776.使い魔の契約
魔装兵ルベルは、アル・ジャディ将軍の特命を受け、シクールス陸軍将補と共にツマーンの森へ赴いた。
落葉樹はすっかり葉を落としたが、湖南地方の島々には常緑樹が多く、ラクリマリス軍の腥風樹捜索任務は、まだ継続中だ。春になる前に全て駆除しなければ、千年近く続いたと言うランテルナ島での戦いと同じ轍を踏むことになる。
二人が侵入した地点は、クブルム山脈からネモラリス兵が厳重に監視している。
魔哮砲は同じ場所に居るが、魔装兵ルベルが見ない間に随分小さくなっていた。
ルベルが旗艦オクルスに乗り組み、ガルデーニヤ市の空襲を見守っている間に何があったのか。シクールス陸軍将補に掛けられた【制約】に阻まれ、質問が声にならない。
魔哮砲は、マスリーナ港で初めて手が届く距離で対面した時、トラックくらいの大きさだった。
北ザカート市沖で防空艦がミサイルに沈められ、行方不明になった後、ツマーンの森でラクリマリス軍の攻撃を受けて膨張。ルベルが【索敵】で発見した時には、大型トレーラー並に育っていた。
今、目の前に居る魔哮砲は、大型バイク程度にまで縮んでいる。
シクールス陸軍将補は、緑の瞳で部下の心を見透かしたように答えを口にした。
「魔哮砲は、ガルデーニヤの空襲前日から、数日掛けて縮小させた。お前には今から、こいつと【使い魔の契約】を結んでもらう」
魔装兵ルベルが、闇の塊に目を向けて頷く。魔哮砲は【流星陣】の中で大人しくしていた。シクールス陸軍将補の感情のない声が、魔哮砲の状態を語る。
「制御符号で動きを止め、陸軍の使い魔……四眼狼に齧り取らせた」
……その魔獣と断片はどうなったんだ?
シクールス陸軍将補は、声にならない疑問を的確に汲取り、答えを寄越す。
「断片の生存条件は、文献にあった以上に厳しくてな、今朝までに大部分が死んでしまった。明日の朝には何体残っているか……いや、対応を誤れば、今夜にも死滅してしまうかも知れんな」
魔装兵ルベルは、責任の重さに声もなく、魔哮砲の本体を見詰めた。
「断片化に使った魔獣は殺処分済みだ。肥大化して【使い魔の契約】を振り解きそうだったのでな」
シクールス陸軍将補が、ウェストポーチから紙片を取り出し、赤毛の魔装兵に手渡す。広げたルベルは息を呑み、湖の民の陸軍将補と紙片を交互に見た。
「魔哮砲の制御符号は、旋律だ。歌詞に術の効果はないが、あった方が歌いやすかろう?」
「は……はい。恐れ入ります」
紙片を持つ手が震える。
シクールス陸軍将補は、相変わらず、感情の読めない声で言った。
「気付いているだろうが、お前の故郷に伝わる里謡『女神の涙』が制御符号だ。当時の研究所員が、万一に備え、真の目的を伏せて付近の村に伝えた」
仮に付けられた歌詞が神話なのは、憶えやすく、祭で歌い継がせて忘れ去られぬようにとの意図があったからだろう。
「音程さえ合っていれば、力なき民が歌っても止められるが、歌い終えれば呪縛が解ける。力ある民は、魔力が強ければ強い程、歌い終えた後も呪縛の持続時間が長くなる」
初めて聞かされた説明を心に刻んで頷く。
シクールス陸軍将補は、もう一枚の紙片と、銀の首飾りのようなものをルベルに握らせた。
「それが【使い魔の契約】の呪文……その環は補助具だ。小さい方から順に【魔力の水晶】を握って唱えろ。ひとつの【水晶】につき呪文一回、最後……十二個目はサファイアだ」
銀の鎖には、【魔力の水晶】とサファイアを嵌め込んだ花型の台座が、等間隔に配されていた。【水晶】は全て大きさが異なる。サファイアの隣のひとつが最も小さく、順に大きくなり、反対隣が最も大きい。
