762.転校生の評判
ルフス神学校の授業は、ロークが思ったより簡単だった。
……まぁ、そりゃそうか。二学年下の授業を受け直してるだけだもんな。
拍子抜けしたが、歴史の授業は知らないことだらけ、神学は祖父とは少し異なる解釈があり、気は抜けなかった。
月曜に経理の職員に宝石の「両替」を頼むと、水曜に宝石商が訪れ、学長、アウグル司祭、経理の職員、ロークの立会の許、学長室の金庫に現金が収められた。
運び屋フィアールカは安物だと言っていたが、質がいいとかで、一番小さいものでも、大卒銀行員の初任給と同じくらいの額になった。
……フィアールカさんにとっては端金なのかな?
考える内に、キャッツアイには魔力が籠められないから、魔法文明国のスクートゥムや両輪の国のネモラリスでは安物なのだと気付いた。
科学文明国のアーテルでは、高校生の小遣いレベルではない高値の宝石なのだ。
「物価がわからないと思いますが、無駄遣いせず、実用性のある必要な物だけを購入して下さい」
「はい。ご忠告、ありがとうございます」
経理の職員に礼を言い、一枚だけ渡された紙幣を財布に仕舞う。最高額の紙幣だと説明されたが、ロークには、この一枚がどのくらいの価値なのかもわからなかった。
「日曜は、スキーヌム君に案内を頼むとよいでしょう」
「はい。一緒に行って下さると心強いです。でも、彼にも予定があるでしょうし……」
ロークが、アウグル司祭の助言に不安がってみせると、学長に苦笑された。
「その辺りは、二人で相談して都合を合わせるようにね」
……他の奴と一緒に行けって言わないんだな?
ロークの世話は、神学生たちからしてみれば「煩わしい雑事」だ。
今のところ、いじめられたりはしていないが、アーテルと戦争中のネモラリスから逃れてきた留学生と、積極的に関わり合いになる者も居なかった。
他の神学生も、ロークが同行を頼めば、司祭の手前、断ったりはしないだろうが、いい顔もしないだろう。
……俺が他の奴に頼んだら、「お世話係」のスキーヌム君が後で何か言われそうだよな。「お前がちゃんと面倒見ないせいで、貴重な休日が潰れた」とか何とか言って、いじめられたりとか……?
そんなことを考えながら自室に戻る。夕飯まで、まだ時間があった。
「スキーヌム君、少し相談したいことがあるんですけど、今、大丈夫ですか?」
ロークがノックすると、隣室のスキーヌムはすぐに開けてくれた。
「どうぞ、中で話しましょう」
「いいんですか?」
「その方がゆっくり話せるでしょう?」
「ありがとうございます。お邪魔します」
この礼儀正しく堅苦しい遣り取りにも、二十日近く経ってやっと慣れてきた。
……コイツは素でやってんのか。ホントにお坊ちゃんなんだな。
初等部から入学したと言うスキーヌムの部屋は、編入したばかりのロークと大差なかった。天井近くまで高さのある本棚がふたつあるくらいしか違わない。所持品が少なく、散らかる余地がなかった。
初めて訪れたからと言って、他人の部屋を物珍しげにじろじろ眺め回すのは、はしたない。
ロークは本棚の内容までは見ず、勧められるまま、椅子に腰を下ろした。スキーヌムはベッドに浅く腰掛け、やや見上げるような恰好でロークの顔を見る。
「お招きありがとうございます」
「何のおもてなしもできませんけど、僕にできることでしたら、何でも相談して下さい。二人では難しいことでも、司祭様たちにお願いすれば、きっとその智恵と知識で助けになって下さいますよ」
何の屈託もない微笑を向けられ、ロークは初めの疑問が目を醒ましたが、ぐっと堪えて用件を切り出した。
「スキーヌム君や他の皆さんのお陰で、学校生活にもかなり慣れてきました。ありがとうございます」
「いえ、そんな……僕は何も……」
ロークが姿勢を正し、改まって礼を言うと、スキーヌムは頬を赤らめた。
「スキーヌム君のお陰で、とても助かっています。それで、厚かましいついでに、今週の日曜、街の案内をお願いしたいんですけど、ご都合いかがですか?」
謙遜したスキーヌムにみなまで言わせず、畳み掛けた。
