791.密やかな布教
ピナティフィダが、薄紅く染まった空を見上げて溜め息を吐く。運転手のメドヴェージが、ドングリの殻を剥く手を止めて笑ってみせた。
「王都は平和だし、どっちも魔法使いがついてる。大方、役所と神殿が混んでんだろ」
「う、うん。そうですよね。逆に、こっちより安全ですよね」
作り笑いで応えた直後、失言に気付いて表情が消えた。
エランティスは、南東の空を見詰めて動かない。
クルィーロは居たたまれなくなり、荷台に上がりながら言った。
「もうすぐ帰って来るよ。晩ごはん作って待ってよう」
料理と言っても、魚の干物を細かく千切って煮た上に缶詰のスープを足して加熱するだけだ。鍋を火から下ろして、香草茶を飲んでレノたちの帰りを待つ。
「先程の件だが……」
ソルニャーク隊長の目が、焚火を越えてギアツィント市を見下ろす。湖水のように静かな瞳は揺らぐことなく、何でもないことのように続ける。
「仮設住宅などを中心に、聖者キルクルスの教えが広まっている」
「何ですって? それは……星の標が?」
ジョールチが、眼鏡の奥で目を見開く。
レーフは言葉もなく、ソルニャーク隊長の横顔を見詰めた。
隊長は、暮れなずむ街から視線を外さずに答えた。
「恐らくそうだろう。それとは別に、自治区外に潜伏するキルクルス教徒も、布教活動を始めたかも知れん」
「何故、そう思われるのですか?」
ジョールチが、香草茶のカップを鼻先に引き寄せて聞いた。
「あるゼルノー市民から、隠れキルクルス教徒の存在を教えられた。国営放送ゼルノー支局の支局長もその一人で、予め、アーテルから情報を得ていたから、空襲前に局を捨てて逃げたのだろうとのことだ」
「その人は、信用できる人物なんですか?」
「彼の家族が、隠れキルクルス教徒で、信仰の違いから縁を切ったらしい」
隊長が、微妙にぼかして答える。
クルィーロは思い切って言った。
「その人の話だと、ゼルノー市だけじゃなくて、ネモラリス島にも居て、レーチカのパド……えっと、パドなんとかって国会議員もそうだって言ってました」
「国会議員? 自治区のラクエウス議員ではなく、レーチカ選出で間違いないのか?」
ジョールチに信じられないモノを見る目を向けられ、クルィーロは言葉を選んで説明した。
「秦皮の枝党だそうです。呼称は、アウェッラーナさんが手帳に控えてるんで、後で聞いて下さい」
「信仰を偽ってまで、主神派の党に……? それが本当なら、一体いつから紛れ込んで……」
国営放送のアナウンサーは片手で額を覆った。
「仮設入居者の様子を見た限り、明確にキルクルス教の聖句として教えを受けたのではなく、励ましの言葉やボランティアのスローガンなどに混ぜて、それと知らせず広めているようだ」
「魔法生物は、三界の魔物の親戚みてぇなモンだから、絶対この世に居ちゃダメだし、そんなモンを使う政府軍は悪者だってハナシも広まってたッス」
少年兵モーフの報告には、クルィーロも頷き掛けたが、ファーキルがタブレット端末で見せてくれたラクリマリス王国の報道発表との微妙な差に気が付いて、動きを止めた。
「確か、条約の決まりを守る限り、魔法生物の製造自体は禁止されてなくて、五百年くらい前まではフツーに作られてたんだったよな?」
「じゃあ、長命人種のお年寄りは、当時のことを知ってるハズだよな。まぁ、仮設に入ってる人たちは、力なき民が多いんだろうけどさ」
DJレーフも違和感を覚えたらしい。
確かに【深淵の雲雀】学派は忌み嫌われ、積極的に魔法生物の製法を学ぶ者が多くなかったから、五百年くらい前に失われたのだろうが、ラクエウス議員たちは告発動画で、魔哮砲が開発されたのは、七百年くらい前だと言っていた。
あの動画では、雑妖を効率よく始末する掃除機のようなものとして開発したが、予期せぬ「破壊力」を持っているのが判明し、封印されたと言っていた。
……掃除機の開発を秘密にするとは思えないし、当時はフツーに便利なモノ扱いで……そこまで酷い言われようじゃなかったっぽいけどなぁ。
七百年も経てば、社会も人の心も大きく変わる。
魔法生物の製法が失われた後は、遺跡から見つかった魔法生物は、破壊されるか、それが無理なら湖西地方に捨てられるようになった。
「聖者様の教えに、三界の魔物の災いを二度と起こしちゃなんねぇ、あんなヤベーもん作っちまう魔術は“悪しき業”だから、絶対ダメだってのがあるッス」
少年兵モーフの失言に、メドヴェージだけでなく、ピナティフィダまで顔色を失った。クルィーロも多分、同じ顔をしただろう。エランティスが泣きそうな顔でソルニャーク隊長を見たが、星の道義勇軍の小隊長は、無言でアナウンサーとDJの反応を待っている。
DJレーフが、マグカップに唇を付けて深呼吸した。
「……もし、違ってたらゴメンだけど、モーフ君が、その……隠れキルクルス教徒の身内と縁を切った情報提供者さん?」
「違うッス、俺は……」
そこまで言ってやっと失言に気付いたらしい。少年兵モーフはヒュッと音を立てて息を呑み、ソルニャーク隊長の顔色を窺った。
時間が止まったかのような沈黙が続く。
凍った空気を動かしたのは、レノたち王都組の帰還だった。
☆あるゼルノー市民から、隠れキルクルス教徒の存在を教えられた……「546.明かした事情」「569.闇の中の告白」参照
☆国営放送ゼルノー支局の支局長もその一人で、予め、アーテルから情報を得ていたから、空襲前に局を捨てて逃げたのだろう……「128.地下の探索へ」「129.支局長の疑惑」参照
☆呼称はアウェッラーナさんが手帳に控えてる……「637.俺の最終目標」「654.父からの情報」「655.仲間との別れ」参照
☆魔哮砲が開発されたのは、七百年くらい前だと言っていた……「496.動画での告発」参照




