802.居ない子扱い
スキーヌムの実家はちょっとした邸宅だ。
門柱には、キルクルス教の聖印が刻印されている。自家用車三台が楽に停められる屋根付きの車庫と、手入れの行き届いた芝生の庭、花壇には継母の趣味なのか、冬咲きの花々が揺れていた。
「ただいま」
父が玄関扉を開けると、一家総出で迎えられた。
「こちら、ネモラリスからの留学生ロークさんだ」
「初めまして。ローク・ディアファネスです。聖者様のお導きで、ルフス神学校に辿り着きました。年末年始のお忙しい時期に押し掛けてしまって恐縮です。皆様の道を聖なる星の光が照らしますように」
ロークは、敬虔なキルクルス教徒として、模範的な態度で挨拶をした。
祖父と父、スキーヌムは淡い色の髪だが、継母は黒髪で、小学生の弟妹は父母を足して二で割ったような濃い茶髪だ。
弟の顔立ちは少しスキーヌムと似ているが、キツい目元は全く似ていない。妹は髪色以外は母親そっくりで、将来は美人になりそうだが、久し振りに帰った兄を一瞥した目は冷ややかだった。
「ようこそ、ロークさん。こんなご時世ですし、大したおもてなしはできませんけれど、ご自分のおうちだと思って寛いで下さいね」
「お噂はかねがね、アウグル司祭様からお伺いしておりますよ。大変優秀で、将来はネモラリスで信仰の導き手になられるとか……」
継母と祖父が愛想良くロークを迎え入れる。
傍らに控えていた使用人が、「お荷物をこちらへ」と、ロークのリュックサックを引き取った。
妹がイヤな視線をくれた以外、誰もがスキーヌムが居ないかのように振る舞う。
そっと隣を窺うと、スキーヌムの父からは、バスターミナルで再会した時の穏やかな微笑みが消えていた。
「長距離バスでお疲れでしょう。テロ対策で、業務用車両以外での都市間移動に規制が掛かっておりますもので……」
「お部屋をご用意しております。お夕飯までは、そちらでごゆっくり……」
祖父と継母に促され、ロークは手ぶらで使用人について行く。スキーヌムは自分で荷物を持って、廊下の奥へ向かった。
……先妻の子ってだけで、ここまで? それで神学校に入れられたのか?
空調の効いた客間でコートを脱いだ途端、どっと疲れが押し寄せた。
コートの内ポケットと、こっそり増設した隠しポケットには、金庫に預けなかったトパーズを全て入れてある。重量が偏らないように仕舞ったが、それでも手帳や財布、タブレット端末の重さで肩が凝った。
ソファに腰掛けて肩を揉んでいると、控え目にノックされた。
……晩ごはん? いや、早い、早いよ。
腕時計を見ると、まだ四時を少し過ぎたばかりだ。
「僕の部屋、空気の入れ替えをしてて……夕飯まで居させてもらっていいですか?」
「えぇ、勿論ですよ。スキーヌム君のおうちなんですから」
縋るような目で言われ、ロークは思わず招じ入れた。
手帳にテロ対策の交通規制の件などを書き留めるのは、夕飯後でいいだろう。
使用人がローテーブルに用意して行ったお茶は、一人分しかない。
「僕はさっき飲んだので、大丈夫です。冷めない内にどうぞ」
スキーヌムが向かいのソファに腰を降ろし、少し無理のある笑顔で促す。ロークがカップに口を付けると、スキーヌムは戸口をチラリと見て声を潜めた。
「先程はすみません。気マズかったでしょう?」
何と言っていいやら反応に困り、ロークが否定も肯定もできずにいると、スキーヌムはティーポットを見詰めて言った。
「祖父は、僕が中等部を終えたら、軍の特殊部隊に入隊させて、信仰の力で国民を魔獣とかから守る仕事をさせたかったんです」
ロークは、スキーヌムの祖父の身勝手な期待に呆れた。
……冒険者カクタケアみたいに? こんな貧弱な孫によくそんな無茶な夢持てるよなぁ。
「僕は、祖父の期待に応えられなくて……でも、学長先生が、『本人の適性を精査した結果、この子は聖職者として人々を教え導き、心を守るべき存在です』っておっしゃって下さったので、高等部に進級できたんです」
「……そうだったんですか。学長先生は正しい判断をなさったのですね。俺も、スキーヌム君が武器を持って戦う姿なんて、想像できません」
……こんな貧弱な坊やじゃ、新兵訓練に耐えられなさそうだもんなぁ。
