810.魔女を焼く炎
スキーヌムが、声を上げて泣きじゃくる。
ロークは神学生の肩を抱き、掌で軽く背を叩いて、何も言わずにあやし続けた。
嗚咽が次第に弱くなる。
涙が涸れたスキーヌムが、枯れ草に腰を降ろし、ハンカチで顔を覆って俯く。
ロークは隣に座って膝を抱え、黙ってラキュス湖を見た。
今の時期、例年のゼルノー市の沖は、新年用の荷を積んだ貨物船や、一年の締め括りの漁に精を出す船で賑やかだが、眼下に広がるアーテル本土とランテルナ島の間の湖面には、一隻も見えない。
……そっか。アーテルは科学文明国だもんな。
湖の魔物から身を守る術がない。
ランテルナ島の食堂では、魚料理を食べられた。島民は、薬師アウェッラーナのように岸辺から術で漁をするのだろう。島内の港は、内乱時代に破壊されたまま放置されていた。
「僕が五歳の時……」
隣を見ると、スキーヌムも膝を抱え、ハンカチを握りしめて湖を見ていた。
ロークが頷いて見せると、スキーヌムは独り言のようにポツリポツリと、忌まわしい記憶を語り始めた。
「従兄たちと一緒に、実家から一番近い防空壕へ行ったんです」
小学生の従兄たちは冬休みだった。
立入禁止のロープが張られていたが、子供たちは気にしない。
懐中電灯を手にした最年長の従兄を先頭に、幼いスキーヌムを含む男の子五人は、おっかなびっくり奥へ進む。
全く日が射さない横穴は、風が遮られるからか、意外と寒くなかった。
冬だから虫が居ない。
何故か雑妖も居ない。
よくある他愛のない探険ごっこだ。
立入禁止の立て札があるだけで、見張りの大人は居ない。
再建を諦めた町はずれの地区には、こんな防空壕がたくさんある。浮浪者が住み着いた所もあるが、スキーヌムたちが行った壕は手つかずらしかった。
「意外とキレイだな」
「最近まで、誰か住んでたのかな?」
従兄たちはそんなことを話しながら、一番奥に着いた。
その頃にはスキーヌムも、怖さよりも好奇心が勝り、壁や床のレンガに刻まれた模様を指でなぞって遊んでいた。
錆びた空き缶が幾つか散らばる傍で、二番目の従兄がキレイな石を拾った。
六角柱で、子供の親指くらいの透明な石だ。
各面には細かい模様がびっしり彫ってある。
「僕も! 僕も見たい」
「ちょっとだけだぞ」
「落とすなよ」
従兄たちは笑って、スキーヌムの小さな掌に石を乗せてくれた。
「それって、まさか……」
スキーヌムはロークに答える代わりに十年以上前の記憶を語る。
キレイな石は、スキーヌムが触れると淡く光った。
従兄がよく見ようと手に取ると、火が消えたように光も消えた。次々と従兄たちの手に渡り、矯めつ眇めつ眺めるが、光は戻らない。
「なんだこりゃ?」
「どうなってんだ?」
「何で光ったんだ?」
「お祖父ちゃんに聞いてみよう」
親戚が集まったのは、新年だったからだ。
丁度、客間に揃っていた大人たちに従兄が不思議な石を見せると、祖父の顔色が変わった。
「スキーヌムが持った時だけ光るんだけど、これってどう言う仕組み?」
従兄がスキーヌムに石を持たせる。
防空壕内と同じように石の中に淡い輝きが宿ると、大人たちが凍りついた。
「他の誰にもこれを見せていないな?」
「えッ? ……う、うん。俺たちだけ」
「これは非常によくないモノだ。今日のことは忘れて、誰にも言ってはならん」
従兄たちは訳が分らぬまま、使用人に別室へ連れ出され、スキーヌムだけが残された。
母が泣き崩れ、父は言葉もなく母を見下ろしていた。
「悪しき者を産んだ……」
「あんた、魔女だったのか」
「この始末、どうつけてくれるつもりだ?」
「一族に迷惑を掛けないでくれないかな?」
「ウチの子の縁談に障ったらどうしてくれるつもり?」
いつもはやさしい親戚のおじさん、おばさんたちが、冷たい目で母とスキーヌムを見る。
五歳のスキーヌムはつい先日、聖者様の生誕祭の前日に聖アストルム教会で信仰の誓いを済ませたばかりだ。教会で一緒にお祝いしてくれた親戚が、今は別人のように怖い顔でスキーヌムを睨む。
やっぱり、入っちゃダメだと書いてある所に入ったのがいけなかったのだ、と後悔した。一番偉い祖父に何とかしてもらおうと、手の中の「よくないモノ」を差し出す。
「穢らわしいッ!」
声と同時に手を叩かれ、光る石が毛足の長い豪華な絨緞に転がる。
親戚たちがさっと飛び退いて、光る石に汚い物を見る目を向けた。
スキーヌムがずっと握っていた石は、手を離れても光が消えない。
「スキーヌム……」
母の目は、泣き腫らして真っ赤だ。
この場で唯一人、スキーヌムを睨んでいなかった。
いつものやさしい声でもう一度呼ばれ、スキーヌムはその腕の中に飛び込んだ。やわらかな胸のあたたかさに安心して、涙が出る。母も泣きながら、スキーヌムの背を撫でた。
祖父と親戚たちが何やら話し合う中、父はずっと黙っている。
