782.番宣ポスター
コピー用紙に油性マジックで手書き。
ピナたちが拵えた番宣ポスターは、「FMクレーヴェル臨時出張放送」と題して、周波数と放送日時を書いただけの簡単なものだ。
ギアツィント市外東部の国道で持つ看板も、段ボールにコピー用紙を貼り付けただけで、いかにもな「間に合わせ」だった。
……ピナたちが一生懸命作ったんだ。ラジオ持ってりゃ、きっと聞いてくれる。
放送は明日の正午からで、今日は市内にポスターを貼って告知する。
少年兵モーフは、ペラペラのポスターが皺にならないよう、段ボール二枚で挟んで腋に抱え、薬師アウェッラーナと手を繋いだ。
「じゃあ、今日も帰りは夕方になります」
「よろしくお願いします」
ジョールチたちに見送られ、魔法使いたちは一斉に呪文を唱えた。
「ここは?」
呪文の声が止んだ途端、目の前の景色が一変した。
枯れ草に覆われたゆるやかな斜面だ。ずっと遠くに小さな家の塊、その向こうに森の影と山が見えた。
「ギアツィント市の北西の門。こっちよ」
湖の民は、モーフから手を離して斜面の下へ歩いてゆく。
慌てて追う目の先には長大な防壁、そこに吸い込まれる車列と出て行く車列、徒歩で出入りする人の列。陸の終わりに湖が広がり、雲間から漏れる日に輝く。
リストヴァー自治区の岸辺は大きな工場で塞がれ、少年兵モーフはこんな風にキラキラするラキュス湖を見たことがなかった。
呆然と見惚れるキルクルス教徒の少年兵を置いて、湖の民の薬師はどんどん坂を下って行く。
走って追い付いたモーフに薬師のねーちゃんは、思い出したように言った。
「私が薬師だってこと、この街の誰にも言わないでね」
「何で?」
「クレーヴェルで、兵隊さんが医療系の術者を探してるって聞いたでしょ? 薬師だって知られたら、徴発……軍に連れてかれて、無理矢理働かされるかもしれないからよ」
「あぁ? ……あぁ、ドーシチのお屋敷みたいにコキ使われんのか。わかった。黙っとく」
言われてみれば確かに、アウェッラーナはもう何日も徽章を服の中に隠したままだ。そんなのは首都クレーヴェルだけだと思っていたモーフは、余計なことを言わないよう、気を引き締めて門をくぐった。
ギアツィントの門には、首都クレーヴェルのような検問はなかった。
……それで、車がすいすい行くのか。
この辺は商店街らしく、首都よりたくさんの店が開いていた。
あちこちに人集りがあり、道行く人がチラ見しては肩を落として車道に避けて歩く。人集りも通行人も、アウェッラーナと同じ緑髪がずっと多かった。
「あれは八百屋さん、そっちは魚屋さんね」
アウェッラーナが看板を読んでくれた。
人集りがあるのは、どれも食料品店らしい。客も店員も殺気立ち、幾つもの声が重なって怒号が飛び交う。どうやら値引き交渉しているらしいが、いつ乱闘になってもおかしくないくらい空気がピリピリしていた。
ギリギリのところで一線を越えずにいるのは、そんなことになれば、二度と売ってもらえなくなるからだろう。
「人いっぱいいるけど、どっかの店に貼らせてもらわなくていいのか?」
「この辺は遠過ぎて聴こえないから、もっと東へ行かないと……」
「そっか」
じゃあ、東門から入ればよかったんじゃないのか? との言葉を危ういところで飲み込む。
アウェッラーナは、ポスターを貼りに来たのではない。
身内を捜すついでに、モーフを連れて来てくれたのだ。
湖の民のねーちゃんは、魚屋の傍を通る時、背伸びして人垣の向こうで声を張り上げる店員を見ては、肩を落としてとぼとぼ歩いてゆく。
ギアツィントは元々漁業が盛んなのか、商店街には魚屋がたくさんあった。
湖の民たちは誰も、少年兵モーフのように分厚いコートを着ていない。緑色の髪の印象が強く、モーフの目にはみんな同じ顔に見えた。
アウェッラーナが商店街の外れにある神殿で足を止めた。
「ここで貼らせてもらうのか?」
「ここもまだ遠いから……ちょっと待っててくれる?」
「ん? あ、あぁ、それはいいけど、これ、ねーちゃんたちの神様のじゃねぇのにどうすんだ?」
王都ラクリマリスで、湖の女神の神殿は、花が聖印だと教えてもらった。ここの門柱にも、空きが多い掲示板にも、木の印が付いている。
「ひょっとしたら、女神様の神殿がいっぱいで、フラクシヌス様のとこでお世話になってるかもしれないから」
