800.第二の隠れ家
懐中電灯の光が階段の上を照らした瞬間、若者たちは動きを止めた。
雑妖は、ラズートチク少尉が降りた時に蹴散らされたが、再び元の場所に戻っている。不定形のモノが重なり合って犇めく上に、のっぺりとした闇の壁が立ちはだかっていた。
ご馳走の山を前にしても、ルベルに「待て」と命じられた魔哮砲は、大人しく食事の許可を待っている。
「何だこれ?」
「踊り場……じゃないよな?」
若者たちが、疑問を口にしながら懐中電灯を動かす。
魔装兵ルベルはラズートチク少尉の指示を仰ぎたかったが、今、【花の耳】を使えば、彼らにも声が聞こえてしまう。
若者たちは指先で楕円を描き、キルクルス教の祈りの詞を唱えるだけで、前進も後退もしなかった。
少尉はどうしているのか。一階へ目を向けようとしたところへ、当のラズートチク少尉が、足音もなく階段の下に現れた。魔哮砲も少尉を視認し、ルベルは自前の【索敵】と魔哮砲の肉眼から、別角度の視覚情報を得た。
少尉のトレンチコートに隠された【魔除け】が雑妖を蹴散らし、魔哮砲の表面が苛立たしげに小さく波打つ。
「うわッ! 動いた!」
恐慌に陥った若者の背後で少尉が呪文を唱え、ナイフを勢いよく薙いだ。
「霹靂の 天に織りたる 雷は 魔縁絡めて 魔魅捕る網ぞ」
男性の声に振り向いた瞬間、【紫電の網】が四人を絡め取った。感電し、悲鳴を上げる間もなく絶命する。壊れて光を失ったタブレット端末が落ち、ケースが割れて散らばった。鉄パイプは黒く焦げた遺体が握って離さない。
少尉は【無尽の瓶】から水を起ち上げ、四人の遺体と所持品を階段から浮かせた。
「端に寄れ」
ルベルの命令で魔哮砲が道を空け、水流が踊り場に上がる。
水は、内容物を排出すると、再び【無尽の瓶】に収まった。
ラズートチク少尉も踊り場に上がり、彼らのポケットに端末とその破片を押しこんで、【導く白蝶】学派の【火葬】を唱えた。
「やすみしし 現世の躯 離れ逝く 魂の緒絶えて
幽界へ 魂旅立ちぬ うつせみの 虚しその身の 横たわる
虚ろな器 現世にて 穢れ纏いて 横たわる 火の力 穢れ祓いて 灰となせ」
四人の若者と遺品が青白い炎に包まれ、瞬く間に灰になる。鉄パイプだけが燃えも焦げもせず、踊り場に残された。
少尉が屈んで、何か光る物を拾い上げる。麦粒くらいの【魔道士の涙】だ。
……一人は力ある民だったのか。
死体が残らなければ、行方不明扱いだ。この廃病院は、魔物が出ることが知られているらしい。通信相手は、彼らが捕食されたと思うだろう。
「残りの目撃者を始末する。魔哮砲は救急の処置室で待機させろ」
「了解」
少尉が音もなく階段を駆け上がるのを見送り、ルベルは魔哮砲に命令した。
「雑妖を食べながら、階段を降りろ」
闇の塊が【花の耳】越しの声に反応し、ぬるりと動き出す。逃げ遅れたモノを捕食し、あっという間に一階の廊下に流れ出た。
念の為、医局の前を避けて回り道させる。
通り道の雑妖を平らげ、待機場所のモノを食い尽くしても、魔哮砲はまだ足りないのか、隣接する診察室をしきりに覗き込んでいた。
「終わった。取引相手が現れる前に二番手の隠れ家へ急ぐぞ」
「了解」
廃病院の敷地と周辺を【索敵】で見回す。人通りがないことを確認し、魔哮砲に移動の指示を出した。少し時間を置いて、少尉がついて行く。
流石に公道上で目撃者を始末する訳にはゆかない。
塀の影など、闇に紛れる場所を通らせ、ついでに餌も与える。公営バスの車庫には機械の目……防犯カメラがあるので避けて通る。
その先の商店街に入るまでの住宅街は、比較的安全だ。
冬の夜に出歩く住人は滅多に居ない。時折、残業帰りの勤め人が現れるが、タブレット端末を見ながら歩くので、影のフリで大人しくさせた魔哮砲に気付く者はなかった。