親戚の誰かに何か言われ、母がスキーヌムを力いっぱい抱きしめた。
ひとつ深呼吸した母は、そっとスキーヌムを離して硬い声で言った。
「わかりました。この子は私が責任を持って……」
母の両手が、スキーヌムの細い首を包んだ。
震える手の冷たさが、今も首に残っている。
「待て。その子は本家の跡取りだ」
祖父の一言で、母が顔を上げた。
泣きながら笑う歪な表情は、今でも時々夢に出る。
親戚の誰かが、どこかに連絡して、家に知らない人たちが来た。その人たちは祖父から詳しい事情を聞くと、スキーヌムの腕を引っ張って無理矢理立たせ、母から引き離した。
母は後ろ手に縛られ、髪を掴まれて立たされる。
父は、スキーヌムが泣いても、母が酷いことをされても、何も言わずに光る石を見ていた。
知らない人の車に乗せられて、中心街の広場に連れて行かれた。
休日にはフリーマーケットやアマチュアバンドのライブ、星の標の演説などが行われる場所だ。近くにはデパートなどがあり、人通りが多い。
スキーヌムは、コートを着せてもらえなかった。
大人たちは誰も、寒さに震える幼子を気にしてくれない。
広場の中央には、太い柱を中心に、薪が山のように積まれていた。
女性たちが星道旗を振りながら、大きな声で通行人に呼び掛ける。
「我々は、星の標。イグニカーンス支部です」
「これより、穢れた魔女のお清めを行います」
「お時間ございましたら、共に浄化の祈りを捧げて下さい」
通行人の半分くらいが足を止めた。
端末でどこかに連絡する人も居た。
当時はカメラ付きの端末が少なかったので、今のように写真を撮る人はあまりいなかった。
母が知らない人たちに囲まれて、薪の前に連れて行かれる。人垣がどんどん厚くなる。別の車で後から来た親戚たちもそこに加わり、母の姿は見えなくなった。
祖父が、孫の両肩を後ろから押さえる。
父には口を塞がれて、スキーヌムは母を呼べなかった。
やや間があって、柱に括りつけられた母が、膨れ上がった人垣の頭上に出た。
遠くて表情はわからない。
自分たちを「星の標」だと名乗った女性が、共通語で祈りの詞を唱えた。
祖母の葬儀で聞いたのと同じ祈りだ。
神学を学んだ今ならわかる。
「やすみしし 現世の躯 離れ逝く 魂の緒絶えて
幽界へ 魂旅立ちぬ うつせみの 虚しその身の 横たわる
虚ろな器 現世にて 穢れ纏いて 横たわる 火の力 穢れ祓いて 灰となせ」
人垣の向こうで煙が上がり、空気が焦げ臭くなる。
集まった人々が、声を合わせて同じ祈りを繰り返す間にも、どんどん人が増え、祈りに加わる。
黒煙を上げ、火勢が強く大きくなり、人々の頭を越えて母を呑み込んだ。
父と祖父はずっと何も言わず、スキーヌムを押さえていた。
「それから、一年くらい……家に閉じ込められました。トイレとお風呂以外、部屋の外にも出してもらえなくて、身の回りの世話は使用人がして……誰も喋ってくれなくなって……」
感情の消えた声が事情を語る。
ロークは、スキーヌムの顔を見られなかった。
「僕が神学校に入学してすぐ、父は再婚しました。僕に穢れた力があるのをご存知なのは、学長先生とアウグル司祭様だけです」
「えッ?」
思わず見たスキーヌムの横顔は、ラキュス湖の風で涙が乾き、落ち着きを取り戻していた。
「穢れた力を持っていても“悪しき業”に手を染めず、心正しく聖なる星の道を歩む者は、誰よりも強い信仰心で奇跡を呼べるようになるから……と、励まして下さいました」
「奇跡……?」
「祖父が僕を軍に入れると言ったのは、弟が生まれたからです。跡継ぎとして用済みになったから……でも、司祭様たちはそんな僕を庇って下さいました」
……あれっ? ちょっと待てよ。魔力がある聖職者の「奇跡」って……それって……
「だから、僕は誰よりもしっかり学んで、特別な聖職者に……」
「スキーヌム君、それってつまり、教会が魔力を持つ司祭の存在を認めたと言うことですよね?」
ロークが確認すると、スキーヌムは周囲にゆっくり首を巡らせた。
二人きりであるのを確認し、ロークに向き直って、しっかり頷く。
「司祭様たちは、聖典の深いところを知らない一般信者が混乱するといけないので、くれぐれも内密にとおっしゃっていました」
ロークは無言で頷いて、他言しないと示した。
☆ランテルナ島の食堂では、魚料理を食べられた……「423. 食堂の獅子屋」参照
☆薬師アウェッラーナのように岸辺から術で漁をする……「196.森を駆ける道」参照
☆島内の港は、内乱時代に破壊されたまま放置されていた……「474.車のナンバー」参照
☆信仰の誓い……「592.これからの事」参照
☆中心街の広場/星の標の演説……「293.テロの実行者」参照
☆祖父が僕を軍に入れると言った……「802.居ない子扱い」参照




