767.急増する難民
ゆるやかな斜面に白い家々が並び、北のラキュス湖まで続く。街路樹や庭木は常緑樹が多く、白い街並に彩を添える。
目を凝らせば、他所の庭のアーモンドなどはすっかり葉を落とし、冬の訪れを物語っていた。
アミトスチグマは、科学文明をそれなりに取り入れているが、元々は魔法文明国だ。ファーキルたちが世話になるこの家も、近所の家々も、壁にたくさんの呪文や呪印が刻まれ、エアコンや暖房器具がないのに快適だった。
今日は週に一度の休養日で、ファーキルは、パソコンの部屋に入るのを禁じられている。
代わりに、アミトスチグマ人のボランティアとネモラリス人の難民が、アンケートの入力作業をしていた。
仕方がないので、与えられた部屋でタブレット端末をいじる。
一週間ぶりでSNSにログインし、公開済みのアンケート結果の反応を見る。
――微力ながら、寄付しました。
――早く平和になりますように、毎日お祈りしています。
一言二言、メッセージは寄せられていたが、国民健康体操の替え歌「みんなで歌おう」を公開した時とは、比べ物にならないくらい反応が薄い。
……もう冬だし、服と毛布、薬と家と身を守る系の呪符は、全然足りないのに。
大多数の一般人にとって、歌の動画とアンケート結果では、関心の程度が全く違うのだと痛感させられた。
動画なら受け身の態度で楽しく視聴し、ほんの数分で済むが、詳細で膨大な資料をきちんと読みこなすのは、時間も根気も必要だ。
調査結果が詳細であればある程、ハードルが上がる。忙しい人は、ページ数を見ただけで諦めるだろう。
……まとめのグラフと、被害写真と難民分布の色分け地図くらいは、見てくれてるといいんだけどなぁ。
どのくらいの人が、アミトスチグマの難民キャンプや、ラクリマリス王国の一時避難所に身を寄せる人々の現状に、ざっとでも目を通してくれるだろう。
フラクシヌス教団関係者、アミトスチグマ政府やキャンプ周辺の行政関係者、それに一部の大学関係者やマスコミ、ボランティアや国際機関などはしっかり読みこんでくれたらしい。
公開後、不足していた物資が以前よりも多く集まったのは、彼らが情報を整理して、関係各所に伝えてくれたからだ。
湖南経済新聞が、アンケート結果の概要を載せた直後も、寄付やボランティアが少し増え、ファーキルたちは苦労が無駄にならなかったことを実感できた。
時流通信社などの通信各社も結果のデータを配信し、ラキュス湖周辺地域以外にも伝わった。
……でも、全然足りないんだよなぁ。
思わず溜め息が漏れる。
ネーニア島西岸部の戦闘で、ネモラリス軍が大敗した痛手は大きかった。
空襲の生存者やネーニア島北・東岸地域の住民らが、ネモラリス島やラクリマリス王国、そしてアミトスチグマの難民キャンプに逃れてきた。
夏にシェラタン当主が無人機の大編隊を迎撃し、オリョールら武闘派ゲリラがアクイロー基地を壊滅させてからは、三か月以上、空襲が鳴りを潜めていた。
ガルデーニヤ市や、東岸のトポリ市などは人が戻り、復旧・復興を進める最中の大規模攻撃だった。
……心折れそうだよな。
首都クレーヴェルでクーデターが起こり、政府軍はその対応にも手を割かざるを得ない。人々の不安が増すのは当然だ。
ラクリマリス政府はクーデター勃発後、難民輸送船を廃止せず、発着地をレーチカ港に変更してくれた。そのレーチカ市には、臨時政府が置かれている。
……フィアールカさんは、今んとこみんな無事だって言ってたけど、こっち来ないのかな?
