772.ネモラリス島
「直接、国を動かさねばならんことに関しては、儂らに任せてくれ。亡命中の身ではあるが、まだパイプは繋がっておる。先日は、我が国の駐アミトスチグマ大使と話せた」
ラクエウス議員は、それに付随する危険に触れなかったが、聡い若者たちは老身を案じてくれたのか、労りと悲しみの籠もった眼差しを向けた。
「先生、何か、私たちにできることはありませんか? 歌以外で」
アルキオーネは、先程までの棘がすっかり取れた声で聞いた。アイドルグループ“瞬く星っ娘”改め“平和の花束”の面々は、リーダーと同じ目でラクエウス議員を見詰める。
「キャンプで何か気付いたことがあれば、どんな些細なことでもいいから教えてくれんかね?」
「どんなことでも……?」
「何を調べればいいですか?」
「愚痴や不満、噂話、暮らしの変化……何でもいい」
少女たちが、気を付けて見るべき点を心に刻んで頷く。
「儂らの前では遠慮や警戒があって、何も言ってくれぬ人が多いのだよ」
「亡命したから、もう国を動かす力がないって思われてるんですか?」
自治区出身のサロートカの問いが、ラクエウス議員に刺さった。
リストヴァー自治区選出の国会議員は、自分でも思った以上の動揺を鎮め、平静を装って答える。
「さぁな。だが、アンケートには色々書いてあったろう?」
話を振ると、集計を引き受けたファーキル少年はこくりと頷いた。
針子見習いのサロートカが張り切る。
「私、センセイにも伝えます。私も気をつけて見ますけど、センセイの方が患者さんから色々聞いてるみたいなんで」
「よろしく頼むよ」
アルキオーネたち四人は、元アーテルの国民的アイドルであるが故に、街では身の危険があったが、「平和の花束」としての動画が広まるにつれ、難民キャンプでは比較的安全になった。
ここしばらくは、慰問と練習を兼ねて、国民健康体操とその替え歌「みんなで歌おう」を広める活動をしている。魔物や魔獣だけでなく、人間相手にもまだまだ護衛が必要だが、彼女らのファンは着実に増えていた。
ラクエウス議員は、未来の為に持てる力を尽くすと決意した若者たち、一人一人の瞳の輝きを頼もしく思った。
翌日。ラクエウス議員は、アミトスチグマの首都“夏の都”の外へ出た。
ここでは、ラクエウス議員のように着膨れたものは少数派だ。ラキュス湖から吹きつける木枯らしよりも、場違いな格好に身を竦めて苦笑する。
白い防壁には、様々な呪文や呪印が施されている。
魔術を知らぬラクエウス議員の目には装飾にしか見えないが、ここで暮らす者たちの魔力を集めて術を発動させ、都民を脅威から守っていると言う。
ラクリマリス王国が敷いた湖上封鎖を避ける船が、アミトスチグマの沖合に犇めく。
……今はまだ堪えてくれておるが、この状況が長引けば、不満の矛先はネモラリスに向かうだろう。
命尽きる前に少しでも平和への道筋を作らねば、と思いを新たにし、諜報員ラゾールニクの手をとる。
金髪の若者は、ラクエウス議員とは対照的に軽装だ。コートやマフラーはなく、素手で老議員の分厚い手袋を握り、【跳躍】の呪文を唱えた。
軽い目眩に似た浮遊感は、何度運ばれても慣れないが、移動を重ねる度に魔術で運ばれることへの嫌悪感は薄らいでゆく。自身の変化に戸惑いと同時に、平和への希望も見えるような気がした。
「ラクエウス先生、今日は東門です」
「そうかね。いつもありがとう」
ラゾールニクが、一変した景色を説明し、今日の予定を告げる。
「会合場所は東神殿で、午前中はスニェーグさん、午後からはラクリマリスの外務次官と席を設けてあります」
「よく都合がつけられたな?」
「ニプトラさんが“音楽仲間”繋がりで催す個人的なお茶会で、偶然、顔を合わせたってコトで、よろしくお願いします」
