771.平和の旗印を
「でも、死んでしまったら……」
サロートカが取り成すように言うのを遮り、ファーキルは断言する。
「俺が死んだって、伝えた情報はネット上に残って、拡散し続けます。サーバから削除されたって、個人のローカルには残りますから。それに……」
声が震え、喉が絞めつけられた。
ひとつ大きく息を吐いて続ける。
「ネモラリス憂撃隊や協力者も、大切な人の仇を討てるなら、命なんて惜しくないんです。その悲しみや絶望を……別の宗教の正義や、キレイごとを並べただけの正論で、止められると思うんですか?」
「復讐は何も産まない……と言うのは容易いが、そんな一般論で悲しみが癒え、許しを与えられる者など居らんよ。……かつての儂らが、そうだったようにな」
老議員の目が時を遡り、半世紀の内乱時代を見るように遠くを見詰める。
若者たちは、我が身に置き換えて考えた。
針子見習いのサロートカが目を伏せて聞く。
「フツーに……ムリですよね。でも……どうすれば、戦いを止められるんですか?」
「悲しみを力で押さえ付けることなんて、できないってわかりました。アゴーニさんとセプテントリオー呪医の説得も通じませんでした」
先輩のアミエーラが苦しそうに呟く。
老婦人シルヴァは、アナログな手法で情報を拡散した。
それは既に彼女自身が命を失ったくらいでは消せないくらい、広く深く伝わっている。深い悲しみに沈み、絶望に囚われた者たちが、シルヴァの呼び掛けに応えるのは、止められない。
エレクトラが顔を上げ、掠れる声で聞いた。
「先生たちは、三十年前……どうやって平和にしたんですか?」
「国連がラキュス・ラクリマリス共和国の分割を提案したのだよ。信仰と望む政体の違いで住み分けるように……とな」
「戦争の理由が違うから、今回は、その手は使えませんね」
ファーキルが言うと、ラクエウス議員は重々しく頷いた。
「左様。それに、クーデターを起こしたネミュス解放軍との和平で、ネモラリスの領土を分割することになれば、国は更に弱体化してしまうだろう」
「ネーニア島とネモラリス島に分かれても、湖東地方の国に比べたら、まだ大きいですよ? それで平和になるなら、住み分けた方がいいんじゃないんですか?」
アルキオーネが提案すると、老議員は首を振った。
「儂は、半世紀の内乱で国を分けたことは、過ちだったと痛感しておるのだよ」
「過ち……ですか?」
平和の花束の四人が首を傾げる。
「うむ。属性や意見を異にする者を排除し続ければ、無知と無理解が広がり、分割や分断の末、人々はバラバラになってしまう」
「アーテルが学校で教える内乱の歴史は、キルクルス教徒は被害者だって言う視点でしか語られていません」
「無原罪の魂を持つキルクルス教徒は、絶対的な弱者だから、“悪しき業”で一方的に虐殺されたって……」
ファーキルが言うと、タイゲタが付け加えた。他のアーテル出身者も小さく頷く。
ラクエウス議員が目を見開く。
「何を馬鹿なことを……! 儂らが無力ではなかったからこそ、アーテルはキルクルス教国家として独立し、ネモラリス領内には、リストヴァー自治区が作られたのだぞ?」
アイドルの少女たちが口々に質問する。
「えぇッ? 教科書、嘘だったんですか?」
「そんなに強かったんですか?」
「戦って勝ち取ったってコト?」
「どうやって戦ったんですか?」
老議員はゆっくり息を吐き、少女たちを見回した。
驚愕に見開かれた目が、信じられないと言いたげに老議員を見詰め返す。
「大抵は……呪文を唱えるより、引き金を引く方が早い」
わかりやすい答えに、少女たちが声にならない叫びを上げた。
知ってしまえば当たり前のことだが、端から「魔力を持たないキルクルス教徒は弱者だ」と教え込まれ、他の視点で見ることが許されない環境で育てば、思い到らないのも無理はなかった。
