780.会社のその後
「あらあら、やっぱりオルラーンさんだわ。どうしたの? こんなとこで? 辞めたんじゃなかったの? お子さんたちは?」
事務服姿のおばさんが、信号のない車道を小走りに突っ切ったかと思うと、矢継ぎ早に質問を浴びせた。
たすき掛けにした頑丈そうな鞄をポンと叩いて言う。
「あたしは銀行の帰り。急に出てっちゃったから、最後のお給料渡せてないし、ちょっと会社に寄ってくれない?」
「えっ? 出るんですか?」
「そりゃ出るわよ。月の途中だから、日割りだけど」
「それは助かりますが、いいんですか?」
「あははっ、どうせあたしンじゃなくて会社のおカネなんだし、くれるモンは有難くもらっときゃいいのよ。で、この人たちは?」
おばさんの子犬のようにくりっとした目が、レノたちに向けられる。
レノの幼馴染の父パドールリク・オルラーンは簡潔に説明した。
「一緒に避難している人たちです」
「ちょっとこの辺に用事があったんでな。ついでに【跳躍】したんだ」
「身内の漁船を捜しに来たんです」
「俺は避難の途中ではぐれた母を捜しに……」
レノは藁にも縋る思いで言った。話好きそうなおばさんだから、避難者の噂のひとつやふたつ、耳にしているかもしれない。
おばさんは一瞬、レノたちを気の毒そうに見たが、明るい声で聞いた。
「オルラーンさんたち、お昼は? まだ? こんなとこで立ち話もアレだし、すぐそこだから」
半ば強引に連れて行かれたのは、大きな倉庫だった。
中には昼食の残り香が漂い、プレハブ三棟とコンテナ、場違いなテントがびっしり並ぶ。四人は昼食に堅パンなどを持ってきたが、食べられる場所がみつからないまま、すっかり昼時を過ぎていた。
「トイレは奥にあるのが全部そうだから、遠慮しないで使って」
奥の壁際には、簡易トイレがずらりと並んでいた。
プレハブの中は事務所だ。そこかしこに積み上がった段ボールと事務机の間で、五、六人の社員が忙しそうにしていた。
「あっ! オルラーンさん!」
「戻って来てくれたんですか?」
「用事で近くまで来たので、みなさんどうされてるかと思いまして……」
パドールリクに復帰の意思がないとわかると、若い社員は肩を落とした。
経理のおばさんが、きょろきょろ見回して聞く。
「社長は?」
「どっかから電話掛かってきて、出て行きましたよ」
「あっそ。……あ、そっち座ってて」
パーテーションで仕切られた応接スペースには、折り畳み机二台とパイプ椅子が置いてあった。
四人が遠慮がちに腰を下ろすと、若い社員がぺこりと頭を下げた。
「急いで逃げてきて、お客さんにお出しするお茶もないんですよ」
「持ってきましたから、お構いなく。あっ……よろしければ、みなさんもいかがですか?」
薬師アウェッラーナが、手提げ袋から小さなビニール袋を出す。香草茶は掌にちょこんと乗る量で、薬罐三杯分くらいは淹れられそうだ。
「えっ? いいんですか?」
疲れた顔が一気に明るくなる。
「どうせ社長居ないし、お茶休憩にしよう」
年配の社員に反対する者はなく、社員たちは飲料水の瓶と、見るからに安物のプラカップを持って、応接スペースに入ってきた。
経理のおばさんが、パドールリクに茶封筒と書類を一枚寄越す。
「受け取りにサインだけちょうだい。こんな有り様だから、退職金も何もありゃしないんだけどさ」
「いえ、助かります。ありがとうございます」
アウェッラーナが水を起ち上げ、いつものように香草茶を淹れる。社員は経理のおばさんを入れて六人、合わせて十人分の香草茶が、応接スペースを爽やかな香気で満たした。
パドールリクが茶封筒をコートのポケットに仕舞って聞く。
「みなさん、あれからいかがでしたか?」
「あんたが辞めた日、爆弾テロがあってな。会社も巻き込まれて、辞めたりなんやかんやで、残ったのは社長も入れて十五人だよ」
「亡くなった社員の家族も居るから、テントは多いんだけどね」
年配の社員がカップを両手で包んで言うと、経理のおばさんが溜め息混じりに付け足した。
「あんたんとこはどうだった?」