諜報員ラゾールニクは、露草色の目に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「うむ。難しい差配をしてくれて助かるよ。ありがとう」
「ニプトラさんが協力してくれたから何とかなったんですよ。俺に出来るのは繋ぎ役くらいしかないんで」
巨大な魔法陣を成す王都ラクリマリスの運河の畔を歩き、船着場へ向かう。船頭が術で操る船は全く揺れず、滑らかな氷の上を行くように二人を東神殿へ運んだ。
「ラクエウス先生、お久し振りです」
「うむ。スニェーグさんも、久し振りだが元気そうで何よりだ」
リャビーナ市民楽団で慈善活動を続けるピアニストは、以前と変わらず気力に満ちている。
「まずはこれを……」
雪を戴いたような白髪のピアニストが、大判の封筒を机上に置いた。
中身は一枚の楽譜だった。
ネモラリス島のウーガリ山中にあるアサエート村に、約七百年前から伝わると言う里謡「女神の涙」だ。
「まさか、昨日の今日でもらえるとは……助かるよ。ありがとう」
「昨日の夜、別件でラゾールニクさんが訪ねて来られましてね。今朝、急いで書き写してきたんですよ」
五線譜の用紙は、古びた藁半紙だ。
「物資の不足はそこまで進んでおるのか……」
ラクエウス議員が思わず漏らすと、スニェーグは苦笑した。
「内乱時代の紙を捨てずに取っておいてよかったですよ。……食糧や生活必需品が優先ですからね」
「では、新聞も……?」
「近頃はかなりページ数を減らしていますが、発行自体は続いています。慈善コンサートに足を運んで下さる方も減ってきました」
表情を改めたスニェーグは、一瞬、疲れを見せたが、すぐにいつもの調子を取り戻して言った。
「リャビーナやウーガリ山脈以北の街は、アミトスチグマの直行便が復活しましたから、まだマシですよ」
「南の方はそんなに酷いのかね?」
「西は、ネーニア島から逃れてきた人が増えて、食糧不足が深刻です。難民船は一日二往復ですからね」
「なんと……」
ラクエウス議員は、レーチカ市の混乱を思い、胸が痛んだ。
東部や北部に土地勘がない者は、レーチカで王都行きの難民船を待つ。クーデター前は、首都クレーヴェルと王都ラクリマリスを繋いでいたが、クーデター勃発後は、臨時政府のあるレーチカ市に移り、ネーニア島から逃れた者にとっては近くなっていた。
だが、レーチカには既に、クーデターから逃れた者たちが居る。食糧や住居などの不足は明らかだ。
「私は、ネモラリス島内では、地元のリャビーナの他、首都とレーチカ、後は北部の街にしか土地勘がありませんが、どこへ行っても、ウヌク・エルハイア将軍の主張に傾く人々が増えて来ました」
「どうやって調べたのだね?」
「生演奏付きのカフェやレストランで数日、仕事をして、お客さんたちの噂話を拾いました。街の住人全体の総意まではわかり兼ねますが、人目を憚らず、飲食店でそんな話をできること自体が……」
「街全体が、ネミュス解放軍に好意的で、警察などが取り締まりをしておらんと言うことだな」
ベテランピアニストは、頷いて紅茶を一口啜った。
「従業員たちも、バックヤードでネミュス解放軍に賛同する話をしていました」
「どんな話だね?」
「早く今の政権を倒して欲しい、魔哮砲を処分して欲しい……と、せっつく意見が多いですね。それと、現政権は、アーテル本土への直接攻撃に消極的でアテにならない、政府軍は仇を討たない税金泥棒などの声が強いです」
ラクエウス議員は、胸に澱んだ重い空気を吐き出した。
☆先日は、我が国の駐アミトスチグマ大使と話せた……「626.保険を掛ける」~「628.獅子身中の虫」参照
☆国民健康体操……「243.国民健康体操」参照
☆国民健康体操とその替え歌「みんなで歌おう」……「275.みつかった歌」「280.目印となる歌」参照




