764.ルフスの街並
休日だからか、ルフス神学校前の大通りを走る車は疎らだった。
枯れ葉が舞い散る石畳の通りには、立派な屋敷の塀と門、その間に上品な造りの店があちらにポツリ、こちらにポツンと点在する。看板は、どの店も洒落たデザインだが、何屋なのかわからなかった。
「さて、どこに行きましょう?」
「服屋さん……見に行きたいんですけど、いいですか?」
「どのような服がご要り用なんでしょう?」
「あ、いえ、今はいらないんですけど、母が趣味で裁縫をしているので、アーテルの服を教えてあげたら喜ぶかな……と」
「あぁ、そう言うことですか。親孝行なんですね」
スキーヌムに屈託のない微笑を向けられ、ロークは用意した嘘を撤回したくなった。
少し考えて、本当の目的の一部を付け加える。
「ウチは焼け出されちゃって、母が拵えてくれた服はみんな灰に……実は今の服は、パドスニェージニク議員先生からのお餞別なんです」
「そうだったんですか。……道がひととき闇にあろうとも、月と星々の導きを見失わずば、夜明けに至る」
スキーヌムが聖句の一節を唱えると、近くを歩く神学生たちも唱和した。
ロークは小声で礼を言った。
「……だから、アーテルの服飾産業のことを伝えて、少しでも復興の助けになれたらいいなって思ってるんです」
目を伏せ、敢えてスキーヌムの表情は見ない。それでも、彼が心の芯からファーキルとネモラリス共和国内で暮らすキルクルス教徒に同情し、掛ける言葉を慎重に探しているのがわかった。
……コイツこんなあっさり騙されて、社会に出てからやってけるのか?
神学生たちは続々と門を出て、一方向へ歩いてゆく。ロークは、妙な心配をしながら人の流れに乗った。
「そう言うことでしたら……この辺りは住宅街でお店が少ないので、バスでショッピングモールに行きましょう」
「ショッピングモール?」
「服屋さんも、他のお店も、たくさんありますから、見学にはぴったりだと思いますよ」
二人は、呪文も呪印もない白い石畳の上を並んで歩いた。
あちこちの屋敷の前で、使用人たちがせっせと落葉を掃き集め、通りにはゴミがひとつも落ちていない。
心掛けの護りだ。
場を清めて心を鎮めれば、雑妖を遠ざけられる。
キルクルス教徒は殊更に「心掛けの護り」と呼ぶが、要は身の回りの掃除だ。
ネモラリスでは、町内会の当番で公共の場を掃除していた。力ある民は【操水】、力なき民は箒……手段が違うだけで、アーテルでもネモラリスでも目的は同じ「穢れを払い清めること」にある。
「来る時は、ちゃんと見る余裕がありませんでしたが、流石ですね。心掛けの護りがこんなに行き届いて……」
「国全体がそうならいいんですけどね……」
ロークは感じ入ってみせたが、スキーヌムは微笑を翳らせ、バスを待つ同級生も居心地悪そうにあらぬ方を向いた。首を傾げてスキーヌムを見るが、優等生は足下を見詰めている。
同級生の一人が「留学生のお世話係」に厳しい視線を向けたが、考え込むスキーヌムは気付かない。同級生は一呼吸置いて、ロークにやさしい声で聞いた。
「ロークさん、これからどちらへ?」
「社会見学にショッピングモールへ案内していただいてるんです」
「そうなんですか。お休みの日に勉強熱心なんですね。……残念ながら、たくさんあるお店の中には、忙しさに追われて、心掛けの護りが行き届かない所もあるんですよ」
同級生は、愛想笑いを引っ込め、顔を曇らせた。
「モールの共用部分は、きちんと清掃が行き届いてますから、大丈夫なんですけど……」
別の一人が付け加えると、行列の中から次々と「大丈夫な店」と「危険な店」の名が挙がった。到底、覚えきれるものではない。ロークは目を白黒させて礼を言い、情報を引き出す好機に食い付いた。
「みなさんは、どちらへ?」
「私たちもショッピングモールです。勿論、危険なお店には立ち寄りません。本屋さんに行くんです」
「学校の売店にない本なんですか?」
「えぇ。小説は置いてませんからね。ネット通販でもいいんですけど、気分転換も兼ねて……」
とっつきやすい話題を振ってくれたことに内心感謝して、ロークは本物の微笑で会話を転がした。
「読書家でいらっしゃるんですね。今、どんな小説が人気なんですか?」
「読者の性別や年齢層にもよるんですけど……私たちくらいの男子中高生の間では、何年も前から冒険小説が流行っていますよ」
「えっと……『冒険者カクタケア』のシリーズ、ご存知ですか?」
別の一人が、不安と期待の入り混じる目でロークを見る。
「いえ、初めて聞きました。どんなお話なんですか?」
正直に答えると、時間が止まったように場が静まり、スキーヌムに視線が集まった。
……教義に反するストーリーなのか?
