783.避難所を巡る
薬師のねーちゃんは、役所でもらったと言う避難所と仮設住宅の地図を時々見ながら歩く。
道行く湖の民はみんな割といい服を着ているが、陸の民の中には、少し焦げた服や破れを繕った服を着ている者も居た。
……あれが、最近焼け出されて来た奴か。
彼らは、それでもまだ、リストヴァー自治区に居た頃のモーフよりもいい服を着ていた。よくわからない苛立ちを誤魔化す為に質問する。
「ねーちゃん、魔法って知らねぇとこに行けねぇんだろ? 地図見たら行けるようになんのか?」
メドヴェージは、初めて訪れた街で地図を見て駐車場をみつけて、トラックを停めていた。
魔法でも同じことができるのかと思ったが、緑髪の魔女は首を横に振った。
「昨日、東の【跳躍】許可地点に行ったからよ。仮設住宅がある公園にもあるみたい。そこを捜した後で跳ぶから、もう少し待ってね」
どうやらこの魔女には、モーフが早くピナのポスターを貼りたくてうずうずしているのがバレているらしい。
少年兵モーフは、二歩遅れて薬師のねーちゃんについて歩いた。
ひとつ目の仮設住宅は、中学校の校庭にあった。
同じ形のプレハブ長屋がグラウンドを埋め、その隙間で洗濯物がはためく。モーフも校庭に入った。
ギアツィント市の中学は、リストヴァー自治区より立派だ。校舎の窓を横目で窺うと、大勢の生徒が黒板に向かっていた。
聖者キルクルスの教えは、叡智と知識で“悪しき業”に頼らぬ新しい世界を拓くことを旨とする。
教育に力を入れ、学費は無料で誰もが学べる……ハズだが、モーフは生活費を工面する為に、幼い頃から働きに出て、小学校もロクに行けなかった。
日々の忙しさに紛れて、いつも間にか自分の年齢もわからなくなった。
ドーシチ市の屋敷でご馳走を食べさせてもらって、身体がしっかりして背も少し伸びたが、元が栄養不足の発育不良だから、まだピナよりも少し低い。
……あのババァ、子供扱いしやがって!
今更、腹が立って来たが、怒りのぶつけどころがない。
苛々した耳にどこかで聞いたような言葉が飛び込んだ。
「確かに、今は幸せへの道が暗くて遠いように思えるでしょう。でも、希望の星を見失わなければ、必ず朝の光を迎えられます。もう少しの辛抱ですよ」
「頑張ってください。次は、明後日にお伺いしますね」
「ホントにいつもありがとうね。助かるわ」
プレハブ長屋の戸口で、住人の老婆が若い女とおばさんの二人組と話していた。
若い方が老婆の手をそっと離して「じゃあ、また明後日」と念押しして、二人組は三軒向こうの戸を叩く。
アウェッラーナは、別の扉の前に居た。人のよさそうな金髪のおばさんに事情を話し、心当たりがないか尋ねている。
「船持ってる漁師さんだったら、そのまま働けるし、この辺じゃなくて、港の方に居るんじゃないかい?」
「港は、もう捜したので、ひょっとしたら……と思って……」
「あ、そんなつもりで言ったんじゃないんだよ。水の縁が繋がって早くお兄さんたちと会えるように、私もお祈りするから、ねっ?」
今にも泣き出しそうな湖の民の肩に手を置いて、陸の民のおばさんがお祈りの文句らしきものを唱える。
……ん? 陸の民でも湖の神様にお祈りすんのか。
少年兵モーフは、ピナたちが祈っていたかどうか思い出せなかった。
もしかすると、王都で神殿に行った時にお祈りしたかもしれないが、モーフはついて行かなかったので、西神殿とやらが、どの神様を祀っているのかも覚えていなかった。
「私はこないだ入居したばっかりだからね。自治会長さんに聞いてみよう」
アウェッラーナがおばさんとどこかへ行くので、モーフもはぐれないようについて行く。
おばさんは、自治会長がどこに居るのか聞いて回りながら、ついでのように湖の民の漁師のことも聞く。
大抵の住民は知らないと首を振り、おばさんの後ろで暗い顔をする湖の民に気付いた何人かは、おばさんと同じで「港に居るのではないか」などと、慰めにもならないことを口にした。
自治会長は、集会所で役人やボランティアと何か話し合っていた。
「丁度よかった。このコ、身内の漁師さんを捜してるそうなんだけどね……」
