807.諜報員の作戦
葬儀屋アゴーニが無事に戻り、移動販売店プラエテルミッサの一行は、胸を撫で下ろした。
両手と背中の大荷物を受け取り、アゴーニを焚火の傍に座らせる。アミトスチグマの難民キャンプから、首都の夏の都に行き、買出しもしてくれたのだ。
「先に運び屋の姐ちゃんと会ってな。偶々、国会議員の先生方とスパイの兄ちゃんも居たから、作戦を立ててもらえたんだ」
「どんな作戦を?」
ソルニャーク隊長が身を乗り出すと、アゴーニは苦笑した。
「気になんのはわかるが、話せば長くなる。お茶でも飲みながらにしようや。なっ」
最初の臨時放送の後、場所を変えて二回、ギアツィント市に向けて再放送した。
用心の為、一行はすぐに街を離れ、ネモラリス島西岸沿いを北上して、西グラナート市のずっと手前……森に近い丘陵地にトラックを停めている。
葬儀屋アゴーニと薬師アウェッラーナ、工員クルィーロ、国営放送のジョールチとFMクレーヴェルのレーフ、魔法使いが五人掛かりで施した【簡易結界】は、夜の森から滲み出す魔物や雑妖をしっかり防いでいた。
焚火と紙コップに点した【灯】の外は冬の闇。
冷たい夜に漂う実体のないモノたちは、不可視の壁に阻まれ、悔しそうに離れた。中には、結界の綻びを探して境をずっと嗅ぎ回るモノも居る。
結界の境界線は、FMクレーヴェルのワゴンに積んであった関係者以外立入禁止のロープと、底部に水を入れて重しにするプラスチックの支柱だ。
みんなは、結界の外で踊る混沌をなるべく視ないようにして、アゴーニの話を聞いた。
諜報員ラゾールニクが中心になって立てたと言う作戦を聞き、ソルニャーク隊長が唸る。
「成程な。警戒を促したことが広まれば、隠れキルクルス教徒は何らかの行動を起こすだろう」
「あぁ。誰かが口滑らせてくれるだろうよ。それを見込んで、敢えて不意討ちで協力を頼んだんだ」
「不意討ち……セプテントリオー呪医たちにも、内緒だったんですか?」
薬師アウェッラーナは意外だったが、葬儀屋アゴーニはニヤリと笑った。
「呪医は忙しいし、俺らが会社の偉いさんちで作戦立てた時にゃ、難民キャンプに行ってたからな。いいリアクションもらえて助かったぞ」
アウェッラーナは、何とも言えない思いで同族の葬儀屋をみつめる。アゴーニは眉を提げて苦笑した。
「なんせ、あの呪医は正直モンだからな。先に教えてたら、あんな反応、演技でもできなかったろうよ」
……敵を騙すにはまず味方からってこと?
アウェッラーナはどこか釈然としないものが残ったが、だまって頷いて先を促した。
「アミトスチグマの協力者が、各集会所へ一斉に【跳躍】して、同時に広めてくれたんだ」
「それって、ホントに大丈夫なんですか? クレーヴェルみたいに、力なき民が酷いことされたりとかって……」
レノ店長の声は微かに震えていた。
アウェッラーナは緑色の髪を一目見ればそれとわかる。
湖の民で、魔法使いで、女神派のフラクシヌス教徒だ。
陸の民は、外見からは魔力の有無がわからない。
その内なる信仰も姿を見ただけではわからない。
魔法の刺繍や染めのある服を着ていれば誤魔化せそうだが、服に触れられれば、魔力の流れがないので力なき民だと気付かれてしまう。
ロークの口ぶりでは、星の標はともかく、隠れキルクルス教徒は、魔法の品の恩恵に与ることを大して気にしないらしい。
……難民キャンプの人たち、冷静に受け止められるのかな?