「急な話なので、スキーヌム君にもご都合があるでしょうし、無理しなくて結構ですよ。他の人にお願……」
「いえッ! 大丈夫です! 日曜は礼拝以外、何もありませんから!」
ロークが勢いに驚くと、スキーヌムはハッとして片手で口許を覆った。
「えーっと……あの、すみません。お休みの日に家族以外の誰かと出掛けるのは初めてなので、僕の方こそ、到らない点が多いと思います。こんな僕でもよろしければ、ご一緒させていただけましたら嬉しいです」
……なにこれ、重ッ! コイツ、ホントに友達居ないのか。
この三週間程過ごした教室の様子が、ロークの頭を瞬時に駆け巡る。
最初の数日、ロークは休み時間の度に好奇の目で囲まれ、根掘り葉掘り質問された。スキーヌムは人垣に加わらず、自席で静かに本を読んでいた。
ロークは、なるべくキルクルス教徒として模範的で当たり障りのない答えを返し続けた。
珍獣扱いの波が去る頃には、同級生の大半がロークを「つまらない優等生」と判断して離れて行った。スキーヌムはそれでも変わりなく、休み時間は本を読み、ロークがわからないことを質問すれば、快く教えてくれた。
ある日、ロークはトイレの個室で同級生の声を耳にした。
「変わった子が来るって噂だったから、期待してたんですけどね」
「ちょっと拍子抜けしましたよ。筋肉は凄いですけど……」
「あれは、瓦礫の撤去を手作業でしたからって言ってましたよね」
想像しただけで気が遠くなりそうだ、とロークに質問した時と同じ溜め息が漏れる。
出るに出られず、聞き耳を立てた。
「あのくらい聖者様に帰依した人でないと、フラクシヌス教徒の中で信仰を守れないでしょう」
「あぁ、そうですね。聖職者としては正解だし、真似できないくらい立派ですけど……」
「彼と喋ってると、スキーヌム君や司祭様と喋ってるみたいで、何か緊張するんですよね」
「そうそう! 休みの日に街に誘ったりなんかしたら、『清貧の内で勤めを果たしなさい』って叱られそう」
……えっ? 俺ってそこまでお堅い奴だと思われてんの? ちょっとやり過ぎたかな?
だが、今更手を抜く訳にもゆかず、息を殺して同級生の声に耳を傾ける。手を洗う水音が止み、同級生の声がはっきり聞こえるようになった。
「瞬く星っ娘のセレノとマイア、どっちが好き? とか聞いたら、怒られそうですよね」
「あー……何か、そんなカンジしますよね。スキーヌム君と話が合うみたいですし……」
……なんだそりゃ?
謎の選択肢は気になったが、この状況でのこのこ出て行くのは憚られる。腕時計に目を遣ると、授業までまだ七分もあった。
「低俗な話題を振ったら、軽蔑されそう」
「でも、若い信者の殆どがファンだし、そう言う話題にもついて行けないと、聖職者の仕事、難しそうですけどね」
「ネモラリスには、瞬く星っ娘のファンが居ないんでしょうか?」
「さあ? 気になるなら、ご自分で聞いて下さいよ」
「えー……それは、ちょっと怖いです」
四、五人の同級生は、そんな話をしながらトイレを出て行った。
アウグル司祭が、他の同級生を誘えと勧めなかった理由は、何となく察した。
ロークは「異教の地で信仰を守り通した聖人」で、司祭並に堅苦しくてとっつき難い存在として、同級生から敬して遠ざけられている。
……誰とでも仲良くなって、情報を引き出す作戦だったんだけどな。
同級生の反応から、スキーヌムも「つまらない優等生」として避けられているとわかった。彼自身、あまり社交的な性格ではないようで、積極的に話の輪に加わる姿は、今のところ目にしていない。
今、目の前に居るスキーヌムは、教室とは別人のように瞳を輝かせ、活き活きしている。
「俺の方こそ、アーテルの常識とか、全然わかってなくて、ご迷惑をお掛けしてしまうかもしれませんが、正しい道から足を踏み外さないように、ご指導、よろしくお願いします」
ロークは椅子を立ち、ベッドに座るスキーヌムに握手を求めた。逞しい手を握り返した優等生の手はやわらかく、見上げる笑顔は感涙に潤んでいた。