「あ、あぁ、そう言うコトもあるんだ」
……「湖の民」なのに湖の神様じゃない奴に頼るのかよ。
キルクルス教徒のモーフは腑に落ちなかったが、大人しく神殿の塀に取りつけられた掲示板を眺めて待った。
相変わらず、難しくて何が書いてあるかわからない。
リストヴァー自治区で、近所のねーちゃんアミエーラが、役所の貼り紙に何と書いてあるのか、近所のおばさんたちに説明していたのを思い出した。バラック街では、文字をきちんと読み書きできる者の方が少数派だった。
本や新聞がちゃんと読めれば、自分で勉強できるようになる気がするが、このところ何のかんのと忙しく、買ってもらった絵本も読めなかった。
モーフは段ボールを開いて、ピナたちが書いたポスターを一枚だけ出した。
字を書いたのはピナとDJレーフで、妹たちは周囲に小さく花と木の絵を描いていた。ピナの字は、大人のレーフよりもキレイだ。
「こんにちは。秦皮の葉蔭で乾きから守られますように」
「えっ? あっ……こ、こんにちは」
不意に声を掛けられ、モーフは狼狽えた。振り向くと、フラクシヌス教の聖職者の恰好をしたおばさんがニコニコしている。
「坊や、それを貼りたいの? 先に神殿の偉い人に……」
「貼るのここじゃなくて、もっと東で、ツレ待ってるだけッス」
「そうなの。放送局のお手伝い? 偉いわねぇ。FMクレーヴェルって首都の局でしょ? どうしてこんな遠くで?」
聖職者のおばさんの口調はやさしいが、答えないと許してもらえなさそうな雰囲気があった。
神殿をチラリと窺ったが、アウェッラーナはまだまだ戻りそうにない。
お参りに来た人々が、おばさんに挨拶して神殿に入って行くが、おばさんは相変わらずニコニコしてモーフの答えを待っている。
少年兵モーフは、聖職者に教えていいものかどうか迷ったが、指示を仰ごうにも、ここにソルニャーク隊長は居ない。寒いのに汗が背中を伝った。
ラジオのおっちゃんが何と言っていたか必死に思い出し、どうにか言葉を組み立てる。
「首都の局が解放軍に乗っ取られて、FMクレーヴェルしか残ってないんス」
「そうね。クーデターで大変なことになって……」
おばさんは小声で祈りの詞らしきものを唱えた。
「それで、どうしてここに? FMクレーヴェルの人たちが、ここに避難してきたの?」
「避難……かな? 家は戦闘に巻き込まれたっつってたけど、来たのは国営放送のおっちゃんと一緒で、臨時放送するからって……ホードーの使命がなんとかって言ってたッス」
「まあぁ……お気の毒に……何かお手伝いできることはないかしら?」
おばさんが涙ぐんで声を震わせる。
……手伝い? こんな遠くちゃ、デンパ届かねぇだろうし、どうすりゃいいんだ?
「わかんねぇッス。これ貼ってきてくれって頼まれただけなんで」
「モーフ君、お待たせ」
「……じゃ、急ぐんで」
モーフは丁度戻った薬師のねーちゃんの手首を掴み、まだ何か言いたそうな聖職者を置いて足早に神殿前を離れた。
充分離れた所で手を放す。
「ごめんね。神殿の前で待ってるのイヤだったのよね」
「あ、いや、そんなんじゃなくって、コレのこと聞かれてメンドーだったから」
「そうだったの。ごめんね。仮設住宅を三カ所回ったら、【跳躍】して貼るとこに行くから、それまで仕舞っててね」
何故か逆に気を遣われ、何も言えなくなったモーフは、ピナのポスターを段ボールに挟み直した。
☆ドーシチのお屋敷みたいにコキ使われんのか……「231.出店料の交渉」「232.過剰なノルマ」「245.膨大な作業量」参照
☆王都ラクリマリスで、湖の女神の神殿は、花が聖印だと教えてもらった……「572.別れ難い人々」「573.乗船券の確認」参照
☆木の印……「541.女神への祈り」参照
☆近所のねーちゃんアミエーラが、役所の貼り紙に何と書いてあるのか近所のおばさんたちに説明していた……「539. 王都の暮らし」参照
☆首都の局が解放軍に乗っ取られて……「599.政権奪取勃発」~「601.解放軍の声明」参照
☆FMクレーヴェルしか残ってない……「610.FM局を包囲」「611.報道最後の砦」参照
☆ホードーの使命がなんとかって言ってた……「690.報道人の使命」参照




