799.廃墟の侵入者
「話し声がする。複数だ」
「……侵入者ですか?」
「まだ、姿は見えん」
……そっか、周りの様子も見なきゃいけないんだ。
魔装兵ルベルは己の未熟さを恥じ、慌てて【索敵】の目を廃病院に向けた。
「そこで待て」
雑妖を欲しがる魔哮砲に階段での待機を命じ、踊り場の階数表示で現在地を確認する。二階と三階の間だ。
現地に居るラズートチク少尉には聞こえたらしいが、ランテルナ島の宿で【花の耳】越しに聞くルベルは気付かなかった。
侵入者は上と下、どちらの階に居るのか。
住み着いた浮浪者なら、どの階に居ても不思議はないが、少尉が数日前に下見し、ルベルが昨日【索敵】で再確認した限り、人が住んでいる様子はなかった。
後から来た侵入者なら、下だ。
ルベルが【索敵】の視線を二階に下ろすと、すぐにみつかった。
四人の若者が懐中電灯を手に身を寄せ合って廊下を歩いている。
もう一方の手には、タブレット端末か、鉄パイプを持っていた。
何かを探しているのか、病室をひとつひとつ覗いて歩く。誰かが剥落した壁材やガラス片を踏み割る度に驚き、懐中電灯を取り落としそうになりながら足下を照らす。それが何か分かれば、引き攣った笑みを浮かべて顔を見合わせ、何か言い合って先へ進む。
着膨れた服装はまちまちで、警察官や警備員などではなさそうだ。
……そんなに怖いんなら、来なきゃいいのに。
彼らの様子は、何かの仕事で訪れたようには見えなかった。足下を這い回る雑妖に怯えながら、夜の廃病院を歩き回る彼らの目的はわからない。
大陸本土に住むアーテル人には、力ある民が居ない。外見通りの年齢で、まだあどけなさの残る彼らは、恐らく学生だろう。
……探し物なら、明るい時間に来るよな? 誰かと待ち合わせでもしてるのか?
趣味のいい待ち合わせ場所ではないが、目的がわからない以上、否定しきれなかった。
昨日までは人が住み着いた形跡はなかったが、今日、どこからか浮浪者が引越してきた可能性もある。
「二階の病室に若い男性四人、一部は鉄パイプで武装、現在二〇八号室に侵入しています。他にも侵入者がないか、捜索を継続します」
「了解」
ルベルは、二階に【索敵】を巡らせたが、雑妖以外の何者もみつからない。待ち合わせ相手が遅れたのかと思い、一階に視線を降ろした。
割れた窓から射し込む街灯が、廊下にくっきり明暗を描く。
下見の際、少尉が一掃したので、魔物は居ない。
魔哮砲の餌用に残した雑妖は、足の踏み場もないくらい居るが、廊下にはパンや菓子の空き袋や空き缶が落ちているだけで、人の姿はなかった。
二階では、ふらふら動く懐中電灯の光で侵入者をみつけられたが、一階には動く光がない。
……他の階段で、もう上に着いてるとか?
この病院には、東西と中央の三カ所の他、外に非常階段もある。
少尉と魔哮砲は中央階段で待機中だ。
ルベルは取敢えず、一階の各部屋を確認してから、庭と外階段を調べることにした。
ナースステーションは無人。からっぽの机や戸棚が放置され、窓に近いものは雨と日に晒されたせいで劣化が進んでいる。
隣のトイレは、検査用具などを置く棚が崩れて、変色した検尿の紙コップが散らばっていた。雑妖は多いが、人が立ち入った形跡はない。念の為、個室の中も確認したが、形を成した雑妖の巨大な目があっただけだ。
廊下の窓から中庭を見たが、誰も居ない。
二階の廊下で懐中電灯の光がふらふらしているのが見えた。
ぐるりと一周して病室やトイレ、手術室、診察室、救急処置室などを見て回り、最後に医局の札がついた部屋に【索敵】の視線を通す。
抽斗が飛び出たキャビネットの前に何か居る。
ルベルは【索敵】と【暗視】が同時に居使えないのをもどかしく思いながら、暗がりに目を凝らした。
生身の人間らしいが、灯も持たずに窓を背にして立つ姿は、影絵にしか見えない。辛うじて成人男性だとわかった。
「一階、医局に成人男性一人……あッ」
男が不意に動いた。
ポケットに手を入れたまま、戸棚の脇……窓の死角へ移る。
「どうした?」
「端末を出して、何かしています」
「画面を見ろ」
視線を移動すると、画面に照らされた男の顔が見えた。
くたびれた風貌の中年だ。面倒臭そうに見る画面には、誰かからの指示が表示されていた。内容を読み上げる。
「指示が来ています。えーっと……工場にガサ入れがあった。キャビネットの手付は確認したか? 今夜の取引は別の者を派遣する。一時間後には着く。目印は蠍のブローチだ。……発信元は不明です」
男が端末を操作し、画面に新しい文字が表示された。
