803.行方不明事件
アンケートは、アーテルの民間企業が先月、インターネット上で行った。
魔哮砲の存在を肯定できますか?
この問いに対して「はい」が三%、「いいえ」が八十六%、「どちらとも言えない」が十%と言う円グラフが表示されている。
ロークは、一桁とは言え、魔哮砲を肯定する者がアーテルに存在すること自体、意外だったが、続きを見て心が凍った。
現在、魔哮砲を使用しているネモラリス軍と、魔哮砲を開発させた旧王国の共同統治者(ネーニア家及びラクリマリス王家)のどちらが悪いですか?
約四割がネモラリス軍、三割が旧王国の共同統治者、二割は両方、残る一割は「わからない」に票を入れていた。
……何だこれ? 「誰も悪くない」って選択肢がないし、こんな聞き方したら、ネモラリス共和国とラクリマリス王国は悪者だって思っちゃうじゃないか。
ネモラリス軍は、国際法と魔法生物禁止条約などに違反しています。
世界平和の為、無法な敵軍に対抗し、魔哮砲を破壊しなければなりません。
我が国は、国際法に抵触する手段を使ってでも、正義を実現すべきだと思いますか?
半数近くが「わからない」「どちらとも言えない」と答えたが、残りは「構わない」「場合によってはやむを得ない」が大勢で、「いかなることがあっても、法を守らなければならない」は少数派だった。
「このアンケート自体が印象操作と世論の誘導で、戦争に反対し難い空気を作っているのです」
「そうみたいですね」
「聖典には、魔法使いを殺してはいけないとは書いていませんが、積極的に殺せとも記されていません。自らが悪しき業に手を染めないように戒めているだけです。それなのに……」
「聖典に載っていないから、都合のいいように解釈できるんですよ」
ロークは、ネモラリスの隠れキルクルス教徒たちの身勝手な言い分を思い出し、吐き捨てるように言った。
リストヴァー自治区の大火、フラクシヌス教徒の住人を見捨てて逃げた国営放送ゼルノー支局長、信仰を偽って秦皮の枝党に潜り込んで権力の中枢で国を蝕むパドスニェージニク議員たち、ネモラリス島に住む星の標幹部たちの計画……ネモラリス共和国の星の標は、目的の為なら手段を問わず、多くの犠牲者を出しても当たり前のような顔をしている。
……このアンケート、インターネットで公開してるってことは、ファーキル君やラゾールニクさんたちも見てるよな?
ネモラリスだけでなく、辛抱強く中立を守るラクリマリスをも悪とし、戦意を煽る動きにどう対応するのか。
「スキーヌム君は、この戦争に反対なんですね?」
「……教義に反する行いは、何であれいけないことです。無原罪の清き民までひとまとめに焼き殺す空爆なんて、論外です」
「アーテルの教会は、軍に意見しないんですか?」
スキーヌムは苦しそうに首を振った。
「軍が何度空爆を重ねても、教会は何も言いません。音楽家の団体が、ネットで抗議声明を出しましたけど、すぐに削除させられました」
「安らぎの光……でしたっけ? ラジオのニュースで少し言ってましたよ」
スキーヌムは意外そうに顔を上げたが、すぐに俯いた。
「国内の反対意見はなかったことにされていますし、外国も……バルバツム連邦とかは、止めるどころか爆撃機や弾薬を送ってきて……聖者様の教えからかけ離れたことを止めようとしないんです」
勢いのいいノックと同時に、元気のいい女の子の声が聞こえた。
「ロークさぁん、晩ごはんできましたー!」
「はーい、今、行きます」
夕飯は、ロークを歓迎するご馳走が用意されていた。
ラクリマリスの湖上封鎖で輸入が滞り、庶民は食糧の暴騰で暴動を起こしていたが、この家は別世界に属しているらしい。
