781.電波伝搬範囲
ピナの兄たちは、今日も夕方遅くに帰ってきた。
情報収集に行ったソルニャーク隊長とDJレーフは、日没前にウーガリ古道の休憩所へ戻り、国営放送のジョールチに報告を済ませている。
モーフも、ドングリの殻を剥きながら聞いたが、いい話はひとつもなかった。
難民が急に増えて、家も食い物も仕事も何もかも足りない。
犯罪が増えた。
ネミュス解放軍に味方する奴が増えた。
政府軍が力ある民を募集して、若い男を中心に「食いっぱぐれないから」と軍服に袖を通す者が増えた。
星の標が爆弾テロを起こした。
それらの情報は、ローカル新聞やラジオの地方支局が集めて報道しているが、どの程度信用できるか……どの勢力の息がどのくらい掛かっているか、知れたものではない。
隊長たちは街の噂話を拾うだけでなく、店頭の物価、人々の身形、街角や神殿にある掲示板の貼り紙なども見てきたという。
……どこも一緒なんだなぁ。
食い詰めた奴がかっぱらいをしてでも己の腹を満たすのも、食うに困った奴が軍隊へ行くのも、ヤケになった奴がテロを起こすのも、自治区の内と外で何も違わないように思えた。
ピナの兄たちは、夕飯のスープを食べながら、ギアツィント市の様子を語った。国営放送アナウンサーのジョールチは真剣にメモを取り、時々質問を挟む。
「今日は商業地区に行ったんですけど、昨日、おじさんの会社で聞いた通り、殆どのパン屋が閉まってました。開いていても洒落になんないくらい高かったです」
「それでも買う奴が居るってのにゃ魂消たけどよ」
ピナの兄が言うと、葬儀屋のおっさんが苦笑した。
……どこにでも、他の奴よりカネ持ってる奴って居るんだな。
少年兵モーフは、リストヴァー自治区の団地地区を思い出し、うっすら胃が痛んだ。
「そんなだから、パンの移動販売は危ないと思います」
「ドーシチ市のお薬みたいになりそうね……」
ピナが、堅パンが喉に詰まったような顔で言った。少年兵モーフも、あの広場の混乱を思い出し、身震いする。
「どうせ街ん中は渋滞ばっかで、燃料をムダ遣いしちまうんだ。ここは塀の外を通ってとっとと北へ行こう」
メドヴェージがトラックに顔を向けた。ピナたちパン屋の兄姉妹と薬師アウェッラーナの顔が曇る。
国営放送のジョールチが待ったを掛けた。
「レーチカでは、予想以上に政府の監視が厳しかったので諦めましたが、聞いた限り、ギアツィントはそうでもなさそうです。ここで一度、国内の様子と、難民キャンプや外国政府の反応などを報道したいのですが……」
「どこでやる気だ?」
トラック運転手のメドヴェージが難しい顔をした。
「後で地図を確認していただきますが、街の外です。約三キロ北に農道がありまして、その脇の野原に停めて……と考えています」
「移動放送車の電波は、二キロ程度しか届かないのではなかったのか?」
ソルニャーク隊長が訝る。
国営放送アナウンサーのジョールチは、ラジオと同じイイ声で、理路整然と説明した。
「クレーヴェルは丘陵地で、街全体の起伏が激しかったからです。FMラジオは、丘や山があると遮られやすいので、届く距離が短くなるのですよ」
「君たち、帰還難民センターに居たんだよね? 港からセンターまで、坂と階段、キツかったろ?」
FMクレーヴェルのDJレーフが言うと、ピナたちは納得した。
ジョールチが説明を続ける。
「FM放送は、平地での電波伝搬範囲が、最大で百キロ程度になります」
「そんなに行けるのかよ」
メドヴェージが関心すると、ジョールチは苦笑した。
「平野で固定の大型アンテナを高所に設置した場合の理論値ですけどね。車に積んでいるのは、可搬型の送信アンテナと送信機です。出力が小さいので、流石にそこまでは届きません」
「どのくらいなら行けそうだ?」
「ギアツィント市は、南東から北西へなだらかな丘に作られた街です。十キロも届くかどうか……ただ、坂の上からでしたら、少なくとも、クレーヴェルで放送した時より広い範囲に届く筈です」
「それに、東門の近くだったら、レーチカからの車が通ってるからね」
DJレーフが言うと、ソルニャーク隊長が頷いた。
「成程、手前でラジオを点けろと指示する看板を持っていれば、彼らが聴いて街に情報を持ち込んでくれるのだな」