おばさんは、みつかったも同然だと言いたげな顔で聞いたが、三人とも首を振った。自治会長が役人に聞く。
「避難船の登録、してませんでしたっけ?」
「役所は、昨日行って来ました」
アウェッラーナが涙を堪えて言うと、自治会長は眉を下げて役人と顔を見合わせた。役人は気の毒そうな顔をするだけで何も言わない。
ボランティアが目を伏せ、湖の民の手を取って励ます。
「今は幸せへの道が暗くても、希望の星を見失わなければ、必ず朝の光を迎えられますからね。明けない夜はありません。二人が生きてさえいれば、きっとこの空の下で再会できますよ」
薬師のねーちゃんは、項垂れるも同然に頷いて、そのまま顔を上げなかった。
……さっきの二人も言ってたな。これが木の神様のお祈りなのか。
どこか懐かしさのある響きは、キルクルス教徒のモーフにも心地よく聞こえる。アウェッラーナは涙を拭いて顔を上げ、消え入りそうな声で礼を言った。
仮設住宅を出て、道々、神殿や公民館、魚屋などでも尋ねて回ったが、噂のひとつも聞こえなかった。
ふたつ目の仮設住宅では、尋ねてすぐ集会所に案内された。
髪の色も年齢もバラバラの人たちが、スープを食べている。
「あ、お食事中でしたか。すみません。出直します」
「いいよ、いいよ、大勢の方が賑やかで楽しいから」
「一緒にあったかいもん食おう」
手招きされ、席を勧められた途端、返事の代わりにモーフの腹が鳴った。
「おなか空いてるんだよねぇ」
「早くそこ閉めて、こっち来てあったまんな」
「ありがとうございます。堅パンは持ってるんで、席だけお借りします」
アウェッラーナが中に入ったので、モーフも続いた。
戸が閉まり、ストーブのぬくもりに肩の力が抜ける。
集会所は思ったより広く、折り畳み机を何台も並べてあった。ざっと三十人か四十人は居るだろうか。
「単身者向きの昼食会なんですよ」
なんだかよくわからないが、エプロン姿の若者の説明に頷いてみせる。
「堅パンは取っといて、あったかいの食べなよ」
「さ、遠慮しないで」
スープを盛った小振りの深皿を差し出され、ポスターを挟んだ段ボールをパイプ椅子に置いて受け取る。
「私たち、人捜しに来ただけなんで……」
「こんなご時世だ。まずは腹拵えして、腰据えてじっくり行こうや」
遠慮する湖の民に同族のおじさんが、悲しみの混じった笑顔を向ける。
赤毛のおばさんが、アウェッラーナの前にスープを置いた。
「外は寒いからねぇ。その上、おなかまで減ってたら、余計惨めになるよ」
「いっぱいあるから、どんどん食べてくれ」
「薄いけどな」
「人捜しって、他所から来たのかい?」
「どこ回って来たの? 他所の話、聞かせてよ」
あちこちから声が上がり、ゼルノー市と王都ラクリマリス、首都クレーヴェルとレーチカ市のことを語った。
ゼルノー市から王都まで、どうやって行ったかは聞かれない。モーフは余計な口を滑らせないよう、遠慮なくスープを食べた。
アウェッラーナが、運び屋フィアールカから聞いた難民キャンプの様子を答えると、仮設の住人とボランティアは食べるのも忘れて聞き入った。
結局、ここで一時間以上過ごしたが、アウェッラーナの身内も、モーフが代わりに聞いたピナの母ちゃんのことも、わからず仕舞いだ。
「そんながっかりしないで。今は幸せへの道が暗くても、希望の星を見失わないで。お互いが道を外れなければ、厄から守られてきっと会えますから」
「そうそう。生きてんのはわかってるんですよね? 光が絶望の闇を拓いて、必ず朝の光を迎えられる時が来ますから」
エプロン姿の若いボランティアたちが励ましたが、アウェッラーナの顔は冴えなかった。
☆メドヴェージは、初めて訪れた街で地図を見て駐車場をみつけて、トラックを停めていた……「643.レーチカ市内」参照
☆ドーシチ市の屋敷でご馳走を食べさせてもらって、身体がしっかりして背も少し伸びた……「293.テロの実行者」参照
☆少年兵モーフは、ピナたちが祈っていたかどうか思い出せなかった……「573.乗船券の確認」参照←モーフはすっかり忘れている。
☆王都で神殿に行った時にお祈りしたかもしれないが、モーフはついて行かなかった……「539. 王都の暮らし」参照