……俺だって、ネットで周辺国視点の歴史を知るまでは、そうだったもんな。
半世紀の内乱を経験したラクエウス議員が、更に言葉を重ねる。
「今と同じように爆撃機で魔法使いの多い街を焼き払い、戦車で蹂躙した。一口に魔法使いと言っても色々だ。魔法で戦車の装甲を貫通させる者や、爆撃機を撃ち落とせるものが、どれだけ居ると思うかね?」
「……センセイや職人さんにはムリっぽいです」
針子見習いのサロートカが、首を横に振って目を伏せた。
「それだけではない。空襲から逃れた住人が身を寄せる神殿に、毒ガス兵器を撃ち込んだ部隊もあった」
少女たちが怖いものを見る目をラクエウス議員に向けた。
静まり返った部屋に、老議員の声が響く。
「儂は、国をひとつに戻し、人々の互いへの理解を深めることが、平和に繋がると思うのだよ」
「でも、私たちに何ができるんですか?」
針子のアミエーラの声が、怯えに細く震える。
ラクエウス議員は咳払いして表情を和らげた。
「全てを失った人々を孤立させないこと、絶望させないことだ」
「抽象的過ぎてちょっと……もう少し、具体的にお願いします」
アルキオーネが言うと、平和の花束の三人とサロートカも頷いた。
「リャビーナ市の支援者は、短期間の雇用やバザーなどで働く場を設けたり、慈善コンサートの手伝いを頼んだり、人と同じく焼け出された犬猫を育ててもらうなど……誰かと接し、必要とされる仕組みを作っておった」
「じゃあ、こう言う針仕事とかも……?」
アミエーラが繕い物を持ち上げる。
「そうしたいのは山々だが、針と糸が足りんのでな。……だが、以前から呪符作りの仕事などは回しておるし、住宅も難民自身で建てられるよう、指導しておる」
「ケガする人、多いですけどね」
サロートカがぽつりとこぼす。
老議員は苦笑した。
「なかなか理想通りに行かんのは、儂らも痛感しておるよ。……後は、衣食住の確保だ。飢えと寒さは人を絶望に引きずり込むのでな」
「今、食べ物って足りてるんですか? 急に人が増えましたけど……」
ファーキルが聞くと、老議員は長い眉を垂れた。
「季節的なこともあって、一時は一日二食行き渡っておったが、今は……ラクリマリス経由で来る者は、王国政府が数日分の干し魚を持たせてくれておるが……」
「それじゃ、全然足りませんよ」
アルキオーネが呆れた顔で言う。
……このお屋敷の俺たちは、毎日ちゃんと食べさせてもらえるのにな。
ファーキルは、アンケート集計作業の話し合いを思い出した。
難民に手伝ってもらい、ここで食事を出すのはいいが、キャンプに報酬を持ち帰らせることには反対された。
女主人が苦しそうな顔をした理由は、今ならよくわかる。
キャンプ内で格差が生じれば、妬みなどから断絶が起きてしまう。
不公平感をなくす為、「みんな同じ不幸」の中に置くのがいいことだとは到底、思えないが、ファーキルには、格差から生じる新たな不幸の防ぎ方を思いつけなかった。
「でも、今って、一日一食は、確実にあるんですよね?」
エレクトラが無理に明るい声で聞いたが、老議員は目を伏せた。
「国連は、物資の調達に時間が掛かる。アミトスチグマ政府も、国民の不満を抑えた上で努力はしてくれておるが、何せ、出処は税金だ」
「食べ物自体は、倉庫とかにあるんですよね?」
エレクトラが、泣きそうに震える声で聞く。
ラクエウス議員は声を落とした。
「資金が何とかなれば、な。だが、寄付や呪符作りなどの内職だけでは、この急増に間に合わんのだよ」
「ウェブマネーでもよければ、動画の広告収入がありますよ」
みんなの視線がファーキルに集まった。
「ブームが落ち着いて、一時期よりは下がってますけど……俺の手持ち、全部出したら、一日分くらいにはなりませんか?」
ファーキルが、タブレット端末に管理画面を表示させる。
