785.似たような詞
「陸の民でも、湖の神様にお祈りすんのか?」
「ん? どうしたんだ、急に?」
クルィーロが声を潜めた。
放送局の二人は、アマナとエランティスに歌詞の説明をされ、こちらには気付かないようだ。
「湖の民も、木の神様をアテにすることってあんのか?」
モーフが小声で質問を変えると、クルィーロは少し首を傾げながらも、きちんと答えてくれた。
「王都の大神殿は、主神のフラクシヌス様と湖の女神パニセア・ユニ・フローラ様、それに岩山の神スツラーシ様がまとめて祀られてるから、みんな特に気にしないで、自分の好きな神様にお祈りしてるけど……どうしたんだ? 急に……」
「仮設住宅で、陸の民の人たちがお祈りっぽいの言ってたんだ。俺らのお祈りにちょっと似てたからさ、どの神様信じてようと、結局、一緒なのかなって」
「どんなお祈りだった? 橋の上で言ってたみたいに何かの呪文っぽかった?」
クルィーロが身体ごと向き直り、ソルニャーク隊長とメドヴェージも真剣な顔をモーフに向けた。
少年兵モーフもそう言われて、キルクルス教の聖句が【魔除け】の呪文の湖南語訳だと教えられたのを思い出し、ギョッとする。
「俺、呪文知らねぇから、わかんねぇよ」
「えっと、じゃ、どんなお祈りだった?」
クルィーロが聞くと、ソルニャーク隊長とメドヴェージがモーフの後ろに座った。少年兵モーフは懸命に記憶の糸を手繰ったが、憶えるつもりで聞かなかったので、ぼんやりとしか思い出せない。
「えーっと……あー……今は幸せの道が暗くても、えっと、星を見失わなきゃ、必ず朝が来る……だっけか? 何せ、今は真っ暗だけど、その内イイコトあるから星の光を頼りに頑張れみたいな……」
「確かに、祈りの詞に似ているな。クルィーロ君、どうだ?」
「うーん……俺、知ってる呪文少ないんで、これだけじゃちょっと……」
隊長に聞かれ、クルィーロはマグカップを持って立ち上がった。スープのお代わりを入れるついでに、葬儀屋のおっさんを呼ぶ。
やってきたアゴーニにモーフが説明を繰り返すと、【導く白蝶】学派を修めた葬送の専門家も「知らねぇな」と首を振った。
「そんな似てんのか?」
「直接聞いてみんことにはわからんな。モーフ、どこの仮設だ? 明日、ポスターを剥がすついでに聞いて来よう」
「すんません。ねーちゃんが地図見ながら行ったんで、わかんねぇッス」
アマナたちの説明はいつの間にか終わっていた。
ジョールチとレーフがこちらをじっと見ている。
クルィーロが急いでスープを飲み干し、トラックの荷台に上がった。メドヴェージが運転席に回って荷台の側面を開ける。
「先に通しでレコードを聴いて下さい。歌はその後で」
クルィーロが声を掛けると、ジョールチがレコードを抱えて荷台に上がり、術で発電機の騒音を黙らせた。
夜の森に交響楽団の演奏が流れる。「すべて ひとしい ひとつの花」だ。少年兵モーフは、久し振りで耳にした曲にホッとして、何故か涙が出そうになった。
レコードを裏返す頃には、みんな食事を終えた。
後片付けをしながら明日の役割分担を話し合う。
こんなところで天気予報のBGMを聞きながら、そんなことをするのは不思議な気分だ。
クルィーロがレコードを「国民健康体操」に換えた。移動販売店見落とされた者のみんなは一カ所に固まり、数カ月ぶりに平和を呼び掛ける未完の歌を歌う。少年兵モーフは、歌詞を忘れていなかった自分を意外に賢いと思った。
近所のねーちゃんアミエーラと、高校生のローク、ラクリマリス人のファーキルが抜けた穴は、思った以上に大きかったと気付く。
歌を知らないおっさん四人は、焚火の向こうでお茶を飲むのも忘れて聞き入っていた。曲が終わると同時に四人がマグカップを置いて手を叩く。
拍手が終わるより先にホイッスルが鳴り、ソルニャーク隊長とメドヴェージ、エランティスとアマナが、レコードの声に合わせて体操を始めた。
……チビたち、いつの間に覚えたんだ?
