766.熱狂する民衆
曲が終わり、男性の落ち着いた声が、ニュースの開始を告げた。
ロークは、ラジオか有線放送だったのだと思い、フライドポテトをつまみながら耳を澄ませる。
「それでは、戦況をお伝えします。まずは、この映像をご覧下さい」
「映像?」
ロークが思わず呟くと、スキーヌムが掌で示した。
「あちらに大型液晶ビジョンがあるんですよ」
肩越しに振り向くと、フードコート中央の天井から、タブレット端末を大きくしたような薄い画面が四枚、吊り下げられていた。四方を向く画面に客の目が釘付けになる。
「我が軍のミサイル攻撃により、ネモラリス水軍の防空艦一隻を爆沈。有人機と無人機の混成部隊は、防空網を突破しました」
アナウンサーの声が淡々とアーテル空軍の動きを伝える。
「ネーニア島北西部へと進軍し、西岸沿いの農村と漁村及び、同地域最大の都市ガルデーニヤで空爆を実施。映像でご覧頂いております通り、多大な戦果を――」
アナウンサーの声が、人々の歓声に掻き消された。
ロークは震える手で自分の端末を操作し、ニュースサイトを開く。戦況のニュースは、トップページに表示されていた。つい先程、配信されたばかりだ。
……これが……あの司祭が言ってた「勝利」……?
息を詰めて詳報を読むロークの耳にスキーヌムの囁きが届いた。
「僕は……こう言うの……イヤなんです」
端末から顔を上げると、スキーヌムは今にも泣きそうな目で、大型ビジョンを見上げて盛り上がる人々を見詰めていた。
のっぺりした無人機が大型の爆弾を投下した数秒後、地上では白熱する巨大な火球が膨れ上がり、先の空襲の痛手から復興途上のガルデーニヤ市を飲み込んだ。
人々は“悪しき業”を用いる穢れた存在を焼き払った軍を讃え、聖者キルクルスや聖人に列せられた弟子たちの名を連呼して熱狂する。
「教室では、こんなこと言えないんですけど、早く平和になって欲しいです」
聖者キルクルスと、知の力で戦う軍への賛辞と歓呼の中で、スキーヌムの小さな声は掻き消されそうになりながらも、ロークにははっきりと聞こえた。
……俺がネモラリス人だから、気を遣った……って風じゃないな。
聖職者を目指す優等生の意外な発言に戸惑い、何も言えないでいると、スキーヌムはロークを真正面から見詰めた。
「あちらにも、無原罪の清き民は、大勢住んでいるのですよね?」
「えぇ。少なくともウチの家族はみんなそうですし、近所の人たちも……」
ロークが肯定すると、スキーヌムは目を伏せて早口に言った。
「半世紀の内乱が終わった時、力なき民のフラクシヌス教徒は、その信仰でアーテル領には居られず、無原罪であるが故にラクリマリス領にも居られず、ネーニア島北部に移住した……と歴史の授業で教わりました」
「それは、ルフス神学校だけですか? それとも……」
「どこの中学でも習います。国民はみんな、知らない筈はないのに……無原罪の清き民が“悪しき業”を用いる人々と一緒に焼かれたのに……誰も彼らの為に祈ろうとしないんです」
ロークは、スキーヌムの発言を危ういと思った。
確かに、聖者キルクルス・ラクテウスの教えを忠実に守り、聖なる星の道を示す者としては、正しい。だが、戦勝に浮かれ熱狂する群衆の中で、純粋な信仰に基づく声は、余りにも異質だ。信仰の浅い人々の耳に入れば、ネモラリスに与する不信心者として攻撃される惧れがあった。
……学校よりも、今、ここでこんなコト言ってんのが誰かに聞かれたら、命がヤバいレベルなんだけどなぁ。
「どうして、信仰が違うだけで、魔力を持たない……無原罪の清き民が焼かれなくてはならないのでしょう?」
スキーヌムが悔しげに群衆を見遣り、届いてはならない疑問を小声で漏らす。ロークは、他の客の耳に入りはしないかと気が気でないが、黙らせるのも不自然に思え、何も言えなかった。