「街の中にもある程度は届きます。臨時放送の日時を書いた貼り紙をすれば、耳を傾けてくれる人が居るでしょう」
「あ、じゃあ私、ポスター作ります」
ピナが元気よく手を挙げた。妹たちがそれに続き、クルィーロも手を挙げる。
「じゃあ、俺が貼りに行きます。まだ自分しか跳べないけど、【跳躍】の練習したいんで」
「俺も、街の北側にポスター貼りながら母を捜したいんで、どなたか連れて行ってくれませんか?」
「一緒に行こう」
DJレーフが気軽に応じる。
宙を睨んでいた薬師のねーちゃんが、焚火に視線を下ろしてきっぱり言った。
「私も、仮設住宅の方へ捜しに行きたいので、貼ってきますよ」
「俺、貼るの手伝う!」
少年兵モーフはピナのポスターを持ちたくて、勢いよく手を挙げた。
「モーフ、先日のように単独行動をして、彼女に迷惑を掛けるんじゃないぞ」
「は、はいッ! わかってるッス!」
ソルニャーク隊長に釘を刺され、背筋を伸ばした。
隊長の提案で、翌日は一日、準備に当てられた。
ジョールチは原稿の最終チェック。レーフとピナ、ティス、アマナはポスターと看板作りをする。
残りは、街道沿いの森へ行く。薬師アウェッラーナとソルニャーク隊長は薬草採り、メドヴェージとクルィーロ、パドールリクは薪拾い、少年兵モーフは葬儀屋アゴーニとレノ店長の三人で食糧調達だ。
「あれ、食べられます」
「あんなもんが?」
レノ店長がウーガリ古道脇の倒木を指差す。
半ば朽ちた幹には、耳を黒くしたようなぐにゃぐにゃしたものが、びっしり生えていた。
「歯ごたえがあっておいしいキノコですよ」
「よっし、【魔除け】もう一回掛けるから、さっと行って採ってってくれ」
レノ店長が折り畳みナイフを開いた。
倒木があるのは、強力な術で守られたウーガリ古道の外の森だ。冬の薄日の下、木々の影で雑妖が身を寄せ合ってうねる。
モーフも覚悟を決めて頷き、手提げ袋を広げた。
湖の民のおっさんが、ナイフの刃をつまんで呪文を唱える。刃が淡い光を宿した途端、レノ店長が低い石積みを跨いだ。モーフは慌てて追いかける。
雑妖たちは、店長が近付いただけで恐慌を来し、逃げようと日の光の下に這い出て溶け崩れて消えた。
少年兵モーフは、倒木の横に屈んだピナの兄の隣に立ち、木立の奥へ目を凝らした。魔物や魔獣、野生動物の見張りだ。
キノコの同定ができないモーフは、見張りしかできない自分が歯痒かった。
……俺も、もっと色々勉強して、知識がいっぱいあったら、役に立てンのに。
家が貧しくなくて、ちゃんと学校に通えていれば、食べられるキノコと毒キノコの見分け方を教えてもらえたのだろうか。レノ店長はパン屋で、食べ物のプロだから、専門的な勉強をしたのだろうか。
……俺も、今から教えてもらったら、わかるようになんのか?
薬師のねーちゃんは、薬のキノコは知っていたが、食えるキノコはよく知らないと言っていた。そう言えば、葬儀屋アゴーニは、ねーちゃんの逆で毒の専門家も居ると言っていた。
キノコを見る目にも色々あるのだ。
薬師のねーちゃんは、薬のキノコで大金を手に入れた。レノ店長は、食えるキノコを保存食に加工すると言う。毒キノコに詳しくなれば、それを避けて身を守れるし、何かの時に使えるかもしれない。
……誰に何を教えてもらうのが一番いいんだ?
全部覚えるのは無理だが、少年兵モーフにはどの道が一番いいのか、選べもしなかった。
☆ドーシチ市のお薬/あの広場の混乱……「226.出店の出店料」「231.出店料の交渉」「235.薬師は居ない」「236.迫りくる群衆」参照
☆クレーヴェルは丘陵地……「641.地図を買いに」参照
☆港からセンターまで、坂と階段、キツかった……「576.最後の荷造り」「577.別の詞で歌う」参照
☆クレーヴェルで放送した時……「700.最終チェック」「708.臨時ニュース」参照
☆薬師のねーちゃんは、薬のキノコは知っていた……「477.キノコの群落」~「479.千年茸の価値」参照
☆ねーちゃんの逆で毒の専門家も居る……「649.口止めの魔法」参照
☆薬のキノコで大金を手に入れた……「479.千年茸の価値」「571.宝石を分ける」参照
※ 余談
耳を黒くしたようなぐにゃぐにゃしたもの……アラゲキクラゲ。実在する食用キノコ。冬季から春季にかけて広葉樹の枯れ木などに生える。