大豆程度から親指大まで十一個の【魔力の水晶】と小粒のサファイアは、全て魔力が満たされ、淡い輝きを宿していた。
【渡る白鳥】学派のシクールス陸軍将補なら、こんな補助の呪具なしでも自力で契約が結べるが、【飛翔する蜂角鷹】学派のルベルでなければ、安全な場所から魔哮砲を運用できない。
最初の「魔哮砲操手」は、魔哮砲と同じ防空艦に乗り組み、艦がミサイルに沈められた際、湖の藻屑になった。
「まず、【流星陣】で二重に囲んでから、制御符号で動きを止め、あれに一番近い【流星陣】を切る。石を握った手であれに触れ、呪文を十二回唱えよ」
ガルデーニヤ市が無人機に蹂躙された無力感から、保留していたアル・ジャディ将軍の特命任務を受諾したが、力ある言葉を記した紙片と呪具を持つ手が震え、応えられない。
シクールス陸軍将補は、ポケットから銀糸の糸巻を取り出した。
「私一人で【流星陣】を張る。その間に目を通しておけ」
上官は返事を待たずに木立の間へ歩み去った。
……もう……後戻りなんてできないんだ。
魔装兵ルベルは、呪具の銀鎖を握り、【使い魔の契約】の呪文を黙読した。
紐の緒のい繋る彼我の和び結
言結び 絆ぐ軛に接なる汝
我が為る掟つ言の葉絡ぶ魔に
服い従け
地に在りて 接なり続ぐ組の結
従き順え 我が力 汝に属る
我が言に和び諾え
水の中 隷い属げ彼我の結
従き属なれ魔の軛 隷い従け
空に舞い 連び絡がれ
火に躍り い繋る結は 何処にも 連び接なれ
我を汝の主とし調れよ伏え 翼け成せ
唱える回数は多いが、呪文自体はそう難しくはない。
魔力を頑丈な「紐」に、呪具を「軛」に見立てて主従の連わりを結び、言葉による約束に基づき、仲良くなって互いに力を貸し合い、主であるルベルを翼けよ……という趣旨だ。
術が成功すれば、使い魔となったモノは、契約で結ばれた主の命令に絶対服従する。互いの視聴覚が接続され、ルベルが見聞きしたことは【刮目】の術なしで魔哮砲に伝わり、魔哮砲が見聞きしたことも、主であるルベルに伝わるようになる。その感覚は、命令ひとつで一時的に遮断できる。
……ん? コイツの目と耳ってどこにあるんだ?
契約で繋がればすぐにわかることだ。
ルベルは余計な疑問を頭から追い出し、同じ呪文を何度も目で辿った。
結界を張り終えたシクールス陸軍将補が、剣を抜いて魔哮砲の傍らに立つ。目鼻もわからぬ闇の塊が身を震わせた。
「まずは、制御符号からだ」
上官に促され、故郷の里謡を歌う声は、他人のように聞こえた。
☆千年近く続いたと言うランテルナ島での戦い……「382.腥風樹の被害」参照
☆ガルデーニヤ市の空襲を見守っている間……「757.防空網の突破」「758.最前線の攻防」参照
☆シクールス陸軍将補に掛けられた【制約】……「304.都市部の荒廃」「704.特殊部隊捕縛」参照
☆マスリーナ港で初めて手が届く距離で対面した時……「227.魔獣の討伐隊」参照
☆北ザカート市沖で防空艦がミサイルに沈められ……「274.失われた兵器」「279.悲しい誓いに」参照
☆ツマーンの森でラクリマリス軍の攻撃を受けて膨張……「509.監視兵の報告」参照
☆ルベルが【索敵】で発見した時には大型トレーラー並に育っていた……「439.森林に舞う闇」「607.魔哮砲を包囲」参照
☆断片の生存条件は、文献にあった以上に厳しくて……「726.増殖したモノ」参照
☆お前の故郷に伝わる里謡『女神の涙』が制御符号だ……「580.王国側の報道」参照
☆仮に付けられた歌詞が神話……「531.その歌を心に」参照
☆アル・ジャディ将軍の特命任務……「750.魔装兵の休日」参照