老議員は、向けられた画面の桁数を数えて目を見開いた。
「まだ、正確な人数の報告は上がっておらんが……構わんのかね?」
「はい。移動販売のみんなで歌った動画ですから、俺が自分の為に使うのは、何か違う気がしますし、中心になって作詞したアマナちゃんは、この曲が難民支援に繋がったって知って喜んでたんで、大丈夫です」
驚きが安堵に変わり、場の空気が軽くなる。
「新しく動画を増やせば、その分、少しでも稼げますよ」
「ニプトラさんたちの了承が得られれば、音源はひとつ、何とかなるが、いいかね? アミエーラちゃん」
「えっ? わ、私ですか?」
急に話を振られ、針子が戸惑う。
「ラジオは途中になってしまったが、『女神の涙』だ。ニプトラさんは、ネモラリスとラクリマリス両国で人気がある。難民の心を慰めることもできよう」
難民キャンプのパテンス市に近い集会所には、タブレット端末を置いてある。情報提供や、子供たちの教育などに使われていた。
キャンプ地の拡大に伴い、アンテナの増設を進めているらしいが、現在、どこまで届くようになったのか、ファーキルは知らない。
……情報の格差はできてるよな。
それも、人々が非現実的な噂話に飛び付く理由かもしれない、と思い到る。
「あの歌詞、鎮魂歌ですものね。私なんかの歌でいいなら、使って下さい」
「何を言うのかね。アミエーラちゃんも、なかなか筋が良く、心に届く歌声だったぞ」
プロと一緒に歌った針子が恐縮すると、竪琴奏者でもあるラクエウス議員は穏やかな微笑を浮かべた。
ファーキルが、思いつきを口にする。
「じゃあ、ネットとリアル両方で流行らせませんか? 難民キャンプに楽譜を配って、電波が届かない所にも歌が届くようにして」
「それはいいな。『すべて ひとしい ひとつの花』と同じ旋律だ。楽譜はリャビーナ市民楽団から取り寄せるとしよう」
「お願いします。ネットに上がってるの、解像度が低くて印刷が潰れちゃうと思うんで」
「じゃあ、改めて歌詞の募集をしたら、捗りますね」
タイゲタが明るい声で言う。
この鎮魂歌で、生命以外の全てを失い傷付いた心が、どのくらい癒されるのかわからない。
それでも、ファーキルたちには、できることをできる限り進めるしかなかった。
☆伝えた情報はネット上に残って、拡散……「189.北ザカート市」参照
☆かつての儂……「330.合同の演奏会」参照
☆アゴーニさんとセプテントリオー呪医の説得も通じません……「357.警備員の説得」~「359.歴史の教科書」参照
☆国連がラキュス・ラクリマリス共和国の分割を提案……「001.半世紀の内乱」参照
☆半世紀の内乱で国を分けたことは、過ちだった……「214.老いた姉と弟」「560.分断の皺寄せ」「234.老議員の休日」参照
☆アーテルが学校で教える内乱の歴史……「148.三つの選択肢」「183.ただ真実の為」参照
☆無力ではなかった……「535.元神官の事情」参照
☆住人が身を寄せる神殿に毒ガス兵器……「685.分家の端くれ」参照
☆リャビーナ市の支援者……「305.慈善の演奏会」参照
☆犬猫を育ててもらう……「278.支援者の家へ」参照
☆以前から呪符作りの仕事などは回しておる……「402.情報インフラ」「403.いつ明かすか」参照 あれから更に難民が増え、何もかもが不足している。
☆アンケート集計作業の話し合い……「730.手伝いの手配」参照
☆ウェブマネーでもよければ、動画の広告収入があります……「324.助けを求める」参照
☆アマナちゃんは、この曲が難民支援に繋がったって知って喜んでた……「350.平和への活動」参照
☆ラジオは途中になってしまった……「599.政権奪取勃発」~「601.解放軍の声明」参照
▼「女神の涙」の歌詞




