777.西端の休憩所
移動販売店プラエテルミッサのトラックと、FMクレーヴェルのイベント放送用ワゴン車は、ウーガリ古道を西進し、南西端の休憩所に停まっていた。
呪文が刻まれた碑と敷石に囲まれた広場は、枯れ草に埋もれている。ここも放棄されて久しい。葬儀屋アゴーニが昔は宿があったと言うが、それらしい建物は跡形もなかった。
間隔を充分に空けて停め、二台の中間の枯れ草を毟る。
すっかり足がよくなったティスは、アマナと一緒に張り切って焚火のスペースを作った。レノは、少年兵モーフと共に石を集め、即席の竈を拵える。
この辺りは常緑樹が多く、広場からウーガリ古道を振り返ると、緑の闇に沈んで見えた。
ピナとクルィーロ、薬師アウェッラーナが鍋と食器を下ろし、葬儀屋アゴーニが缶詰を抱えて荷台から降りた。ソルニャーク隊長とメドヴェージ、クルィーロたちの父パドールリクと放送局の二人が、連れ立って薪拾いに行く。
みんなすっかり慣れたもので、誰も何も言わないのに役割分担が決まり、あっという間に野営の準備が整った。
アゴーニが、昨日掘ってきた芋を煮て、缶詰のスープを加える。
薪拾いに行った大人たちは、昼食ができ上がる頃に戻ってきた。
「坊主の仕事、取って来たぞ」
メドヴェージがドングリをたっぷり詰めたビニール袋を上げて笑う。少年兵モーフは、微妙な顔をしただけで、何も言わなかった。
「ここしばらく、車の通行がなかったようだ」
「どうしてわかるんですか?」
レノが聞くと、ソルニャーク隊長は薪の束を置いて答えた。
「古道に落ちていた枝に踏み跡がなかった」
「首都を脱出する車は大抵、西か南の門を使いますからね。北へ回り込む車は滅多に居ないでしょう」
国営放送のジョールチアナウンサーが、束を解いて焚火の用意をしながら言う。西の街から、わざわざ危険な首都方面へ行くもの好きは居ない。
FMクレーヴェルのDJレーフが、枯れ枝に【炉】の火を移して薪の山に焼べた。竈に熾した魔法の【炉】は輪の外に熱を漏らさないが、赤々と燃える焚火は、レノたち力なき民をあたためてくれる。
葬儀屋アゴーニが、マグカップにスープをよそってみんなに回しながら言った。
「レーチカの様子を見に行くのは、明日にしようや」
「そうですね。この場所をもっとちゃんと覚えてからにしましょう」
薬師アウェッラーナが同族に賛成する。
クルィーロたちの父パドールリクが、力ある民たちを見回して聞いた。
「どなたが行かれるんですか?」
葬儀屋アゴーニと薬師アウェッラーナ、DJレーフとソルニャーク隊長が手を上げた。レーフは東、アゴーニは中央、アウェッラーナは西へ行くと言う。力なき民のソルニャーク隊長は、湖の民アウェッラーナに運んでもらう。
「この道を通る者が居ないと言うことは、湖岸沿いの町や村伝いに移動したか、東部の都市へは北側のルートを使ったか……或いは、レーチカ港から王都へ渡ったか」
隊長が、クルィーロが貸したネモラリス島の地図を広げて言う。
命からがら逃げてきたレノは、スープを食べる手が止まった。
「今、首都に行ったって、危ないだけですからね」
ティスがピナにしがみついた。あの恐ろしい日々を思い出してしまったのだろう。アマナも縮こまって父を見る。パドールリクは、片方の聴力を失った娘の肩を抱いて落ち付かせた。
翌朝早く、四人はレーチカに【跳躍】した。
レノは、メドヴェージと国営放送のアナウンサーと三人で薪拾いに出る。
術の系統が戦いではなくても、力ある民が一緒に来てくれるだけで心強かった。護身用の剣はあの時と同じ、メドヴェージが持つ。
ジョールチの背広は、一見すると普通の服だが、裏地にびっしり呪文が刺繍してあった。
レノとメドヴェージは、地下街チェルノクニージニクで買った厚手のトレンチコートを着て、首にタオルを巻いているが、それでもウーガリ山脈から吹き下りる風に震えあがる。
ジョールチが、二人に気の毒そうな目を向けた。
「ここはまだ、山があるからマシなんですよ」
「北はもっと寒いってのか?」
メドヴェージが薪を拾いながら聞く。
「えぇ。ゼルノー市もそうだと思いますが、湖北からの風で雪が降ります。山脈の南は一番寒い時期でも、滅多に降りません」
「あー……そう言われてみれば、学校で習ったような……」
レノは地理の授業で、ネモラリス島北部はネーニア島の北部よりも寒いと習ったのを思い出したが、実際どのくらい寒くなるのか、想像できなかった。
ラジオの天気予報では、最高気温と最低気温を言っていたが、ゼルノー市以外はみんな聞き流していた。
……ネモラリス島に来るのがわかってたら、もっとちゃんと聞いたのにな。
取敢えず、薪はたくさんあるに越したことはない。
三人は石畳に落ちた枯れ枝をせっせと広い集めた。
レーチカ市に行った四人は、昼過ぎに戻った。
遅くなった食事をしながら報告を聞く。
葬儀屋アゴーニが、買ってきた新聞をソルニャーク隊長とジョールチに渡して言った。
「俺は臨時政府がある市役所の辺りを見に行ったんだ」
数日前に爆弾テロがあり、道路には大きな穴があいていた。役所周辺は通行止めで、政府軍と警察の警備が物々しく、周辺の道路は大渋滞だ。
ソルニャーク隊長が、緑陰新聞の一面を見て眉を顰めた。
「星の標の仕業か」
「首都だけじゃなくて、ネモラリス島全体で活動を始めたらしい。あっちこっちで爆発させてるそうだが、何せ、実行犯はみんなくたばってるからな」
キルクルス教原理主義団体「星の標」のメンバーが、ネモラリス島内にどのくらい潜伏しているのか、見当もつかない。
……また、あんなことになったら……!
