763.出掛ける前に
日曜の朝。ロークたちはいつもより早起きして礼拝堂に向かった。
街の教会では、朝九時からと決まっているらしいが、ここ、ルフス神学校では、年齢別で時間をずらして礼拝を行う。
ロークたち高等部の一年生は、午前六時半。礼拝当番はそれより早く行かなければならないらしいが、ロークはまだ当番が回っていないので、具体的なことは何も聞いていなかった。
ルフス神学校の礼拝堂は、一度に五百人は座れる大きな建物だった。
朝の光を受けて、ステンドグラスが虹色に輝く。その下で、精緻な彫像が神学生を見下ろしていた。柱や壁の要所要所には、文字のような細かい文様が刻まれている。
ロークが聖者の彫像に目を凝らすと、衣や帯には壁と同じ見覚えのある文様が刻まれていた。
……きっとこれも、【魔除け】か何かの呪文なんだろうな。
聖職者クラスの高等部全員と、星道クラスと一般クラスの高等部三年生、それに教職員がこの時間帯の会衆だ。眠気を堪えて新米司祭のたどたどしい説教に耳を傾ける。
「先日、聖者様への信仰が、ひとつの勝利を収めました。我らが聖なる星の道を行く空軍が、邪悪なネモラリス軍を打ち破ったのです」
会衆席の神学生から拍手が起きる。
若い司祭は、拍手が止むのを待って力強く宣言した。
「ネモラリス軍は、“魔法生物への殺傷力付与”を行い、実戦に投入しました。ご存知の通り、これは聖典だけでなく、国際条約でも固く禁じられています」
神学生たちが無言で頷き、静かな礼拝堂に衣擦れの音が漣のように広がった。
「邪悪な魔法使いの“悪しき業”を用いたこの暴挙は、決して許してはなりません。さあ、知の力の勝利を導く為に祈り、歌いましょう」
新米司祭の呼掛けで、神学生たちが立ち上がる。ロークもふらつく足を踏みしめて起立した。司祭に続いて聖句を唱える声が空々しく響く。
……先日って、いつ? いつの空襲の話をしてるんだ?
ロークは上の空で聖歌を歌い、部屋に引き揚げた。
外出の時間は、朝食後から夕食前までだ。朝食まで、まだ一時間近くある。
今朝は、スキーヌムがロークの部屋を訪れ、外出時の注意点を改めて説明してくれた。
「休日の外出は必ず私服で、制服での外出は厳禁です。学生証と端末を忘れずに持って行って下さい」
……そっか。端末で調べれば、いつの空襲かわかるんだ。
気にはなるが、今は気持ちを切替え、これからの外出に集中する。
「学生証はわかるんですけど、端末はどうしてですか?」
「GPSが付いているからですよ」
「じーぴーえす?」
初めて耳にした単語を鸚鵡返しに聞き返す。
スキーヌムは困った顔で少し考え、机に視線を向けた。ロークが、タブレット端末を充電器から外して電源を入れると、スキーヌムは自信なさそうに言った。
「全地測位システム……僕も詳しい仕組みまでは知らないんですけど、人工衛星を使って、端末機の現在地を正確に割り出す機能です」
「端末機の……現在地?」
「えっと、迷子を捜したりするのに便利で、自動車や飛行機にもついてて、道案内や、正しい航路を外れないようにしたりとか、色々便利なんですよ」
「へぇー……機械の力で正しい道に導く……じーぴー……ナントカを発明した人って、きっと信仰心が凄く篤い人なんでしょうね」
ロークが如何にも優等生らしい感想を口にすると、スキーヌムは我が意を得たりとばかりに瞳を輝かせた。
「そうなんですよ。バンクシアの大学と、バルバツムの会社が共同開発したんです。バンクシアは大聖堂があるから、世界中の叡智が集まってますし、バルバツムは最先端を行く科学文明国です。GPSは正しく信仰の賜物だと思います」
「凄いですね。これを持っていれば、万が一、スキーヌム君とはぐれても、司祭様たちがすぐにみつけて下さるんですよね?」
ロークが聞くと、陶然としていたスキーヌムは我に返って説明を続けた。
「はい。プライバシーの侵害になりますから、誰でも調べられる訳じゃなくて、端末を契約した権利者や保護者、それに通信事業者だけです。誘拐とか事件の捜査に限って、警察にも位置情報のデータが開示されます」
「わぁ……なんだか、オオゴトになっちゃうんですね」
……ランテルナ島に行くときは、端末を置いて行かなきゃいけないんだな。
いつ決行するか決まっていないが、心に刻む。
スキーヌムは、眉間に皺を寄せたロークに微笑んで端末を指差した。
「大丈夫ですよ。地図アプリを開けば、地図上に現在地が表示されるので、先にルフス神学校の所在地を登録しておけば、帰り路が表示されますし、僕とはぐれてしまっても、メールとかで連絡を取れますから」
「そうなんですか。安心しました。でも地図の使い方がよくわからなくて……」
