806.惑わせる情報
大勢の患者が待っている。
のんびり長居はできない。
呪医セプテントリオーは堅パンをもそもそ食べ、ぬるま湯で流し込んで葬儀屋アゴーニに聞いた。
「それで、悪い噂と言うのは……?」
「あぁ、それな。どうやら、二組あるらしいんだ。ネモラリスに帰らせてやるって騙して武闘派ゲリラの手下にしちまう奴らと、こっそりキルクルス教の教えを広めてる奴らだ。心当たりあるか?」
居合わせた者たちが、怪訝な顔で湖の民の葬儀屋を見る。
「キルクルス教の教えを知らないんで、わかんないんですけど……」
「ここに、自治区民が紛れ込んでるんですか? 一体どうやって?」
ネモラリス建設業組合の青年たちが、みんなの不安を代弁するように質問をした。
葬儀屋アゴーニが、お湯で口を湿して聞き返す。
「なんだ、ここに置いてある薄っぺらい機械じゃ、ニュースやってねぇのか?」
「最近、曇りが多くて、充電が足りないんですよ」
「電波が遠くて、アンテナ車が来てくれた日しか繋がらないし……」
「呪歌の練習で使うのを取り上げるワケ行かないんで……」
「呪歌のお陰で大分、助かってるもんねぇ」
休みの日、ファーキルが呪医セプテントリオーたちに教えてくれるニュースは、どれも国際関係の大きな動きばかりだ。難民の暮らしに直結するのは、アンケートとそれに対する反応、アミトスチグマ政府やボランティア団体の支援情報だが、本数が少ない上に内容が薄かった。最近は、それすらも滅多に配信されないと言う。
湖の民の葬儀屋は堅パンを食べながら、難民たちがニュースを見ない理由を聞く。食べ終えると立ち上がって声を張り上げた。
「俺の話を聞く前に、よく気を付けて欲しいことがある!」
「何に気を付ければいいんですか?」
セプテントリオーが聞くと、葬儀屋は集会所を見回し、ポケットから紙を取り出して広げた。
「今、ここに居んのは、湖の民と何かの徽章を持ってる奴……要するに魔法使いばっかりだ」
集会所の人々が、何を言い出すのかと訝る目で、湖の民の葬儀屋を見た。
呪歌の練習が止み、隣の戸が開く。
指導に当たる【歌う鷦鷯】学派の歌手と難民たちが、戸口に集まって不安そうにこちらを窺った。
「あんたらは安全だからって、力なき民を端っから疑ってかかったり、罪人だと決めつけるような真似だけはしねぇでくれ」
「どう言うことですか?」
「どっちの噂も、広めちまってんのは、すっかり騙されて、よかれと思って、みんなに教えてくれてる奴が大半だからな。くれぐれも、先走った真似だけはしねぇでくれよ」
あちこちから質問が飛ぶ。
「どんな噂なんですか?」
「力ある民ならまず騙されない魔法のこと?」
「力なき民が、よからぬ噂を広めてんのか?」
「いや……あぁ、キルクルス教がどうとかってのはそうだが、もうひとつの、ネモラリスに帰らせてやる云々の方は、両方だぞ」
アゴーニは手振りで黙らせ、説明を始めた。
「まず一個目。ネモラリス憂撃隊が、ゲリラの志願者を騙して掻き集めてる件」
人々が息を呑む。
アゴーニは構わず続けた。
「噂の出所は、シルヴァって婆さんだ。白髪で人種はわからん。魔法使いだ」
「そのお婆さんは、何でそんなことを……?」
針仕事の一人が恐る恐る聞く。
呪医セプテントリオーは、支援者のマリャーナ宅で断片的に聞いた話が繋がり、背筋が凍った。
サロートカから、ラクエウス議員の依頼として、難民の話に注意して欲しいと頼まれたが、治療で忙しく、なかなかそこまで手が回らないでいる。
「アミトスチグマ政府が開拓民を欲しがってて、平和んなっても帰国させてくんねぇって与太話だ」
