795.謎の覆面作家
ロークは、商魂逞しい構成に感心した。
……成程な。
無料の部分だけでも、色々わかった。
男子中高生好みの設定と仕掛けを全体にちりばめ、メインターゲットの心をガッチリ掴んでいる。文体もやさしくて読みやすい。
あちこちに少しずつ、アーテル社会の闇や信仰に関する重いエピソードを織り交ぜ、それを抵抗なく読ませて読者に議論を促し、考えさせていた。
ローク自身、分析する為に一歩引いた視点から読んだのでなければ、ハマっていただろう。良識ある大人や、スキーヌムのような信仰エリートから毛嫌いされるのも、よくわかる構成だ。
聖職者が、敢えて寛容な態度でなあなあに済ませた理由は、幾つも思いついた。
強硬に出れば、反抗期の男子はこっそり隠れてでも読んで、却って目が届かなくなるから、と言うのがひとつ。
厳しく咎めれば、キルクルス教団自身が、これまで見て見ぬフリでやり過ごしてきた問題に直接向き合わされるから、と言うのがひとつ。
最後は、これもアイドルの歌同様、多少不道徳な内容であっても、若者の足を教会へ向けられるなら、目を瞑ろうというものだ。
そう考えたのは、ローク一人ではなく、ファンフォーラムのあちこちで同様の書き込みが見られた。
ハンドルネーム「オクトー」ことウルサ・マヨルも、肯定的な書き込みをしている。
――この物語には、自主的に聖典を読む気にさせる力があるよ。
現代の若者に合ったイイ伝道方法だよね。
教会で聖典の有難い話をしても、会衆が居眠りしてたんじゃ意味ないもの。
ウルサ・マヨルは、若者らしく柔軟な考えの持ち主らしいとわかった。
作者のプロフィールは非公開で、年齢、性別、職業など、何もかもが不明。
わかっているのは、ペンネームの「孤独な者」を意味する「アル・ファルド」と、出版で得た収入の大部分を、魔物に親を殺された子の支援に寄付していることだけだ。
寄付も賛否が分かれ、困っている子供たちに手を差し伸べる善人だと讃える者もあれば、不幸な子供を売名に利用する偽善者だと罵る者も居た。
ファンフォーラムでは両者の溝が埋まらず、作者のアル・ファルドが出版社を通じて寄付の報告をする度、魔物遺児支援基金や福祉施設が寄付の受取り報告とお礼を発表する度に、同じ言い争いが繰り返されていた。
金額は公表されていないが、八割寄付しても本の売れ行きが好調な為、残り二割でも相当な額になるらしい。
「子供たちを助ける為に」と、一人で同じ本を何冊も買って、友人知人に勧める者もあり、ますます売れ行きを伸ばしている。
……偽善者呼ばわりする人は、やっかみもあるんだろうなぁ。
ロークが思った通り、「無能の嫉妬叩き」「やらない善より、やる偽善」との書き込みがあちこちで目についた。
孤独な者は、男子中高生を中心に大きな影響力を持つが、表に姿を現さず、公式発言は件のインタビューと寄付の報告だけで、正体不明の覆面作家で通している。
正体について推測を語り合うコミュニティが幾つもあった。
――聖職者だから、身バレしたらヤバいんじゃないの?
――いやいや、やたら魔獣駆除業者に詳しいし、業者がイメージアップの為に書いてるんだよ。
――どう見ても、魔力あんのわかって、ランテルナ自治区に追放された奴が書いたルサンチマンの塊だって。
――退役軍人だろ。
――ミリオタ兼オカルトマニアじゃね?