何となく、少年兵モーフが語った星の道義勇軍の訓練を思い出した。流れでアサルトライフルのイヤな重みや、防弾ヘルメットと全てのポケットに手榴弾を詰めたタクティカルベストの重さも思い出す。
北ザカート市の廃墟やレサルーブの森での訓練と、アクイロー基地襲撃作戦の激しい戦闘から、まだほんの数カ月しか経っていないのが、嘘のようだ。
目の前の神学生は、膝に肘をつき、指を組んで俯いていた。
スキーヌムの手首は、パン屋の娘ピナティフィダよりも細く頼りない。
「先程の続きなんですけど、憎しみの闇に覆われた目では、正しいことを見失って、判断を誤ります。よくないことを何もかも魔法使いのテロリストのせいにすれば、キルクルス教徒の犯罪者が野放しになって、道に迷った人々が悪の道の奥へ進んでしまいます」
「そうですよね。なるべく早い内に聖なる星の道へ導かないと、どんどん深みに嵌って、大変なことになりますよね」
「自家用車での都市間移動の規制もそうです。本当の理由は、ラクリマリス王国の湖上封鎖の影響で、燃料不足が起きているからなんです」
「えっ? そうだったんですか?」
スキーヌムは顔を上げず、こくりと頷いた。
「政府の公式発表はテロ対策ですけど、ネモラリス憂撃隊が、走行中の車や道路を破壊したことはありませんから」
「そうなんですか。何だか意外ですね」
ロークは、オリョールたちが物資の調達以外では、なるべく一般のアーテル人に危害を加えない方針を変えていないらしいことに少し安心した。
個人で活動する力ある民は、鼠などの死骸を人口密度の高い地域に放置して、魔物を呼び寄せるなどのテロを行っているのだろうが、その攻撃では、防犯カメラに映らない限り、アーテル人にはテロと自然発生の見分けがつかない。
スキーヌムが、タブレット端末をローテーブルに置いて、地図を表示させた。
「ラクリマリス王国が湖上封鎖したのは、空軍が爆撃機で領空侵犯したからですよ。普通だったら、戦争になってもおかしくないのに、軍と政府はどうしてこんな愚かなことを……」
「スキーヌム君……」
信仰エリートの意外な言葉に驚き、ロークは後の言葉が続かなかった。
「こんなこと、学校でも家族の前でも言えません。でも、ロークさんなら、おわかり下さいますよね? 政府は、魔哮砲を作らせたラクリマリス王家を戦争に引っ張り出して滅ぼそうと……」
「そんなことをすれば、ラキュス湖畔の大半の国が敵に回りますよ? ラニスタと湖東地方の小国はキルクルス教国ですけど、そこがアーテルに味方したら、全面戦争になってしまいます」
ロークは、アーテル政府の肩を持つ気はないが、流石にそこまで愚かではないだろう、いや、そうであって欲しいとの思いから、反論した。
スキーヌムが静かに首を振る。
「現に、陸軍が戦車でネーニア島に渡って王国領を侵犯して、腥風樹を植えて挑発しています。ラクリマリスは大人の対応をしてくれていますが、いつまで国民の我慢が続くか……」
ロークは、ラクリマリス王国が中立を守る理由には気付いていたが、アーテルの目的までは頭が回らなかった。腥風樹を植えたのは、近代兵器が効かない魔哮砲を異界の毒で始末する為だとばかり思っていた。
言葉を慎重に選んで応える。
「信仰……いえ、正義の実現の為に間違った手段を使うことを、聖者様はお許し下さるのでしょうか?」
「無理でしょう。でも、疑問に思う人は、少ないみたいです」
スキーヌムは即答し、端末にポータルサイトのアンケート結果を表示させた。
☆金庫に預けなかったトパーズを全て……「742.ルフス神学校」参照
☆テロ対策で、業務用車両以外での都市間移動に規制……「389.発信機を発見」参照
☆少年兵モーフが語った星の道義勇軍の訓練……「329.高校式筋トレ」参照
☆北ザカート市の廃墟やレサルーブの森での訓練……「388.銃火器の講習」~「390.部隊の再編成」「397.ゲリラを観察」「407.森の歩行訓練」参照
☆アクイロー基地襲撃作戦の激しい戦闘……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆鼠などの死骸を人口密度の高い地域に放置して、魔物を呼び寄せるなどのテロ……「346.幾つもの派閥」参照