「ロークさんみたいに、異教徒の中に居ても、聖なる星の道を見失わない人たちが大勢いらっしゃるのに……」
「スキーヌム君、ありがとうございます。でも、今、ここでその話をするのはちょっと……」
次のニュースに移り、人々の熱狂が引いてゆくのを横目に、ロークはなんとか声を絞り出した。
スキーヌムが、まだ興奮して仲間と熱く語り合う若者たちを見遣り、肩を落とす。
「聖典には『“悪しき業”を用いてはならない』とは記されていますが、『“悪しき業”を用いる者を殺せ』なんて、一行も書いていません」
ロークは祖父たちが、ゼルノー市襲撃作戦の為に【消魔符】などの「術を無効化する」呪符や呪具を集めていたのを思い出した。
実家に居た頃は、「魔法使いに対抗する為のものなら利用しても構わない」と言う話が、身勝手な二重規範に聞こえたが、スキーヌムの言葉で少し考えが変わった。
勿論、祖父たち隠れキルクルス教徒と、純粋なスキーヌムが同じ気持ちだとは思わない。
「そうですよね。俺も戦争前から、それが気になっていました」
ロークが同意すると、スキーヌムは弱々しい目で、異教の地から逃れてきた留学生を見た。
「どうすれば、民衆に正しい信仰を伝えられるのか……未熟な僕には、まだわかりません。でも、こんなこと、司祭様にはお尋ねできなくて……」
ルフス神学校の聖職者たちは、この戦争を否定しなかった。
ロークは慎重に言葉を選び、スキーヌムに信仰への疑念を植え付けた。
「答えがわかって実践できれば、その時こそ、真の平和を築けるんだと思います。その疑問……忘れないで下さい」
歴史上、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教国間でも、戦争は数えきれないくらい起きていた。土地や水、食糧や資源、地域の覇権や海上での権益を巡り、絶え間なく闘争を繰り広げている。
時には宗派……信仰の解釈違いを巡り、聖者キルクルスの名の許に信者同士が百年近くの永きに亘って、激しい殺し合いを演じたこともあった。
どちらの解釈が正しいかなど、異教徒の目から見れば些細なことだ。
ロークの目には“瞬く星っ娘”のセレノとマイア、どちらが可愛いか論争と違わないように思えた。
現在は、大国の力関係が安定して大きな戦争は起きていないが、世界各地で小国の争いに介入し、代理戦争の形で紛争は続いている。
世界を巻き込んだ大戦争の後、世界平和を目指し、国連を始めとする様々な国際機関が設立された。
その多くは、大戦争の火種となった当のキルクルス教国が中心となって作り、現在も運営されている。
国際機関は全くの無力ではないが、大国の思惑に翻弄され、本来の役割を充分に果たせない場合も多々あった。
湖東地方の国々が、度重なる紛争と、国連などが仲裁した和平協定で小国に細分化され、元の文化や民族がバラバラにされたのも、そのせいだ。
少し早いが、二人は外出を切り上げてルフス神学校に戻った。
夕飯にはまだ早く、校内は閑散としている。
「今日は色々ありがとうございました」
「いえ、僕、あんまりお役に立てなくて……」
「スキーヌム君のお陰で、とても助かりましたよ」
ロークはもう一度礼を言い、自室に引き揚げた。
……ちょっと押せば、こっち側に来てくれそうだけど、慎重にやんなきゃな。
一人になって、これからどうすべきか、じっくり考えた。
☆ルフス神学校の聖職者たちは、この戦争を否定しなかった……「763.出掛ける前に」参照
☆ゼルノー市襲撃作戦の為に【消魔符】などの「術を無効化する」呪符や呪具を集めていた……「034.高校生の嘆き」~「036.義勇軍の計画」参照
☆本来の役割を充分に果たせない場合……「751.亡命した学者」~「753.生贄か英雄か」参照
☆湖東地方の国々……「724.ディケアの港」「728.空港での決心」参照