「その話は、俺も聞いたことあるけど……嘘だって、アサコール先生が……」
ネモラリス建設業協会の青年が、探るような目を向ける。
葬儀屋アゴーニは力強く頷いた。
「あぁ。婆さんの話は嘘っぱちだ。ネモラリス直通の【跳躍】は禁止されてるから、外国の中継地に案内してやるってなこと言われたら、罠だから気を付けろ。ゲリラの拠点に戦闘員志願者を運ぶ手伝いをさせられちまう」
数人の顔色が変わった。
真に受けて、その噂を広めてしまったのか。
実際、ランテルナ島までついて行ったのか。
「その噂、聞いたらどうすりゃいいんだい?」
湖の民のおばさんが、苛立たしげに聞く。アゴーニは全く気にせず答えた。
「その話をした奴には、何もしないでくれ」
「えっ?」
「テキトーに聞き流して、いつ、どこの誰が言ってたか、そいつは誰から聞いたのか……それだけ控えて、国会議員のアサコール先生、ラクエウス先生、歌手のオラトリックスさん、それと……この呪医、いいか?」
急に話を振られたセプテントリオーは面食らった。
「私ですか?」
「あぁ。頼んだぞ。……で、みんなは、いつ、どこの誰がその話をしたか、誰から聞いたか紙に書いて、今言った人たちに預けて欲しい」
……もし、この中にシルヴァさんや、ネモラリス憂撃隊に共鳴する人が混じっていたら……?
呪医セプテントリオーは、ぬるま湯を飲む手が止まった。
まさかそれをここで聞く訳にもゆかず、アゴーニを見守るしかない。
おばさんが、拍子抜けしたような顔を隣と見合わせ、アゴーニに向き直る。
「そのくらいだったら、まぁ……」
「ありがとよ。もう一個も、対応は同じだ。騙されてるだけの奴が多いから、直接には何もせず、いつ、どこの誰が言ってたか、誰から聞いたのかってだけ控えて、渡してくれ」
「キルクルス教のお祈りの文句なんて、知らないんだけど……?」
「勧誘してる奴をみつけて、とっ捕まえるんだな」
「捕まえねぇで泳がせといてくれ。キルクルス教は、はっきりそれとは言わねぇで広めてる。祈りの言葉をちょいと変えて、ちょっとした励ましの言葉にして、な。今から言うのは、ほんの一例だが……」
アゴーニがメモを読み上げると、これもまた数人が、あっと声を上げた。
もう一度、同じ注意を繰り返して、湖の民の葬儀屋が話を続ける。
「星の標の連中が、クレーヴェルに入り込んで爆弾テロをやった。レーチカやギアツィントでも起きてる」
「それは、新聞で読みました」
縫製職人が言うと、数人が頷いた。
「実行犯を送り込んだのは、自治区へ行かねぇで、信仰を偽って生きてきた筋金入りの隠れキルクルス教徒だ」
「何だってッ?」
「信仰を誤魔化すったって、自治区の外にゃ、魔法が……」
集会場が騒然となる。
呪医セプテントリオーは、リストヴァー自治区で仕立屋の老婆に教えられた秘密を思い出した。
葬儀屋アゴーニは、動揺が鎮まるのを待って続けた。
「まぁ聞いてくれ。奴らは三十年も色々誤魔化して生きてきたんだ。万にひとつも疑われねぇようにな。だから、今、クレーヴェルじゃ、罪もない力なき民が、キルクルス教徒だって決めつけられて酷ぇ私刑に遭ってる」
「じゃあ、どうしろってんだ?」
「モグリのキルクルス教徒を見過ごせってのか?」
「さっきも言った通り、何もしねぇでくれ。いつ、誰が言ってたか、そいつは誰から聞いたのか。それだけ控えて、さっき言った国会議員の先生方と歌手のオラトリックスさん、それか、この呪医に渡してくれりゃ、後はその道のプロが調べて、カタを付けてくれる」
逸る男性たちは半信半疑なようだが、何も言わずに葬儀屋と呪医を見た。