ロークの歓迎会を兼ねた夕食は、表面上、和やかに進められたが、長男であるスキーヌムは相変わらず、存在しないかのように扱われていた。
「さ、あなたたちはママと一緒にお勉強よ。ロークさんはテレビでもご覧になって、ごゆっくりお楽しみ下さいね」
スキーヌムの母は、小学生の二人を促し、そそくさと引き揚げた。
使用人が、食後のお茶を淹れて、居間兼食堂から退がる。
広々とした部屋の壁には、タブレット端末をそのまま大きくしたような物が掛かっている。
祖父が席を立ち、棚に置いてあった細長い機械を操作すると、タペストリー並の大きな画面に鮮明な映像が表示された。
「さて、次のニュースです。先日、イグニカーンス市で、若者四人が相次いで行方不明になりました」
画面の右側には、原稿を読み上げるアナウンサー、左側には行方不明者の顔写真と名と年齢の表がある。
「ラウルス先輩……!」
スキーヌムが食い入るように画面を見詰め、祖父と父にも緊張が走る。
「……この内、イグニカーンス市に帰省中だったルフス神学校高等部二年のラウルス・ノビリスさんは、一昨日の夕方、家族に『廃病院へ行く』と告げて外出しており、現在、アストルム北病院跡を中心に捜索が続いています」
「あの病院は、中庭が異界に繋がって、魔物が出るようになって廃業しましたからな」
祖父が、もう助からないだろう、と首を振る。
ロークは、アストルム北病院の名に見覚えがあった。
冒険者カクタケアが軍の特殊部隊に居た頃、治療を受けた病院だ。小説投稿サイトでの連載中は診療していたが、第一作が完結する前に廃業して、三年近く経つ。
危険な場所だが、日中に見物するファンは少なからず居て、地図のページには写真がたくさん載っていた。
ラウルス先輩以外は、一般校の大学生と高校生で、「冒険者カクタケア」シリーズのファンサイトを通じて知り合った友人同士だ、とアナウンサーの声が告げる。
「そう言えば、今年の春、ファーキル君も行方不明になって、まだみつかっていませんね」
「えっ? あの子が?」
スキーヌムが父を見る。
ロークもギョッとしたが、辛うじて声は抑えられた。
キルクルス教社会では、光や星に由来する名はありふれている。「松明」を意味する「ファーキル」は、ルフス神学校高等部一年の聖職者クラスにも二人居た。
父がスキーヌムの不在中に起きた事件を語る。
「知らなかったのか? まぁ、地方版のニュースでしか情報公開していなかったからな。お父様が出張の日の朝、登校途中で行方不明になったそうで、お母様は心労で倒れてしまわれて……お気の毒なことだ」
「えっ? でも、朝なら魔物は……」
ロークが質問を絞り出すと、祖父が険しい顔で答えた。
「魔獣ならば、実体がありますからな。少々日が当たった程度では……それに、ネモラリス人のテロも始まっておりました」
「魔獣とテロリスト、誘拐の可能性を考えて、軍と警察が合同で捜査に当たっていましたが、小型の魔獣が駆除されただけで、ファーキル君は未だに……」
「お気の毒に……」
ロークは、スキーヌムの祖父と父の説明に相槌を打ちながら、頭の中で作戦を立てた。
「テロリストは、魔物を呼び寄せる生贄にする為、小動物や人間をなるべく苦しめて殺して、人目につかないところに置くので……」
「そんな……」
……オリョールさんたちは一般市民に手出しはしないって言ってた。ソロのテロリストか。
ロークは下唇を噛んだ。スキーヌムの父が、厳しい表情で頷く。
「到底、許されることではありません」
スキーヌムの祖父が重々しく告げた。
「実は昨日、ネモラリスの同志から連絡がありましてな。間もなく聖戦が始まります」
「聖戦?」
神学生二人が同時に聞き返すと、祖父は顎を引いてお茶を一口啜った。
