787.情報機器訓練
魔装兵ルベルは、トレンチコートを纏い、初めて袖を通した冬物の厚さに何とも言えない胸苦しさを覚えた。
どの服も生地が二重になっており、外からは呪文や呪印が見えない。
荷物は小さな背負い袋がひとつとウェストポーチ。他は全て現地調達を言い渡された。
この作戦に同行する情報部少尉は、慣れた手つきで薄い板を撫でていた。
ルベルにも、同じ物が支給されている。トレンチコートの内ポケットから取り出し、教えられた手順で起動した。間違いなく、小さな絵が幾つも並ぶ「ホーム画面」が現れる。
「ラズートチク少尉、何を見てらっしゃるんですか?」
少尉は、暗い金髪にも明るい茶髪にも見える前髪を掻き上げ、赤毛のルベルにタブレット端末の画面を向けた。
「地図……ですか?」
「あぁ。そこの、カルダフストヴォー市だ。潜伏先はその地下街チェルノクニージニク」
「ラズートチク少尉、協力者は地下街の住人なんですね?」
「地上と地下、両方だ。それよりルベル、ここで情報収集する間、これの使い方をしっかり身につけろよ」
ラズートチク少尉は今朝、魔装兵ルベルを【跳躍】でランテルナ島南西部の廃港に運んだ。
岸壁や荷揚げ施設は、半世紀の内乱中に破壊されたままだが、新しいコンクリ造りの小屋があり、屋根には見たことのない形のアンテナが立っていた。
「近くにこの形のアンテナがあれば、インターネットに接続できる。建物の中や地下街でも、無線で繋がる所がある。接続時の注意点を言ってみろ」
「はい。画面隅のアンテナ表示の本数を確認。無線LANは、暗号化の有無を確認し、暗号の鍵が掛かっているところでのみ接続する。えーっと、野良LANには触らないこと……です」
ランテルナ島到着後、半日掛かりで教え込まれたことを復唱する。
魔装兵ルベルとラズートチク少尉は、朝からずっと屋根が落ちた廃墟に居る。風化が進んだコンクリ塊に腰を下ろし、ルベルは小さな画面に悪戦苦闘していた。
「よし。では、端末使用に於ける禁止事項と注意点は?」
「電話、メール、その他の連絡機能は、通信傍受回避の為、絶対に使用しない。連絡は【花の耳】で行うこと。ブラウザ使用時は、広告の類に接触しないこと。いきなり表示される小さな窓は何もせずに閉じること。電力の残量に注意を払い、なくなる前に充電すること」
「違う。充電できる状況下では、その都度、必ず充電する……だ」
「すみません」
ルベルが大きな身体を小さくして謝ると、魔装兵より一回り小さい情報部少尉は淡々と説明を続けた。
「作戦行動中、いつでも充電できると思うな。飲食店などが解放しているコンセントは積極的に活用しろ」
「は、はい!」
魔装兵ルベルがラズートチク少尉の言葉を復唱し、俄仕込みのインターネットリテラシー教育が進められる。
昼食を挟んで更に数時間、みっちり教え込まれ、頭の中が飽和状態になる頃には、日が傾きつつあった。
「この携帯用充電器付属の充電池は、【魔力の水晶】のようなものだ。空になっても繰り返し充電できる。端末だけでなく、これの充電も怠るなよ」
ラズートチク少尉がようやく腰を上げ、ルベルの手首を掴んで【跳躍】した。
風景が一変し、目の前に古びた石畳に囲まれた畑が広がった。その向こうには、カルダフストヴォー市の巨大な防壁が聳える。ラキュス湖から吹きつける風に枯れ草がそよぎ、何も植わっていない畝の土が少し崩れた。
「ルベル、市街地での注意事項は?」
「アーテル本土の街は、到る所に機械の目があり、住民や通行人は常に監視されている。従って、市街地での魔法の使用は禁止。やむを得ない場合は、トイレの個室内など、監視が禁止されている場所へ移動すること」
「お前が単独で市街地に侵入する事態にならぬよう、配慮はするが、不測の事態と言うこともある。くれぐれも、魔法使いであることが露見せぬようにな」
「はい!」
勿論、【飛翔する蜂角鷹】学派の徽章は、服の中に隠してある。
ラズートチク少尉は【偽る郭公】学派だそうだが、徽章は確認していない。本当にそうだとすれば、陸軍情報部少尉のこの顔は、素顔ではないのだろう。
これと言って特徴のない中肉中背の中年男性は、顔の印象も薄い。ルベルは丸一日一緒に居たが、覚えられた気がしなかった。
「カルダフストヴォーとチェルノクニージニクにも監視カメラはあるが、ここの住民が自らアーテル軍に情報提供することはない」
「但し、通信傍受などで軍が無断で情報を得ることもある……ですね?」
「そうだ。力ある民の自治区だからと言って、気を抜くなよ」
二人は西門をくぐり、防壁内に足を踏み入れた。
カルダフストヴォー市と地下街チェルノクニージニクは、大昔の腥風樹の繁殖と、半世紀の内乱から守り抜かれた古い街だ。ルベルには、ネモラリスの首都クレーヴェルよりも都会に見えた。
地味で目立たない少尉を見失わないよう、夕暮れの雑踏を小走りについて行く。
地下街チェルノクニージニクに降り、ラズートチク少尉は迷いのない足取りで、美味そうな匂いを漂わせる定食屋の扉をくぐった。
中央に立派な獅子像が据えられ、その周囲にテーブルが配されている。壁際にはカウンター席もあり、ほぼ埋まっていた。品のいいエプロンドレス姿の給仕たちが、客席の間を忙しく行き交う。
店の空気は、昼に堅パンを食べただけの身には刺激が強かった。二人掛けの席に着くなり、盛大に腹が鳴る。
ルベルは恥ずかしさを誤魔化そうと、質問した。
「ここが……?」
「いや。オムレツが旨いと評判の店だ。どれ、旨いメシ屋のみつけ方を教えてやろう」
小さく手招きされ、ルベルはテーブルに身を乗り出した。
料理を待つ間、飲食店の口コミサイトを見せられ、今日習ったばかりのことを実地におさらいする。
サイトのコンテンツと広告の見分け方、一般の客が好き勝手に提供した情報の信用度の測り方、写真が投稿者自身の撮影か、プロが撮影したものの無断借用なのかの見極め方、地図の表示方法、現在地の確認方法、情報の鮮度。
魔装兵ルベルは、情報の洪水に目眩がした。
……科学文明国じゃ、子供でもこんな膨大な情報を扱うのか。
あの日、アル・ジャディ将軍が語った「情報戦の敗北」が意味することを改めて噛みしめた。
☆大昔の腥風樹の繁殖……「382.腥風樹の被害」参照
☆あの日、アル・ジャディ将軍が語った「情報戦の敗北」……「410.ネットの普及」「411.情報戦の敗北」参照