「実は、そのテロに巻き込まれて……」
「えっ? お子さんたちは?」
「無事です。近くのお店の方が地下室に匿って下さって、そこで【青き片翼】の術も使える薬師さんに治していただけて、どうにか……」
顔色を変えた社員たちが胸を撫で下ろして微笑む。
レノの視界の端で、薬師アウェッラーナも、別の意味でホッとしていた。
「ご紹介が遅れましたが、一緒に避難している方々です」
レノたちが、パドールリクに続いてさっきと同じ自己紹介をすると、経理のおばさんが首を振った。
「ガルデーニヤがやられてから、こっちに来る人が増えたからね。食べ物も何もかも足りなくて、おカネで買えるものなんて、ホンのちょっとなのよ」
「ネーニア島から漁師さんたちも逃げてきたから、魚は小麦みたいに無茶な値上がりはしてないけどな」
「でも、前より随分上がったじゃない」
「あ、あの、漁船の名前とかは……」
アウェッラーナが勢い込んで聞くと、社員たちは目を伏せて黙った。アウェッラーナが俯き、緑の髪が顔を隠す。
「……えっと、どのくらい上がったんですか?」
パドールリクが話を戻すと、みんなの顔が更に暗くなった。
「パン屋さんも仕入れできなくて、開いてるとこが少ないし、売ってても食パン一斤で……現金だったら一万くらい? 【魔力の水晶】でも満タンが……五つか六つくらい……?」
「えぇッ? 前の五十倍以上じゃないですかッ?」
レノが思わず声を上げると、みんなの驚く目が集まった。
「あ、あの、ウチ、パン屋で、店が焼けて……母はひょっとしたら他所の店で働かせてもらってるかもって思ったんですけど……」
「あー……パン屋さんは……ちょっと厳しいかもねぇ」
女性社員が【渡る白鳥】学派の徽章をいじりながら、渋い顔をした。
「強盗とか増えてるし、ついこの間も役所の近所で爆弾テロがあったって……」
「こっちもかよ。レーチカもそうだったぞ?」
葬儀屋アゴーニが言うと、若い社員は、湖の民のおっさんの胸元で輝く【導く白蝶】の徽章を見詰めて言った。
「犯人以外は怪我で済んだみたいですけど、レーチカの方はどうでした?」
「ん? ラジオでやってねぇのか?」
「本局が解放軍に押さえられたんで、支局じゃ地元のニュースしか流してないんですよ」
「一応、レーチカとか、近くの街のニュースもちょっとは入るけど、一週間遅れくらいですね」
「政府の公式発表も来るけど、そのくらいのペースです」
「新聞もそんなモンだよな」
社員たちが溜め息混じりに答える。
レノたちは昼食どころではなく、一時間余り情報交換した。
去り際、パドールリクが芋を袋ごと渡すと、社員たちは泣きそうな顔で何度も礼を言って四人を見送った。
レノはアウェッラーナ、パドールリクはアゴーニと組んで、人捜しと情報収集に分かれる。
「やっぱり、あれからこっちに避難してきた人、すごく増えたんですね」
「そうですね。早くみつかればいいんですけど……」
アウェッラーナの目が案内板に留まる。
ギアツィント港のこの辺りは、貨物船用のコンテナバース区画で、一般人は立入禁止だ。二人は倉庫街を道なりに北西へ歩き、客船用の区画へ向かった。
日没前に東門で合流した。
パドールリクたちは、国営放送アナウンサーのジョールチに頼まれた情報を集められたようだが、レノたちはくたくたになっただけで、何の手掛かりも得られなかった。
三日目も同じメンバーで出掛け、レノはアゴーニと一緒に一日中、役所と神殿を尋ね歩いたが、母の消息は掴めずに終わった。
☆爆弾テロがあってな。会社も巻き込まれて/そのテロに巻き込まれて……「710.西地区の轟音」「732.地上での予定」参照
☆近くのお店の方が地下室に匿って下さって、そこで【青き片翼】の術も使える薬師さんに治していただけて……「713.半狂乱の薬師」「714.雑貨屋の地下」参照
☆本局が解放軍に押さえられた……「599.政権奪取勃発」~「602.国外に届く声」「606.人影のない港」「610.FM局を包囲」「611.報道最後の砦」参照