ラズートチク少尉は、先の偵察で防犯カメラが少ないルートを調べ上げていた。
魔装兵ルベルは、バス道沿いに建つ民家の裏に魔哮砲を入れ、猫と鼠くらいしか通らないような隙間を移動させる。少尉は何食わぬ顔で、バス道脇の歩道を商業地区へ向かった。
LEDが落とす影は不自然なまでに濃い。
大通りを一本超えると、個人商店が軒を連ねる商店街に出た。
ここは、所々街灯に防犯カメラが設置され、一部の店舗は通りにカメラを向けている。営業時間終了後も泥棒対策として、カメラはずっと稼働していると言う。
……見てるだけで、直接、泥棒を捕まえられないって、機械の目は俺みたいなもんなのかな。
廃病院での目撃者は、ラズートチク少尉が一人残らず始末した。
ルベルは研究所の件で懲りて、無害そうな若者たちの存在を隠さずに伝えた。彼らがどこの誰と、他にどんな情報を交わしていたのか、端末が破壊された今となっては不明だ。
……ちゃんと口封じしないと、重要な情報が敵に渡ったら、また国民が大勢殺されるんだ。
運悪く居合わせた彼らには可哀想なことをしたが、これは戦争なのだと己に言い聞かせる。
商店街では、「子供たちにパンを!」などと書かれた手作りのポスターが目についた。湖上封鎖で食糧の輸入が滞り、アーテルで暴動が起こったと言う記事を思い出した。
よく見ると、シャッターが閉まっているのは、夜になって営業時間が終わった店よりも、二度と開かないところの方が多い。
長年の利用に感謝を述べる閉店のお知らせ、借金取りが貼ったらしき罵詈雑言の殴り書き、裁判所の差押の告知、不動産屋の空店舗広告が、灰色のシャッターに白く浮かんで見えた。
薄い雑妖が漂う商店街を抜け、魔哮砲が雑居ビルが並ぶ通りに入る。
信号待ちをする車の影伝いに車道を渡らせ、表通りの店の裏からビルの隙間へ這わせる。
この辺りには酒を出す店が多いと教えられた通り、酔っ払いがクダを巻き、あちこちに吐瀉物が落ちていた。路地裏にぎっしり詰まった雑妖は、しっかり形を成したモノばかりだ。
……一体、いつから祓ってないんだ? あ、そっか。祓えないんだ。
建前上、魔法使いが居ないアーテル本土では、穢れも雑妖も祓えない。
異界から迷い込んだ魔物は、すぐ受肉して魔獣になってしまうだろう。
雑妖は、魔哮砲に触れた途端に溶け崩れ、闇の塊と一体化する。廃病院で【従魔の檻】から出した直後は空腹で弱っていたが、ここに来るまでに捕食したモノを魔力に変換できたのか、動きが活き活きしていた。
本来の作戦では、雑妖の巣窟だった廃病院で充分、腹拵えさせて休息を与え、ルベルもしっかり遠隔操作訓練を積んで、数日後のもっと人通りが少ない時間帯に、二番手の隠れ家へ移動する筈だった。
アーテル人は、雑妖がぎっしり詰まった路地裏には目もくれず、道に溢れたモノが眼に入らないかのように夜の街を闊歩する。
……放っておいても、その内滅びるんじゃないのか? ……いや、そうでもないのか。ラニスタはもっと前からあるもんな。
すぐ、アーテルの隣にあるキルクルス教国を思い出した。ラニスタ共和国がどうやって生き延びているのか不思議だが、今はそれどころではない。
魔装兵ルベルは、数年前の魔獣発生とその殲滅作戦で壊れたビルの廃墟に魔哮砲を侵入させた。
☆研究所の件……「705.見張りの憂鬱」~「707.奪われたもの」参照
☆重要な情報が敵に渡ったら、また国民が大勢殺される……「759.外からの報道」参照
☆アーテルで暴動が起こったと言う記事……ルベルが読んだ記事は「750.魔装兵の休日」、詳細は「440.経済的な攻撃」参照