「あッ! 一階の男が返事を出しました。見張りの奴が四階で真っ黒な魔物をみつけたから、早めに来て欲しい……とのことです」
「四階は見なかったのか?」
「申し訳ありません」
「まぁいい。一階の者の武器は?」
「不明です」
端末の光で革のジャケットが確認できた。
ほんの僅かに視線をずらし、ポケットを覗く。手の骨が見えた。ぶれる視界の中で筋肉や血管が動き、骨がちらちら見えるが、肝心のポケットの中身がわからない。少し先に視線を伸ばせば、足腰の中身が丸見えになった。
寒さを堪える為か、小刻みに身体を動かす対象相手にそこまで細かい調整は無理だ。
そもそも、【索敵】は遠方の敵を探すのが主な用途だ。細かい焦点合わせには向かない。ルベル自身、こんな細かい操作は初めてで、目の奥がじんわり痛んだ。乗り物に酔ったように頭痛と吐き気までしてきた。
諦めて男から視線を外し、こめかみを揉みながらゆっくり深呼吸して吐き気を鎮めた。
「医局は今、一人なんだな?」
「はい。一時間後に取引相手が来るようですが、人数は不明です」
「急な変更で、時間も目安程度だろうな。……私は一階へ行く。魔哮砲は引き続き待機。二階の集団を監視せよ」
「了解」
ラズートチク少尉は終始、感情が読めない平板な声で応答したが、ルベルは申し訳なさに宿のベッドで身を縮めた。
念の為、前庭と救急車用のスペース、外階段も確認して二階へ視線を戻す。
若者たちは、トイレの前に固まっていた。
一人が端末で何かをして、二人が横から覗いている。
……あれっ? 一人減ってる?
視線を動かすと、もう一人はトイレで小用を足していた。
ルベルも【索敵】の目で端末を覗く。短文の間に廃病院の写真が並んでいた。
――交代でトイレ休憩中だけど、何か質問ある?
――何も写ってないけど、ホントに雑妖の巣なのか?
――足の踏み場もないくらい居る。
――写真に写るレベルの濃い奴ってそんな居ないぞ。
今んとこ、そこまで濃いのに遭ってないんだろ。
――護符見せて、護符。
遣り取りの一行目は、発信者名と日付と時間らしい。端末の隅の現在時刻に近い。
……参ったな。
「二階の集団、写真付きで外部と交信中です」
「そうか。こちらはひとまず終わった。片付けが済み次第、行く」
「了解」
――夏休み、大聖堂に行った時に授かった奴だけど、信仰心薄いからかな?
雑妖スゲー集ってくるんだけど。
それに対して、何人もが笑い顔の絵文字で応える。
――中庭が涌くポイントなんだろ? もう一回視てくれよ。
――わかった。
三人が窓辺へ行き、中庭を見下ろす。
魔装兵ルベルもつられて中庭を視た。
病院の建物に囲まれ、街灯の光は届かないが、月明かりで充分、視界が利く。
日中は陽が当たるお陰で、院内より雑妖が少ない。枯れ草に埋もれた中庭には、朽ちたベンチの他は何もなかった。
――今んとこ、魔物は涌いてないな。
――なんだ。拍子抜けだな。
――居たらヤバいって。雑妖にも効いてないのに。
――カクタケアみたいに倒せる訳じゃないんだから、あんま無理すんなよ。
タブレット端末で撮った写真がすぐに送信され、通信文の中に表示された。
若者たちは、端末の操作は巧みだが、行動は素人丸出しだ。魔物が存在する可能性を知っていながら、誰も見張りをせず、全く周囲を警戒していない。
鉄パイプでは、この世の肉体を持たない魔物とは戦えない。今日はたまたま、ラズートチク少尉が事前に片付けたから居ないのだが、彼らが知る由もないことだ。
……何者なんだろうな?
魔装兵ルベルは、地下街チェルノクニージニクの宿で独り、首を傾げた。
先の一人がトイレから出てきた。彼が最後だったらしい。
――この後どうすんの?
――屋上まで行って、夜景見て帰る。
ルベルは若者の端末に表示された返信に面食らった。
……夜景? ホント、何しに来たんだ?
ルベルは、ぞろぞろ移動する四人を【索敵】の目で追いながら首を捻った。
まず、魔獣駆除業者ではない。
警察や警備会社の巡回でもない。
夜景を見るだけなら、他に安全な場所は幾らでもある。待ち合わせを誤魔化す方便にしては、一階の者とは身に纏う空気が全く異なる。無関係と見ていいだろう。
人数は不明だが、四階には一階の男の仲間が居る。
ルベルは視線を四階に巡らせた。
最上階のフロア、少尉と魔哮砲が通った廊下と中庭を挟んで向かい合う部分に人影が見える。二階で動く光を見下ろしていたが、月明かりが届かない所へ引っ込んでしまった。
……あれっ? これって、鉢合わせする?
若者たちに視線を戻すと、よりによって中央階段を昇っている。
魔装兵ルベルは、魔哮砲の聴覚に意識を向けた。