レノはスプーンを持つ手が震えた。
ティスがマグカップを置いて膝を抱え、ピナが怯えた妹を抱き締める。
だからと言って、いつまでもここに居られるワケではなかった。
季節的に山や森で採れる食べ物は乏しい。狩りの心得があるなら別だが、魔物や魔獣に襲われる危険を冒してまで行く程の量は見込めない。
以前買った小麦粉や堅パンなどの保存食が幾らかあり、ドングリを麻袋一杯分貯めたが、これでは十三人が冬を越すには全く足りなかった。
「それでも、北に行くしかないんですよね」
クルィーロがポツリと呟く。
長命人種の葬儀屋アゴーニが、遠くを見る目で言った。
「そうだな。北はどこも小さい田舎町だ。ずーっと昔は東のカイラーとカーメンシクが、炭鉱で栄えてたんだが、内乱中に落盤が起きて、火が消えたみてぇに寂れちまった」
「ネモラリス島は湖の民が多いから、ネーニア島みたいに科学には力を入れてなくって、都市の規模が元々小さかったそうだよ」
DJレーフが付け加える。
レノは何となく納得した。
……魔法で守れる範囲って決まってるもんな。
「今、栄えてるとこは、昔から栄えてるとこで、クレーヴェルとレーチカ、ギアツィントとリャビーナ……大きい街はそれだけだな」
「湖の民が多いって、そいつらみんな、ナントカ将軍の仲間なのか?」
少年兵モーフが、空になったマグカップを置いて聞く。
DJレーフは、短く刈った金髪の頭を掻いて、葬儀屋アゴーニと薬師アウェッラーナを窺った。
「……葬儀屋さんと薬師のお姐さんは、ウヌク・エルハイア将軍のシンパなのかい?」
「違います!」
「はははっ。何言ってんだ坊主」
アウェッラーナが緑の髪を振って即答し、葬儀屋アゴーニは膝を叩いて笑った。メドヴェージも苦笑する。
「坊主、口開く前にもうちっと頭使えよ」
少年兵モーフは唇を噛んで俯いた。上目遣いでメドヴェージを睨むが、ぐうの音も出ない。
ソルニャーク隊長が小さく溜め息を吐き、目顔で湖の民たちに非礼を詫びて報告した。
「……西門付近は、宿も駐車場も全て塞がっていた。公園はテントで足の踏み場もない」
「東の方もそんな感じだったよ。神殿も避難してきた人が庭にまで溢れてて、毛布一枚に包まって震えてた」
DJレーフが言うと、メドヴェージは両手を小さく上げた。
「そんな中へ車で行ったら、渋滞に捕まってる間に燃料が切れちまわぁな」
「そうみたいですね。私、ピオンさん……ゼルノー漁協の知り合いに会いに行ったんですけど、ウチの船はまだレーチカ港に来てないし、車はしょっちゅうガス欠起こして、どけるのにまた渋滞になって、色々大変だって言ってました」
アウェッラーナが少し気を取り直して報告したが、その声は暗かった。
レノが妹たちの方を向くと、ピナとティスも兄を見ていた。その目が言わんとすることは痛い程よくわかるが、三人共、口には出せない。
……そんなとこへ、母さんを捜しに行きたいなんて言えないよな。
レノたちの母は、首都クレーヴェルの帰還難民センターで調べてもらった限り、生きている。魔法の深皿【明かし水鏡】は質問時点の言葉の真偽を示すが、その後のことまではわからない。
少なくともあの時点では、ネモラリス島には居なかったようだが、その後また、ネーニア島で大規模な空襲があった。ラクリマリス王国かアミトスチグマの難民キャンプに渡った可能性も捨てきれない。
ひとつ所に留まっている保証はなく、雲を掴むような話だ。
レノの溜め息が、小さな雲になって風に流れる。
この薄く曇った空の下、どこかに居ると信じて、捜す他なかった。
☆護身用の剣はあの時と同じ、メドヴェージが持つ……「443.正答なき問い」参照
☆地下街チェルノクニージニクで買った厚手のトレンチコート……「532.出発の荷造り」参照
☆ピオンさん……ゼルノー漁協の知り合い……「698.手掛かりの人」参照
☆首都クレーヴェルの帰還難民センターで調べてもらった……「596.安否を確める」「621.補足する質問」~「623.水鏡への問い」「708.臨時ニュース」参照