「多くの殉教者が出ましょう。しかし、悪しき業を用いる邪悪な者共を滅ぼし、聖なる星の道をネモラリスの隅々にまで巡らせられると信じております」
ロークは、星の標リャビーナ支部長夫婦の話を思い出し、息が詰まりそうになりながら聞いた。
「殉教者……ネーニア島のリストヴァー自治区で、戦いがあるんですか?」
「うむ。ネミュス解放軍が、自治区への攻撃準備を始めたそうです。戦闘が始まれば、政府軍は建前上、自治区を防衛するでしょうな」
「しかし、我が国の攻撃と自国の内輪揉め、魔物や魔獣の発生で兵力の損耗が著しく、大部隊は派遣できないでしょう」
祖父に続いた父は、スキーヌムとよく似た顔を嘲りに歪めた。
「もっと言えば、フラクシヌス教徒の兵が、キルクルス教徒を守る士気が高いとは思えません。政府軍が敗走すれば、フラクシヌス教原理主義者のネミュス解放軍は、リストヴァー自治区で虐殺を行うでしょう」
……悔しいけど、その通りだ。
「それによって、国連安保理が“人道に対する罪”を犯したネミュス解放軍を殲滅する為、“国民を守る為に正当な戦いを行う”ネモラリス政府軍を支援する部隊を派遣できるようになります」
「ネモラリス政府が、国連軍の支援を断ったら、どうなるんですか?」
ロークは、これから見る悪夢の話に声が震えるのを抑えられなかった。
父が、スキーヌムとよく似た顔を歪めてせせら笑う。
「国連軍の介入を拒めば、ネミュス解放軍と同罪と看做して、経済制裁を実施する準備もできています」
「トポリ空港から湖東地方を経由する航空ルートの使用禁止など、覿面に効くでしょうな」
スキーヌムの祖父と父は、ロークを戦乱から逃れてきたネモラリス人ではなく、ネモラリスのキルクルス教指導者の卵としか見ていないらしい。
彼らの認識に合わせて、祖国を案じる素振りを見せずに質問した。
「アーテルは国連を脱退したのに、そんなことってできるんですか?」
「無神論者のアルポフィルムを除いて、常任理事国とは信仰で固く結ばれていますからね。国連軍は、バルバツム連邦軍を主体に編成される予定ですし、先にネミュス解放軍の本拠地にミサイルを撃ち込んでおけば、後は烏合の衆ですよ」
父が薄く笑った。
スキーヌムは、家族とロークの遣り取りを無言で見守っている。
ロークは情報収集の為、彼の祖父と父が、聖なる星の道を喜んで踏み外すのを止められなかった。
☆魔法生物禁止条約など……「726.増殖したモノ」「759.外からの報道」「763.出掛ける前に」参照
☆ネモラリスの隠れキルクルス教徒たちの身勝手な言い分……「035.隠れ一神教徒」「036.義勇軍の計画」「766.熱狂する民衆」参照
☆フラクシヌス教徒の住人を見捨てて逃げた国営放送ゼルノー支局長……「128.地下の探索へ」「129.支局長の疑惑」参照
☆ネモラリス島に住む星の標幹部たちの計画……「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」参照
☆音楽家の団体が、ネットで抗議声明を出しました……「328.あちらの様子」「353.いいニュース」参照
☆ラクリマリスの湖上封鎖で輸入が滞り、庶民は食糧の暴騰で暴動を起こしていた……「440.経済的な攻撃」参照
☆お父様が出張に行った日の朝……「166.寄る辺ない身」「173.暮しを捨てる」参照
☆魔物を呼び寄せる生贄に小動物や人間をなるべく苦しめて殺して/オリョールさんたちは一般市民に手出しはしない……「359.歴史の教科書」「464.仲間を守る為」参照
☆星の標リャビーナ支部長夫婦の話……「722.社長宅の教会」~「724.利用するもの」参照
☆無神論者のアルポフィルムを除いて、常任理事国とは信仰で固く結ばれています……「751.亡命した学者」参照




