773.活動の合言葉
「難民キャンプでも、似たようなものだ。後から逃れてきた者たちや、ニュースなどでネミュス解放軍を知って、そちらに望みを懸ける者が増えておる」
「そちらはどんな雰囲気ですか?」
「スニェーグ君が今言ったものに加えて、早く魔哮砲を処分して国際社会の信用を取り戻して欲しい、と言うのも多い」
「成程……支援を打ち切られたら、大変ですからね」
「左様。今のところ、アミトスチグマ政府も、断片を捕えたラクリマリス政府も、支援を打ち切るような動きはないが、難民の急増に対応しきれず、キャンプには不安が広がっておる」
スニェーグは、窓の外へ目を遣った。
のっぺりした雲が広がる空は、薄暗い白一色がどこまでも続く。雪を降らせる厚い雲が涌くまで、まだ少し時間はあるのかもしれないが、急変もあり得る。
「冬仕度の方はいかがですか?」
「丸木小屋の建築と、薪の調達を同時進行しておるが……慣れぬ作業で怪我人が多いな」
「呪医は……足りないんですよね?」
スニェーグは、途中で気付いたらしく、明らかに質問を変えた。
ラクエウス議員が肯定して付け加える。
「科学の医療者も薬も足りん。まだ、インフルエンザなどの病は流行っておらんが、それより悪質な噂が広まっておる」
「どんな噂ですか?」
ラクエウス議員が、老婦人シルヴァとネモラリス憂撃隊の活動を説明すると、スニェーグは雪のように白い頭を垂れた。
「従妹が、そんなことを……」
「君のせいではないよ」
「しかし……そうだ、別荘へ彼らの様子を見に行きます」
「よした方がいい。彼らは以前のゲリラから様変わりしておる」
「そうでしょうか?」
「元のメンバーは、シルヴァさんを含めて八人……その内、呪医と葬儀屋が抜けたそうだ。“ネモラリス憂撃隊”と名乗り、前にも増して積極的に勧誘し、マスコミに声明を出した」
スニェーグも、ラジオを聞いていたのか、沈痛な面持ちで頷く。
「ファーキル君の話では、銃火器と魔法を組合せて、組織的な戦闘ができる武装集団になっておるらしいぞ」
「こんなことなら、もっと彼らと話し合って、復讐をやめさせるべきでした。まさか、シルヴァがそんな……」
スニェーグが呻く。ラクエウス議員は、紅茶から立ち昇る湯気が消えるまで黙っていた。
ようやく顔を上げたスニェーグの目が、ラクエウス議員に縋る。
「……私には、シルヴァが今、どこでどうしているのかわかりません。どうすれば、従妹を止められるんでしょう?」
「ファーキル君の話では、シルヴァさんは絶望した人々に死に場所を与えておるらしい」
「死に場所……ですか」
スニェーグの声が揺れる。
「シルヴァさんを直接止めるより、人々の絶望を払拭するのが近道だと思うが、どうだね?」
「では……私にできることは……」
白髪のピアニストが、皺深い手を見詰める。鍵盤を叩く長い指が微かに震えていた。
長い沈黙の後、スニェーグがようやく言葉を絞り出した。
「……これまでと同じ、罹災者の支援しかない……と言うことですか?」
沈んだ声が、床に落ちる。
東神殿の集会棟は静かだ。
会議室は今日、この部屋しか使われていない。もうひとつの集会棟は、ネモラリス難民に解放され、アミトスチグマ行き難民船の待機所になっていた。
「その為に、もう少しネモラリス島の様子を教えてくれんかね?」
「リャビーナでも罹災者が増えましたが、同時に支援者も増えました。みなさん、『今は幸せへの道が暗くても、希望の星を見失わなければ、一条の光により闇を拓き、必ず朝の光を迎えられる』を合言葉に頑張っておいでです」
リストヴァー自治区出身の老議員は、魔法使いのピアニストの言葉にひっかかりを覚えた。
「尤も、できることは限られていますが、そのお陰か、仮設住宅の入居者の方々は、比較的落ち着いていますね」
「スニェーグ君、今の合言葉は……?」
ピアニストは表情を和らげ、再びボランティアのスローガンを口にした。
老議員の記憶が、星座を形作るように繋がり、口の中がカラカラに乾く。
「どなたが考えたのか知りませんが、『すべて ひとしい ひとつの花』の元の歌詞にも似ていますし、いい言葉ですよね」
スニェーグは微笑を浮かべたが、ラクエウス議員は顎が強張り、言葉が出ない。老ピアニストが長いスローガンを空で言える程、何度も耳にするリャビーナ市の状況が恐ろしかった。
冷めきった紅茶を啜り、僅かに落ち着きを取り戻したが、声の震えを抑えられない。
「キルクルス教の……祈りの言葉だ」
「何ですって?」
スニェーグの顔色が変わった。
「ボランティアに、隠れキルクルス教徒が紛れ込んでいる……と?」
「聖典の一節だ。偶然、そんなスローガンができ上がるとは思えん」
「聖句そのままなら、旧王国時代から居る長命人種の方々が気付きそうですが……」
老ピアニストは、信じたくないと言いたげだ。
「その用心だろうな。ふたつの聖句を繋ぎ合せて、改変してあるよ」
老議員は、元の聖句を諳んじてみせた。
幸いへ至る道は遠くとも、日輪が明るく照らし、道を外れぬ者を厄より守る。
道がひととき闇にあろうとも、月と星々の導きを見失わずば、夜明けに至る。
聖者キルクルス・ラクテウス様。
闇に呑まれ塞がれた目に知の灯点し、一条の光により闇を拓き、我らと彼らを聖き星の道へお導き下さい。
スニェーグが、ボランティアのスローガンを口の中で噛み潰す。
「今は幸せへの道が暗くても、希望の星を見失わなければ、一条の光により闇を拓き、必ず朝の光を迎えられる……」
二人は大きく息を吐き、目を閉じた。
ラキュス湖の岸辺で、足下の砂が浚われるような感覚に背筋が寒くなる。
「わかりました。今後は、それを口にする人たちを注意して見てゆきます」
スニェーグは、険しい顔で席を立った。
☆老婦人シルヴァとネモラリス憂撃隊の活動……「580.王国側の報道」「644.葬儀屋の道程」「737.キャンプの噂」、ネモラリス憂撃隊の声明「618.捕獲任務失敗」参照
☆断片を捕えたラクリマリス政府……「726.増殖したモノ」参照
☆マスコミに声明を出した……「618.捕獲任務失敗」参照
☆『すべて ひとしい ひとつの花』の元の歌詞……「275.みつかった歌」参照




