809.変質した信仰
教会など、人が集まる場所はテロの標的になるかもしれないから、とスキーヌムは見晴らしのいい丘に案内してくれた。
イグニカーンス市の南東端から北を臨む。
湖岸に沿って段丘上に広がる街並は、おもちゃ箱をひっくり返したように色彩豊かで、高速道路を絶え間なく流れるトラックがミニカーの行列に見えた。
西端には、巨大な南ヴィエートフィ大橋。
ランテルナ島側から見た時はそうでもなかったが、本土側の視点では、縮尺を間違えたような錯覚に陥った。大橋が手前の街を小さく見せるが、実際はゼルノー市よりずっと大きな都市で、高層ビルがあちこちに聳える。
工事用のクレーンが何機も稼働する。この距離で形がわかると言うことは、これも相当な大きさだ。
東端は、灰色のアスファルトに覆われた広大な区域。
建物は敷地の端に固まっている。アンテナやレーダーの設備、管制塔、格納庫などだ。ラキュス湖に向かう滑走路が何本もあるが、飛行機はその手前に停まったままだ。
……湖上封鎖のせいで、飛行機も出せないのか。
スキーヌムが、ロークの視線に気付いて説明する。
「あれは、イグニカーンス空軍基地です。先週、バルバツム連邦から追加の無人機が到着したところで、今はメンテナンス中だそうです」
「スキーヌム君、どうしてそんなコトまでご存知なんですか? 軍事機密では……?」
「特にそう言う訳ではなさそうですよ。普通にネットのニュースに出ていましたから」
「そうなんですか?」
驚くロークにスキーヌムは首を傾げた。
「インターネットのニュースなら、ネモラリスに伝わるとは思えませんし……」
「あ……あぁ、そう言われてみればそうですね」
曖昧な笑みで誤魔化す。
……ファーキル君やラゾールニクさんたちは、ガッツリ見てそうだけどな。
ふと思い出して聞いてみる。
「先日おっしゃっていたファーキル君って、スキーヌム君と仲のいいお友達だったんですか?」
「僕たちはそんなには……親同士が仲良くて、時々ホームパーティーに招待したりされたりして、お互いの家に行き来していたのですよ」
「どんな子だったんですか?」
「ファーキル君は一般校の中学生なんですけど、大人しくて賢くて、割と話が合う子でした。この間から、無事に帰りますようにってずっとお祈りしています」
樹木が疎らに立つ丘は、整備された公園ではない。
ラキュス湖から吹き上げる風が冷たく、二人の他に人の姿はない。
ロークは賭けに出た。
「フラクシヌス教徒はこんな時、湖の女神パニセア・ユニ・フローラに“水の縁が繋がって早く会えますように”ってお祈りするんですよ」
スキーヌムが、息を止めて周囲を見回した。
遙か北から湖水を渡って来た風が、二人のコートを翻らせる。
ロークはイグニカーンス基地を見詰めて、何でもないことのように言った。
「ネモラリスでは、自治区外でのキルクルス教信仰は禁止されています。だから、普段はフラクシヌス教徒のフリをする為に、お祈りの知識があるんです」
「それは……大変な試練ですね」
スキーヌムが、喉の奥から絞り出すような声で労った。
ロークはそれに応えず、無人機を視線で数える。
三十二機。
格納庫で何機眠るのか不明だが、表に出ているだけでも相当なものだ。
……でも、俺一人じゃ、あの時みたいに基地を潰すなんて無理だ。
ランテルナ島に渡り、オリョールたちのネモラリス憂撃隊に知らせるべきか。それとも、どうにかしてラゾールニクたちに知らせて、ラクエウス議員ら戦争に反対する政治家たちの外交努力に望みを託すべきか。
「ロークさん……?」
案ずる声に隣を見て、すぐに俯く。
足下の枯れ草が、湖の風にそよぐ。
「平和な間は、嘘でも異教の信仰に身を置いていました。空襲から避難した後は、生活費欲しさで魔法使いに雇われて、魔法薬を作る手伝いをしていました。軽蔑されても仕方ありませんけど、黙っているのは、騙すみたいで心苦しくて……」
「軽蔑なんてそんな……ッ! 穢れた力を持つ“悪しき者”の中で聖者様の教えを守り続けるなんて、僕にはきっと無理です。尊敬してます」
スキーヌムの様子は演技には見えない。
……自分を過信してない。ホントに謙虚で敬虔な信仰エリートなんだな。まぁ、あんな家庭環境じゃ、信仰にのめり込むのも無理ないか。
ロークは枯れ草を見たまま言った。
「でも、ネモラリスでの信仰は、そんな状態だから随分、歪んでしまったみたいなんです」
「信仰が歪んだ……?」
「神学校で、改めて正しい教えを学んで確信しました。聖典には“悪しき業を用いてはならない”とは書いてありますが、力ある民を殺せなんて書いていません」