湖の民であるが故に、レノ店長たちの不安に共感できず、難民たちの反応も上手く想像できないのが、もどかしかった。
「じゃあ、シルヴァさんの件も同じ理由で……?」
力ある民のクルィーロが聞くと、湖の民アゴーニは、首を横に振った。
「婆さんの件はついでだ。ハナシの性質が全然違うし、議員の先生方が先に手を打ってくれてる。まぁ、念押しだな」
「念押し……」
「それより、ネモラリス島の街の方がヤベェから、気ぃ付けろってスパイの兄ちゃんに言われたぞ」
「首都から離れても……か?」
ソルニャーク隊長が訝る。
葬儀屋アゴーニは上着から手帳を取り出して言った。
「クレーヴェル港は解放軍の手に落ちた。レーチカ港は、王都と往復する難民輸送船が三日に一回。ギアツィント港は封鎖範囲を迂回すっから遠回り……要するに、ウーガリ山脈より南じゃ、貿易が滞って色んなもんが足りてねぇんだ」
「住民の不満と不安が募るのは、よくわかります。それで、力なき陸の民への風当たりが強くなることも……」
国営放送アナウンサーのジョールチが目を伏せた。
メドヴェージが、トラックの運転席から地図を取って広げる。
「レーチカも遠回りすりゃ、アミトスチグマと取引できるけどよ、俺らが見た限り、タンカーは長いこと停まったまんまだったぞ」
「そいつぁ簡単なハナシだ。湖上封鎖で【無尽袋】だけじゃなくって【無尽の瓶】も品薄だ。燃料用の奴は特に【耐火】を追加してある特別仕様だし、口のとこにゃ【火除け】の呪符を貼らにゃならん」
「袋は使い捨てだけどよ、瓶は使い減りしねぇんじゃなかったのか?」
メドヴェージが首を傾げた。
葬儀屋アゴーニが、魔術に疎いキルクルス教徒の運転手に、もどかしそうに説明する。
「瓶本体はともかく、注ぎ口に貼る呪符は使い捨てなんだよ。職人連中は、袋と瓶作んのに忙しくて、目ぇ回してる。難しい呪符だから、難民の俄か内職じゃ無理だ」
「そう言うモンなのか……」
「それによ、魔道機船のタンカー動かそうったって、船に巡らせた【耐火】を働かせるのに人手が足りねぇ」
船員たちも他の国民と同じで、空襲で命を失い、或いは国外へ逃れた。
「燃料を瓶に詰めて呪符まで貼るんなら、普通の船でいいんじゃねぇのか?」
少年兵モーフが口を挟む。
薬師アウェッラーナも同感だ。
……トラックの予備燃料は【耐火】のポリタンクだけで何とかなってるのにね。
「そう言うワケにゃいかねぇんだよ。万一のことがあってみろ。湖がどえらいことになるからな。魔法使いの船乗りは、難民輸送船にも手ぇ取られたりなんかして、とにかく足んねぇんだ」
アゴーニは、坊主、お前もか、と言いたげに説明した。
「魔力がありゃ、色んなコトが何とかなるから、カネ掛かる燃料の類は二の次、三の次ってか?」
トラック運転手のメドヴェージが天を仰ぐ。
工員クルィーロが顔を顰めた。
「でも、それじゃあ工場が動かなくて、量産品が作れなくなりますよ。日用雑貨とか、何かの部品とか、国内の分も、輸出する分も……」
「国内で物資が不足し、輸入しようにも外貨を稼げなければ、それもままならなくなります。物々交換でも、取引用の品が不足します。原油や燃料は社会の潤滑油なのに……」
パドールリクも息子と一緒に顔を曇らせる。アマナがそんな兄と父を見て、泣きそうな顔をアゴーニに向けた。
湖の民の葬儀屋は、手帳を捲って話を続ける。
「国の偉いさんや貿易会社の連中も、その辺はよくわかってるよ。リャビーナからアミトスチグマや他んとこへ船を出して、原油やなんかも輸入してる。人手と呪符が足んねぇ分、一カ所に集中して効率化してるらしい」
「効率化……か。リャビーナを星の標かネミュス解放軍に制圧されれば、終わりだ。この状況下では得策とは言えんな」
ソルニャーク隊長が、険しい目で地図を睨む。
薬師アウェッラーナは、難民輸送船で首都に戻った時のことを思い出した。
「クーデターの前なんですけど、私たちが王都から帰った便で、救援物資や輸入品も一緒に運んでましたよ」
「まぁ、ないよりゃマシだが、ありゃ客船だからな。量は知れてる。王国が【無尽袋】に詰めてくれりゃいいんだが、流石にそこまではしてねぇからな」
……そっか。パドールリクさんの言う通り、モノもおカネもないんじゃ、いっぱい輸入できないものね。
アウェッラーナは溜め息を吐いた。
たったの一年足らずで、ネモラリスの国中がこんなに困窮している。
政府軍の徴用や解放軍の強要が怖くて、魔法使いの医療者であることも明かせなくなった。【思考する梟】の徽章は一応、首から提げているが、服の中に隠している。
……こっちが戦争を仕掛けたワケじゃないのに。
もし、ネモラリス共和国がこの戦争に勝ったとしても、得られるものは何もない。
政府は、講和条約でランテルナ島の譲渡を求めるだろうか。
だが、そんなものをもらったからと言って、何になるのか。
そもそも、どうなれば、ネモラリス側が「勝った」ことになるのだろう。
敗戦すればどうなるのか、考えたくもなかった。
……半世紀の内乱は、誰が勝ったとか負けたとか、そう言うんじゃなくって……みんな疲れたから、もうやめようってなったのよね。
今回の戦争も、また、そうなるまで続くのだとしたら、常命人種は、終戦を迎える前に寿命が尽きるかもしれず、アウェッラーナは気が遠くなりそうになった。
☆魔法の刺繍や染めのある服を着ていれば誤魔化せそうだ……「708.臨時ニュース」参照
☆星の標はともかく、隠れキルクルス教徒は、魔法の品の恩恵に与ることを大して気にしない……「637.俺の最終目標」「691.議員のお屋敷」「721.リャビーナ市」参照
☆俺らが見た限り、タンカーは長いこと停まったまんまだった……「606.人影のない港」参照
☆難民輸送船で首都に戻った時のこと……「576.最後の荷造り」参照
☆こっちが戦争を仕掛けたワケじゃない……「078.ラジオの報道」参照 ついでに言うと、このニュースを読み上げたのはジョールチです。