察すると同時に、先程からスキーヌムが一言も喋らないことに気付いた。
「そう言えば、スキーヌム君は休み時間、ずっと読書してますけど、どんな本を読んでるんですか?」
「神学書や法律書を少々……」
「凄く勉強家でいらっしゃるんですね」
話を振った手前、ロークが褒めると、スキーヌムは恥ずかしげに目を逸らし、俯いてしまった。同級生に微妙な空気が流れる。
丁度そこへ、バスが来た。
ホッとゆるんだ空気の中で、ローク一人が青くなる。
「あ、小銭……!」
経理に小遣いとして渡されたのは、最高額の紙幣一枚きりだ。事務所に引き返して両替してもらおうにも、経理の職員は土日祝日が休みだった。バスの両替機が対応していなければ、誰かに立替えてもらうか、今日は外出を諦めるしかない。
スキーヌムが顔を上げた。
「大丈夫ですよ。これ、ショッピングモールの無料送迎バスですから」
「えっ? タダなんですか?」
拍子抜けしたロークに微笑んで頷く。
「はい。休日だけ、都内を巡回しています」
「運賃を徴収するより、お客さんが大勢来た方が儲かるんでしょう」
冒険小説ファンの同級生が付け加えると、他の少年たちも頷いた。
「へぇー……凄いですね」
ロークは素直に感心した。
車内は神学生だけでなく、家族連れや老夫婦、友達グループやカップルなどで満席だ。神学生たちが、吊り輪や手すりに掴まる。
バスが動きだすと、先程の同級生がロークに耳打ちした。
「カクタケアのシリーズ……外伝も含めて二十冊以上あるんです」
「そんなに続いてるんですか。大長編なんですね」
ロークは本気で驚いた。
同級生が、横目でスキーヌムの様子を窺う。優等生は、近くに座った老人に話し掛けられていた。
「しかも、一冊ずつストーリーがバラバラなので、とても一言では説明できないんですよ」
ロークが眉を上げると、同級生は更に声を潜めて囁いた。
「ファンが作ったまとめサイトや、感想を語り合うフォーラムがありますよ。よかったら、端末で検索して下さい」
「面白そうなことを教えてくださってありがとうございます。今夜早速、調べます」
スキーヌムに知られたくないのだと察し、小声で礼を言って彼との接点を作った。
ロークは、ファーキルがキルクルス教文化圏……共通語話者が集まる掲示板から情報を抜き出して、サイト「旅の記録」にまとめていたのを思い出した。
小説の話をきっかけに、彼と仲良くなれば、他の情報も引き出せるかもしれない。感想のフォーラムに顔を出せば、スキーヌム抜きで彼と遣り取りできる可能性がある。
男子中高生に人気の小説と言うことは、この国の文化の一端を知る手掛かりにもなるだろう。
……検索ってことは、インターネットに出てるんだな。じゃあ、ランテルナ島に渡った時に、ファーキル君にこの件も一緒に伝えればいいな。
「君も、フォーラムに参加しているのですか?」
「えぇ……内緒ですよ。本名のウルサ・マヨル・セプテムじゃなくて、オクトーって言うハンドルネームで出ています」
「はんどるねーむ……?」
「インターネット上のニックネームですよ。本名では何かと支障があるので、ロークさんも何か他の名前を使うといいですよ」
「そう言うものなのですか。ありがとうございます」
……そう言や、ファーキル君も「真実を探す旅人」って名乗ってたな。
魔法文明圏の国々では、真名ではなく呼称で生活する。
科学文明圏の国々では、実生活は本名で生活し、インターネット上では専用の呼称を名乗るのだと了解した。
二人の会話が、ご婦人方のお喋りとエンジン音に紛れる。ウルサ・マヨルはロークの肩越しにスキーヌムを窺った。ロークも窓に映る彼を見たが、遣り取りに気付かなかったのか、窓の外へ目を向けて無反応だ。
冒険小説ファンのウルサ・マヨルは、肩の力を抜いてロークに会釈し、連れと世間話を始めた。
葉を粗方落とした街路樹が、冬の訪れが近いと教える。
無料送迎バスは、同じ家の塀が延々と続く高級住宅街を抜け、庶民的な民家や集合住宅が並ぶ住宅街に入った。乗客が一気に増え、ぎゅうぎゅう詰めになる。
程なく、似た家が整然と並ぶ住宅街を抜け、様々な商店や色とりどりの看板をつけた雑居ビルでごちゃつく商業地区に入った。
赤信号でバスが止まり、何となく外を眺める。
雑居ビルの隙間で雑妖が蠢いていた。日当たりが悪いとは言え、日のある内からそんなモノが目に入るとは思わず、ロークはギョッとした。
二棟の雑居ビルは、看板のデザインから「大人向け」の店ばかりが入居しているのが窺えた。
……要するに、そう言うことなのか。
ショッピングモールにも、こんな「危険な店」を集めた「不健全」な区画があるのだろう。ロークは思わず苦笑した。
☆心掛けの護りだ……「069.心掛けの護り」参照
☆トイレでの一件……「762.転校生の評判」参照
☆サイト「旅の記録」にまとめていた……「448.サイトの構築」参照