「はい。でも、それは……アーテル軍の空爆だってそうです」
スキーヌムが取り成すように言う。
ロークは、水平線の彼方に視線を投げた。故郷のネーニア島は全く見えない。
「ネモラリスでは、三歳になったら魔力の検査があるんです」
「魔力の検査?」
スキーヌムが怪訝な顔で聞き返す。
ロークは頷いて、北に目を向けた。
薄く雲が広がる空の下、鈍色に弱々しく輝くラキュス湖に見えるのは、南ヴィエートフィ大橋で繋がるランテルナ島までだ。
ネーニア島中部のゼルノー市は、どう頑張っても見えない。
ベリョーザの弟を呑み込んだニェフリート河も――
「健康診断のついでに【魔力の水晶】を握らせるだけの簡単な検査です。力ある民なら【水晶】に魔力が注がれて白く輝きます」
スキーヌムが息を呑んだ。
……そんな驚くことかな? まぁいいや。
「俺には、親同士が決めた許嫁が居て、その弟が、力ある民だとわかって……その子が五歳の時、事故に見せかけて……両親に殺されました」
思った以上に声が震え、途切れてしまったが、どうにか言えた。
スキーヌムは言葉もなく立ち竦む。
耳元で風が唸り、ロークの声を引き千切った。
「それまでは……俺、一人っ子だから、許嫁の弟を自分の弟みたいに可愛がっていました。亡くなった時……許嫁が、凄く嬉しそうに『おうちから穢れた子が居なくなってスッキリしちゃった』って、笑いながら、何があったのか話して……」
ロークはベリョーザの笑顔を思い出し、吐き気がして口を閉ざした。
見えない手が、胃の底を掴んで押し上げるような不快感を飲み下す。
「それ以前から、何かおかしいとは思っていたんです。弟だけいつもおなかをすかせて、痩せて小さくて……俺が許嫁を誘って、家からちょっと遠いパン屋さんに連れて行って、菓子パンを奢ってあげたら、凄い勢いで食べて……」
「それは……普段から、食事を……」
スキーヌムの声も掠れていた。
ロークは、殆ど噛まずに食べた弟の虫歯だらけの笑顔を振り払って続ける。
「俺も子供でしたし、弟は言葉が遅かったから家で何が……いえ、今にして思えば、ちゃんと育ててもらえなかったから、言葉を覚えられなかったのでしょうが、許嫁の両親は、自分の身に何が起きているのか説明して助けを求めることもできない幼い子供を……」
「そんな……」
スキーヌムが、血の気の引いた唇で祈りの詞を呟く。
「自治区には、魔力検査がありません。正直に信仰を明かして自治区で暮していれば、あの子は両親に殺されずに済んだんです」
「そんな……それでは何故、自治区の外で、信仰を隠して暮らしていらっしゃるのですか?」
当然の疑問だ。
「自治区は、共和国全体の平均より貧しいんです。だから、既存の地位や財産を守る為に……おカネの為に信仰を偽るのです。それでも、尊敬できますか?」
スキーヌムはロークの視線を受け止め、まっすぐ見詰め返した。真摯な瞳が悲しみの色を映して揺れる。
「実は……アーテルでも、似たことはあります。あちこちに魔法の遺物があって、うっかり触って魔力があると発覚した人が殺されたり、悩んで自殺したり、子供なら……母親が責任を感じて無理心中したり……」
スキーヌムの重い溜め息が、湖からの風に攫われて消える。
ロークは、「冒険者カクタケア」のファンフォーラムで見た真偽不明の情報を思い出して、身震いした。
顔を上げたスキーヌムの頬を一筋の涙が伝い落ちる。
「スキーヌム君……?」
「母は、僕を産んだせいで……魔女として、火炙りに……」
スキーヌムの顔が苦痛に歪み、枯れ草に膝をつく。
ロークは、泣き崩れた神学生の肩を抱いて掛ける言葉を探したが、イグニカーンス市の街並は冷たく、空軍基地は沈黙を守り、ラキュス湖の女神は穏やかに輝くだけで、何も教えてくれなかった。
☆先日おっしゃっていたファーキル君……「803.行方不明事件」参照
☆あの時みたいに基地を潰す……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆魔法使いに雇われて、魔法薬を作る手伝い……「232.過剰なノルマ」「245.膨大な作業量」「250.薬を作る人々」参照
☆アーテル軍の空爆だってそうです……「766.熱狂する民衆」参照
☆ベリョーザの弟を呑み込んだニェフリート河……「795.謎の覆面作家」参照
☆子供なら……母親が責任を感じて無理心中……「753.生贄か英雄か」参照
☆「冒険者カクタケア」のファンフォーラムで見た真偽不明の情報……「795.謎の覆面作家」参照