「くれぐれも、素人判断で動かねぇでくれよ。ホンモノのキルクルス教徒に逃げられちまうからな」
数人はぎこちなく頷いたが、他は困った顔を隣の者と見合わせた。
縫製職人が、自信なさそうに言う。
「そのー……ラクエウス議員は確か、自治区の……」
「あぁ。あのお人は、ちゃんとしたキルクルス教徒で、モグリの連中にゃ腹を立ててる。テロなんぞ論外だって、どうにかして戦争を終わらせようと命懸けで頑張ってんだ」
湖の民のアゴーニが力強く言うと、集会所に驚きが漣のように広がった。
「でも、そんなこと言われちゃ、力なき民がみんなキルクルス教徒に見えてくるよ」
湖の民のおばさんが見回すと、針仕事の人々が頷いた。
「まぁそりゃ、人情として仕方ねぇ。この話はあんたらの胸に仕舞っといてくれ」
「誰が何言ってたか、控えて渡さなくていいのかい?」
「無理ならしょうがねぇ。今聞いた話を黙っててくれりゃ、それでいい」
居合わせてしまった人々が、何とも言えない顔で黙る。
「下手に広めると、尾鰭がついてとんでもねぇことになるからな。それこそが、モグリの連中の思う壺、フラクシヌス教徒を潰し合せようって魂胆だ」
アゴーニが畳みかけると、何人かは小さく顎を引いた。
……無理もないか。いきなりこんな重い秘密と役目を押しつけられたのでは。
呪医セプテントリオー自身は、針子のサロートカから半分は聞いていたが、それでも動揺している。自分たちの中に不穏分子が居ると告げられた難民が、受け止め切れないのは痛い程よくわかった。
何故、アゴーニが突然ここに来て、こんなことを言うのか。
彼の独断なのか、ラクエウス議員たちに何か考えがあって頼まれたのか。
「報酬は出ないのか?」
ネモラリス建設業協会の青年が聞く。
アゴーニは申し訳なさそうに首を振った。
「報酬を出せば、そこから勘付かれるかもしんねぇ。余計な対立を煽る奴らを突き止めりゃ、半歩くらいは平和に近付ける。それで勘弁してくれ」
「情報収集を手伝えなくても、今の話を口外しないことが、協力になります。突然の話で恐縮ですが、くれぐれもご内密に願います」
呪医セプテントリオーが言い添えると、ようやく人々の顔が明るくなった。
助け舟を出されたアゴーニが軽く会釈してメモを渡す。
「じゃあ、呪医、よろしく頼むよ。俺ぁちっと急ぐんで、また今度ゆっくり話そう」
アゴーニは一人で集会所を出て、早口に【跳躍】を唱えて姿を消した。
……今度の休み、ファーキル君にネモラリス島の情報を教えてもらった方がよさそうですね。
呪医セプテントリオーが渡されたメモは、キルクルス教の祈りの詞を変形させたものの一覧だ。
一見、無害そうな励ましの言葉が、幾つも並んでいた。
☆ネモラリスに帰らせてやるって騙して武闘派ゲリラの手下にしちまう奴ら……「644.葬儀屋の道程」「737.キャンプの噂」「768.非現実的な噂」~「770.惜しくない命」参照
☆こっそりキルクルス教の教えを広めてる奴……「773.活動の合言葉」「783.避難所を巡る」「785.似たような詞」「791.密やかな布教」~「793.信仰を明かす」参照
☆サロートカから、ラクエウス議員の依頼として、難民の話に注意して欲しいと頼まれた……「775.雪が降る前に」参照
☆爆弾テロ……「687.都の疑心暗鬼」「690.報道人の使命」「710.西地区の轟音」~「715.テロの被害者」参照
☆信仰を偽って生きてきた筋金入りの隠れキルクルス教徒だ……「695.別世界の人々」参照
☆リストヴァー自治区で仕立屋の老婆に教えられた秘密……「561.命を擲つ覚悟」「562.遠回りな連絡」参照