王都ラクリマリスで分かれた移動販売店プラエテルミッサの消息は分かったが、運び屋フィアールカの話では、これからどうするか決めかねているとのことだった。
クルィーロとアマナは、父と再会して一緒に居ると聞き、ファーキルは我がことのように嬉しかったが、薬師アウェッラーナとパン屋兄姉妹は、まだ家族がみつからないらしい。
家族を捜したい彼らの気持ちは、わからなくはない。
だが、アーテル軍の空襲とネミュス解放軍のクーデター、それにキルクルス教原理主義団体「星の標」のテロが頻繁に起きる今、ネモラリス国内に留まれば、いつ命を落としてもおかしくなかった。
脅威は人間の武装勢力だけではない。
遺体を喰らった魔物が魔獣となり、各地で人を襲っている。
政府軍が戦争とクーデターに手を取られ、対魔物の守りが手薄になっていた。
ほぼ民間事業者任せらしいが、警備員オリョールのことを考えると憂鬱になる。魔物や魔獣と戦える業者がどのくらい国内に残って、人々を人外から守っているのか。
呪医セプテントリオーの疲れ切った顔から、難民キャンプも安全とは言い難いと察したが、少なくともアーテル軍の空襲はない。
……ダメだ。何かしてないと、考えが悪い方へ悪い方へ引っ張られちゃうな。
ファーキルは、与えられた部屋を出て、針子のアミエーラたちが作業する部屋へ行った。
「アミエーラさん、サロートカさん。ちょっといいですか?」
「はい。どうしました?」
針子のアミエーラが、衣裳を縫う手を止めて顔を向けた。見習いのサロートカは、アミエーラに対応を任せるつもりなのか、こちらをチラリと見てすぐ古着に視線を戻し、繕いを続ける。
「作業しながらでいいんですけど、難民キャンプのこと、教えてもらえませんか?」
「あー……私は一回しか行ったコトないんで、サロートカさんの方が……」
アミエーラが話を振ると、サロートカは手を止めてファーキルに顔を向けた。古着の山の向こうでは、アイドルユニット「平和の花束」の四人もせっせと針を動かしていた。
「キャンプのことって、何を話せばいいですか?」
「みんながどうしてるか……すごく増えましたよね?」
「あー……急に増えたんで、おうちも服も毛布も何もかも足りなくなって、もう寒いし、色々大変なんですよ」
ファーキルは予想通りの答えにどんよりしたが、気を取り直して、アンケート回収後の最新情報を引き出す。
「家がない人はどうしてるんですか?」
「呪文入りのテント……えーっと……前に国連の人……? 何か、外国の団体がくれたのがあって、布だけど魔物とかから守れるそうなんですけど……テントは全然足りなくって、集会所や診療所の床で寝たり、先に来た知り合いの家で居候させてもらったりとか……」
リストヴァー自治区出身のサロートカは、首を傾げながら説明した。
……呪文入りのテント……? あぁ、【編む葦切】か【巣懸ける懸巣】の服や家に掛ける防禦系の術を刺繍してあるのか。それなら、術を掛けてない丸木小屋よりずっと安心だな。
ファーキルは、頭の中で言葉を補いながら聞き、不明点を確認する。
「じゃあ、全員、術で守られた場所で眠れるんですね?」
サロートカは首を横に振った。
「全然足りなくて、地面に丸描いて魔法で何かして、焚火してたりとか、ホント、色々大変なんですよ」
「えっと【簡易結界】だけ……なんですか?」
「私、魔法のことは全然わかんないんで、一緒に行ったセンセイに聞いてもらった方が……」
針子見習いは繕い終えた服を広げて点検し、丁寧に畳んで床に置いた紙袋に入れた。作業台の山から次の古着を取り、どこを繕うか調べる。
ファーキルは、サロートカが作業を始めるのを待って質問した。
「色々って……例えばどんな?」
「えーっと、だから、大急ぎでお家を作らなきゃいけなんですけど、それで木を伐る時に怪我したり、材木を運ぶ時に怪我したり、建てる時に怪我したり……とにかくセンセイが大変です。……あ、それと、薪拾いに行って魔物に襲われる人も居ます」
「あー……それで……」
呪医セプテントリオーも、今日は休みだ。朝食後、「寝直すので起こさないで下さい」と部屋に戻り、昼食に出て来なかった。
ランテルナ島で武闘派ゲリラの拠点に居た時も、一度に大勢を治療していたが、ファーキルが知る限り、こんなことはなかったように思う。
難民が増えた分、ボランティアも増えた。難民の中にも医療者は居るが、それでは全く足りないらしい。
アーテル軍の一方的な空襲から逃れて来た人々が、ここで命を落とさない為に何ができるのか、ファーキルは頭を抱えた。
☆国民健康体操の替え歌「みんなで歌おう」……歌詞「275.みつかった歌」、公開時の反応「290.平和を謳う声」「291.歌を広める者」「306.止まらぬ情報」「350.平和への活動」「412.運び屋と契約」「572.別れ難い人々」参照
☆ネーニア島西岸部の戦闘で、ネモラリス軍が大敗……「757.防空網の突破」~「759.外からの報道」参照
☆夏にシェラタン当主が無人機の大編隊を迎撃……「309.生贄と無人機」参照
☆オリョールら武闘派ゲリラがアクイロー基地を壊滅……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆復旧・復興を進める最中……「401.復興途上の姿」参照
☆警備員オリョールのこと……「第二十八章 あらすじと人物紹介」オリョールの項目参照
☆とにかくセンセイが大変……「738.前線の診療所」「739.医薬品もなく」参照