モーフは、ピナたちと一緒に脇へ退きながら、四人の一糸乱れぬ動きを眺めた。
「これ、ニュースの間に流しません?」
「それでは、次は国民健康体操です。ご存知の方は身体を動かしてみましょう……などと言って運動を促すのか?」
DJの提案にアナウンサーが困惑する。
……名案だと思うけどな。
少年兵モーフは口を挟まず、放送局員の遣り取りを見守る。
「こりゃまた懐かしいモンを……知ってる奴らは喜ぶんじゃねぇか?」
「当時小学生以上だった人は、みんな覚えているでしょうね」
葬儀屋のおっさんが笑顔で加勢し、パドールリクも頷く。
……そう言やぁ、あのでっけぇお屋敷でも、おっさんたちが喜んでたな。
ドーシチ市商業組合長の屋敷で、跡継ぎのアウセラートルと使用人たちが、懐かしいと顔を綻ばせていた。
「じゃ、行くよー」
クルィーロがもう一度、「すべて ひとしい ひとつの花」を流す。レコードの針が落ちると同時に演奏とみんなの歌が始まる。クルィーロは荷台から飛び降り、少し遅れて歌に加わった。
フルオーケストラの演奏を背に歌詞が途中の歌を歌う。
穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える
涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる……
ここから先は歌詞がなく、楽器だけだ。
四人は、これにも惜しみなく拍手する。
続いてピアノだけの主旋律が始まり、ピナとエランティス、アマナが港公園で教わったと言う別の歌詞で歌った。女の子三人の歌声は、湖水のように透き通り、森の夜空に吸い込まれる。
ゆるやかな水の条
青琩の光 水脈を拓き 砂に新しい湖が生まれる
涙の湖に沈む乾きの龍 樫が巌に茂る
この祈り 珠に籠め
この命懸け 尽きぬ水に
涙湛え受け この湖に今でも……
モーフはずっと聴いていたいと思ったが、サビの手前で唐突に終わった。
「これだけ?」
「うん。あのお兄さんも、ちゃんと覚えてないって……ゴメンね」
思わず漏らした呟きだったが、ピナに謝られた。
少年兵モーフは何とか取り繕おうとしたが、自分でも何を言っているのかわからなくなり、口の中でモゴモゴ言葉にならない声をこねくり回すだけに終わった。
メドヴェージが、笑いながらモーフの肩を叩く。
「何やってんだ坊主?」
「ってぇ、何すんだおっさん!」
みんなが吹き出し、頬がカッと熱くなったが、ピナも笑っているのに気付いて、どうでもよくなった。
その間にもフルート、ギター……と単一楽器のアレンジヴァージョンが流れる。
「放送って、一回だけですか?」
「リスナーの反応が良くて、場所を変えて何日かできればいいんだけどね」
「妨害が入らなければ……の話です」
クルィーロの質問にレーフとジョールチが言葉を濁す。
下手を打つと政府軍に捕まるかもしれない。
DJレーフが、パンとひとつ手を叩いた。
「ま、なるようにしかならないんだし、やるだけやってみよう。さっきの歌、番組ジングルの代わりに歌ってくれないかな?」
「えっ?」
「録音できないから、生歌で」
「どのお歌?」
アマナが聞くと、レーフはよくぞ聞いてくれたとばかりに瞳を輝かせた。
「番組の最初に百周年の歌。歌詞が終わったらレコードのボリュームを絞って、ニュースを何本か読んで、国民健康体操の替え歌。それからまたニュース。それが終わったら、号令入りの体操をそのまま流す。番組の最後に『歌詞を募集しています』って言って、最初と同じ歌……っての、どう?」
今度は誰からも異論が出ず、役割分担を決め直す。
移動販売店見落とされた者のメンバーは本番で歌う。
DJレーフは放送機械の操作、アナウンサーのジョールチが原稿を読み上げ、クルィーロたちの父パドールリクが、トラックの屋根で送信アンテナを支える。
段ボールの看板は、葬儀屋アゴーニが【跳躍】で持って行く。
ギアツィント市外東の道路沿いに立つ標識に貼り、放送中は門の手前に立って看板を持ち、ドライバーに説明することになった。
☆橋の上で言ってたみたいに何かの呪文っぽかった……「308.祈りの言葉を」参照
☆術で発電機の騒音を黙らせた……「711.門外から窺う」参照 【消音】の術。
☆ラクリマリス人のファーキル……「545.確認と信用と」「568.別れの前夜に」「569.闇の中の告白」参照
※ ソルニャーク隊長とメドヴェージは、ファーキルがアーテル人だと見抜いていた。ファーキル自身、ロークには明かしたが、誰もモーフに教えていない。
☆あのお屋敷でも、おっさんたちが喜んでた……「243.国民健康体操」参照
☆港公園で教わったと言う別の歌詞……「577.別の詞で歌う」~「579.湖の女神の名」参照