――身バレしたら、星の標に命狙われんだろ。怖くて正体バラせないって。
情報が少な過ぎる為、どの説も尤もらしく見えるが、全てが見当違いにも見えた。
作品の舞台は、全て実在する場所だ。
ファンフォーラムには、作品の舞台となった場所に印を付けた「聖地巡礼地図」が、何枚も載っている。
ロークは、地名のリンクを踏んだ。
第何巻のどのシーンかと言う詳細な説明だけでなく、実際に行ったファンの旅行記と写真が大量に並んでいた。付近の美味しい飲食店や、手頃な値段のお土産が買える店、安い宿などのリンクなども貼ってある。店や料理、お土産の写真も投稿され、賑やかなページだ。
オクトーも、ルフスやイグニカーンス市の教会や店、公園などを巡っていた。個人名は出していないが、同級生数人と一緒に行ったらしいのが窺える。
……楽しそうだな。
聖職者の修行と勉強に明け暮れる優等生のスキーヌムより、ずっと充実しているように見えた。
オクトーことウルサ・マヨルに「本名で書き込む者は居ない」と教えられたが、確かに喧嘩腰の白熱した議論や、現実の信仰への疑問、キルクルス教会への不満など、不穏な書き込みは、匿名だからこそ明かせた若者たちの本音なのだろう。
現実の社会では、身近に居る「良識ある大人」や聖職者に叱られる。
この考えを頭ごなしに否定されて、疑問を口にすることもできない。
実家に居た頃の祖父たちを思い出し、ロークはそっと溜め息を吐いた。
ロークたちが小学生の頃、ベリョーザの弟がニェフリート河で亡くなった。
「おうちから穢れた子が居なくなってスッキリしちゃった」
ベリョーザは弟の死を嬉しそうに語った。
「男の子なんだから、お外で元気に遊びなさい」
彼女の両親は、三歳児検診で息子に魔力があるとわかって以来、食事の量を減らし、なるべく家に居ないよう、外で遊ぶことを強要した。近所の人にそれと悟られぬよう巧妙に、少しずつ発育を阻害し、家での居場所を奪っていた。
そしてとうとう、夏のある日、他の隠れキルクルス教徒と協力して、事故に見せかけてニェフリート河に流したのだ。
母親は「近所の子」の報せを受け、河に飛び込んでみせたが、助けるフリをしただけで、我が子が流されるに任せた。
流したのは、勤務先を抜け出した父親だ。
目撃者は、全て隠れキルクルス教徒で固め、疑いの目が向けられないよう、綿密に口裏を合わせていた。
母親は「近所の人」の助けで岸に上がったが、遺体は河の魔物に食われて回収できず、警察は「夏によくある不幸な事故」として処理した。
「もしも、僕に魔力があったら、河に捨てられてたの?」
「バカなことを言うんじゃない!」
ロークの質問は祖父に一蹴され、ディアファネス家では以降、この話題はタブーになった。
両親は、何事もなかったかのように家族ぐるみの付き合いを続けている。まるでベリョーザが最初から一人っ子だったかのように、力ある民の息子の存在はなかったことにされていた。
追放者説を唱えるコメントには、真偽や詳細が不明な薄暗い情報がぶら下げられていた。
――近所の子が魔力あるってわかって、星の標に殺されたって噂がある。
――近所の家で子供が急に居なくなったのに捜索願とか出してないんだ。
魔獣とかに食われたんなら、葬式するのに、何もナシ。
そこんちは、最初から居なかったみたいに普通にしてて、聞くに聞けない。
――遠縁の親戚が魔力のある子を産んで無理心中したせいで肩身狭いよ。
遠縁でほぼ他人なのに、そいつのせいで姉ちゃんが破談された。
「隔世遺伝で穢れた子が産まれるかもしれないから」って。
ウチの姉ちゃんまで魔女呼ばわりとかマジ勘弁して欲しい。
――マジでクソだよな。内乱前の魔法の遺物なんて全部壊せばいいのに。
――道端の呪文入りタイルとか、魔力検知の罠みたいなもんじゃないか。
――役所も星の標も放置してるなんて……ひょっとして、ワザとなのか?
――親戚の子が森に捨てられた。今頃は魔物に食われてるだろうな。
不穏な書き込みに心が凍った。
……ランテルナ島に捨てられて、魔法使いに拾われた子は、まだマシな方なのかな?
これらが全て本当のことだとしたら、アーテル……いや、キルクルス教中心の社会では、力ある民を人間扱いしていないことになる。
もし、クルィーロとアマナの兄妹がアーテル領で産まれていれば、アマナは年の離れた兄の存在を知らず、一人娘として育っただろう……などと暗い想像をしてしまい、ロークはギュッと目を閉じた。
☆ベリョーザの弟がニェフリート河で亡くなった……「511.歌詞の続きを」参照
☆キルクルス教中心の社会では、力ある民を人間扱いしていない……「753.生贄か英雄か」参照