スキーヌムは一言断ってロークの端末を手に取った。
「まず、このマークが現在地で……」
地図アプリを開き、ロークにもわかりやすいように、ゆっくり表示を変えて説明する。肩を並べて地図を覗くが、スキーヌムの手が微かに震え、画面は小刻みに揺れていた。
「座りましょう」
ロークがベッドに促すと、スキーヌムは何故か動揺し、躊躇ったが、決心したような顔で隣に腰を下ろした。
……他に並んで座れるとこないんだから、そんな遠慮しなくていいのに。
小一時間掛けて地図アプリの使い方を教えてもらい、ついでにバスの路線図アプリや店舗検索の仕方や、スキーヌムのメールアドレスなども教えてもらった。
「便利な通信アプリは色々ありますけど、今はまず、メールを使いこなせるようになるのが先ですね」
「そうですね。今教えていただいた分だけでも、いっぱいいっぱいなので、また今度、お願いします」
二人で食堂へ行き、みんなより少し遅れて朝食にする。
最初の一週間くらいは、スキーヌムも交えて他の同級生と一緒に食事をしたが、いつの間にか一人減り二人減り、今では誰からも誘われなくなった。その間、スキーヌムは一言も喋らず、黙々と食事をしていただけだ。
彼が他の神学生を遠ざけたようには見えず、何故こうなったのか、ロークには不思議だったが、トイレの一件でようやくわかった。
近くの席で食べる同級生は、挨拶だけして、それ以上は話し掛けない。ロークも、天気の話題で当たり障りのない一言二言を交わすだけで終わってしまった。
……参ったな。
スキーヌムが「面白みのない優等生」なのは、ロークも同感だ。彼と過ごすのはある意味ラクだが、それではここで得られる情報が限られてしまう。
今日は取敢えず、街の様子をしっかり見ることにして、校内での情報収集については、後でじっくり考え直すことにした。
ロークは、ルフス神学校に来て初めて、部屋着以外の私服に袖を通した。
パドスニェージニク議員が餞別としてくれたものだ。見た目は地味で質素だが、生地が上等で仕立てもいい。ロークが実家で着ていたどの服よりも上質なのが気に入らないが、他にないので仕方がなかった。
……そうだ、服屋に行こう。
行き先が決まったら、何に気を付けて見学するか考える。
ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクでは、服の大半が力ある民向けの呪文入りで、呪文なしの服は、高い税を掛けられていた。
アーテル本土ではどうなのか。
呪文の有無、値段、素材、地元で作ったものか輸入品か。輸入品ならどこの国のものか。
……司祭の衣みたいにこっそり【魔除け】とか入れてないか。後はアーテル本土の産業と外国との関係くらいかな。
服からわかりそうな情報は、そのくらいしか思いつけない。後でラゾールニクやフィアールカに伝えれば、彼らは情報を別の角度から見て、もっと色々なことが分かるかもしれなかった。
「あ、すみません。お待たせしました」
「いえ、僕も今、降りて来たばかりなので……」
スキーヌムは、一目で上等な生地だとわかるコートに手編みのマフラーを巻いていた。
宿舎の玄関から連れ立って門へ向かう。
……やっぱ、お坊ちゃんなんだな。
校門には神学生が長い列を作っていた。守衛に挨拶し、学生証を機械の前に出して門を出て行く。
「カードリーダーに学生証の情報を読み取らせているんです。ここのコードを読取機の赤い光にかざして、画面にクラスと学年と名前が表示されたら、読取完了。誰が、いつ、出入りしたか記録されます」
「へぇー……何だか凄いですね」
……機械で人の出入りを管理してんのか。
ロークは、自分が工場から出荷される製品にでもなったような気持ちで、守衛に学生証の写真を見せた。教えられた通り、裏の何だかよくわからない模様を赤い光線にかざす。手帳くらいの画面にロークの情報が表示され、その下に赤で「外出」の文字と時刻が秒単位で表示された。
「それでは、お気をつけていってらっしゃいませ」
「はい。行って参ります」
守衛に恭しく送り出され、二人はルフス神学校の正門を出た。
※全地測位システム……正しくは「全地球測位システム」だが、野茨の環シリーズの世界は「地球」ではない気がするので、この表記。星の名前は考えていない。いや、まぁ、地元民が自分たちが住む場所を「地球」と呼んでも支障はないので、「地球」でもいいけど、なんとなく。
☆ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクでは、服の大半が力ある民向けの呪文入り……「494.暇が恐ろしい」参照
☆呪文なしの服は、高い税を掛けられていた……「532.出発の荷造り」参照




