ロークは否定も肯定もせず、話題を変えた。
「スキーヌム君は、大聖堂にお参りに行ったこと、ありますか?」
「いえ……まだです」
ロークは自分の端末を出して、どうにか地図のサイトを表示させた。
手袋越しでは操作し難いが、外すのは寒い。大聖堂を拡大し、地上から眺める視点に切り替える。
スキーヌムはロークの手許をじっと見ていた。
「この廂の模様、何だと思いますか?」
「廂……? あぁ、お祭の舞い手が着る衣裳と同じ模様ですね」
「祭衣裳の写真ってすぐ見られますか?」
「えっ? ちょっと待って下さいね」
スキーヌムは手早く画像検索して、目当てのものを表示してくれた。
大理石の廂と、赤系統の糸で刺繍された衣裳の模様は、色以外は全く同じだ。
薬師アウェッラーナのコート、工員クルィーロのマント、呪医セプテントリオーの白衣、葬儀屋アゴーニの服や警備員オリョールたちの制服にも、同じ刺繍が入っていた。
トラックの中で何度も発動の呪文を練習した呪符と同じ呪印もある。
改めて思い返すと、力ある民にとっては、当たり前のものなのだ。
「これは模様じゃなくて、文字なんですよ」
「文字なんですか? 何語で何て書いてあるんですか? 聖典にはそんなこと、一言も書いていませんでしたよ?」
信仰エリートのスキーヌムも知らない。
……アウグル司祭や星道クラスの指導員なら、知ってるのかな?
老司祭の微笑みを思い出す。
彼はロークを両輪の国ネモラリスで、聖者キルクルスへの信仰を堅持して生きてきた敬虔な信徒だと思っているようだ。
何くれとなく親切にしてくれるのは、ロークが魔術の知識を持っていないとの前提があるからだろうか。将来、ネモラリス共和国のキルクルス教指導者になる予定だから、今の内に恩を売っておこうと言う魂胆なのか。
ロークは、裾を広げた衣裳の写真を見ながら、たどたどしい発音で力ある言葉を読み上げた。
「……聞いたこと、ありますか?」
「いえ。何語ですか?」
「湖南語に訳すと“日月星蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る”……です」
「あぁ、お祈りの詞なんですね」
不安そうに画面を覗き込んでいたスキーヌムが頬を緩める。
「これは、力ある言葉で書かれた【魔除け】の呪文……魔力の制御符号です」
その一言で、スキーヌムの表情が消えた。
☆アルトン・ガザ大陸北部は、三界の魔物との戦いで、ディアファナンテ高地以外は魔力が枯れた……「431.統計が示す姿」参照
☆魔物や魔獣による捕食事故の統計……「431.統計が示す姿」「432.人集めの仕組」参照
☆心掛けの護り……「069.心掛けの護り」「764.ルフスの街並」参照
☆草しか食べなくて人間にはあんまり害がない種類……例:跳び縞。野茨の環シリーズの別の話「飛翔する燕(https://ncode.syosetu.com/n7641cz/)」の「01.カボチャ畑」「04.明日の不安」参照
☆角や牙が薬とかの材料になる……例:火の雄牛「303.ネットの圏外」参照
☆素材になるからわざわざ飼育して殖やしてる……例:絶光蝶「439.森林に舞う闇」「522.魔法で作る物」参照
☆バンクシア共和国でも、穢れた力を持つ子が生まれている……「431.統計が示す姿」~「435.排除すべき敵」参照
☆トラックの中で何度も発動の呪文を練習した呪符……「293.テロの実行者」参照
☆これは模様じゃなくて、文字なんですよ……「432.人集めの仕組」「433.知れ渡る矛盾」参照
☆星道クラス……「744.露骨な階層化」参照




