761.どこへ行けば
葬儀屋アゴーニがお湯を沸かし、薬師アウェッラーナがお茶を淹れた。
クルィーロはいつもの香草茶かと思ったが、香りが全く違う。独特の風味は何とも言えず、少なくとも紅茶ではない。初めて見るお茶は、琥珀色だった。
「温香茶です。これから寒くなるので、街で身内を探すついでに買ってきました。あったまりますよ」
説明した薬師の微笑みは、どことなく淋しげだ。
……みつからなかったってことだよな。
薬師アウェッラーナの身内は、少なくとも王都ラクリマリスや、ネーニア島南東部には居なかったということだ。彼女の目の前で、再会を喜んではしゃいでしまったことが気マズい。
「アウェッラーナさん、このお茶っ葉は、香草茶みたいにその辺で採れないんですか?」
「これ、大陸本土にはいっぱい生えるそうなんですけど、この辺の島にはないんですよね。それに、どの途、収穫期は夏なので、今はもう……」
クルィーロは、レノが話題を変えてくれたことにホッとした。
アマナが首を傾げる。
「すぐそこなのに、島にはないの? 不思議……」
「そうねぇ。近くなのに不思議よね……実は、ランテルナ島でも探してたんですけど、橋で繋がってるあそこにもなかったんですよね」
「ランテルナ島に?」
国営放送アナウンサーのジョールチが、新聞から顔を上げ、湖の民の薬師をまじまじと見る。アウェッラーナは口を滑らせたと気付き、表情を凍らせると、メドヴェージに助けを求めるような目を向けた。トラックの運転手が、ニヤリと笑って頭を掻く。
「姐ちゃん、俺らの大冒険は、ラジオの人らにゃ言ってなかったんだよ。すまねぇな」
「大冒険?」
ラジオのニュースと同じ声が、短く問う。
……あ、マズッ! 父さんにも詳しいこと言ってないんだ。
今は「ネモラリス憂撃隊」と名乗る警備員オリョールたち武闘派ゲリラの活動を手伝って、アーテルの空軍基地を潰したなどと知られたくなかった。
クルィーロたちは戦闘には加わらなかったが、薬や食糧の加工などで後方支援し、人殺しの片棒を担いだことには違いない。
それに、何故、ゲリラの拠点を出たのかは、もっと知られたくなかった。
「話せばすっごーく長くなっちゃうんですけど、それでも聞きたいですか?」
「じゃあ、要点だけ、手短にお願いできるかな?」
クルィーロは先手を打ったが、ジョールチは苦笑しただけだった。
言ってしまったものは仕方がない。
アウェッラーナ、メドヴェージ、レノを順繰りに見ると、微かに顎を引いた。任されたクルィーロは、最後にピナティフィダを見る。怖い目に遭った少女も、目顔で同意を示した。
「えーっと……俺たち、ゼルノー市で空襲に遭って、どうにか国営放送のゼルノー支局に行ったんですけど、誰も居なくて、食堂に残ってたものを食べながら瓦礫を除けて道を作って、トラックで森を抜けてトンネル通ってラクリマリス領まで行って、行商しながらネーニア島の南側を東へ向かってたんです」
ジョールチは、クルィーロの拙い説明に口を挟まず、頷きながら聞いている。ここまでは、父のパドールリクにも社宅に居る間に説明済みだ。
……問題は、こっから先なんだよなぁ。
「森の道を走ってたら、道の真ん中に魔獣が二頭居て、喧嘩してるっぽかったんです」
「何だって?」
父が驚いて我が子を見る。メドヴェージが申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「なるべく燃料を節約したかったんでな。地元の奴に教えてもらった近道を通ったんだ。レサルーブの森は大丈夫だったしよ」
「危ないから枝道に入って逃げたんだけど、一頭が追っかけてきて、北ヴィエートフィ大橋に追い詰められたんだ」
クルィーロの後をアウェッラーナが引き受ける。
「ラクリマリス軍の兵隊さんが、橋には強力な護りがあって安全だからって通してくれて、扉を閉めて戦ってくれたんですけど、負けちゃったみたいで……」
「では、あの記事の写真は君たちが撮ったのか?」
「どんな記事ですか?」
クルィーロが聞くと、ジョールチはアミトスチグマで発行された新聞を畳んで答えた。
「湖南経済のアミトスチグマ版にSNSの写真が載ってたんだよ。……あぁ、新聞は港公園のフリーマーケットで買ったもので、ネモラリスの正規ルートでは出回っていなかった情報だ」
アウェッラーナが言葉を選んで説明を続ける。
「その時は、グロム市に親戚が居る子が一緒で、その子が撮ったんです」
「その坊主を送ってって、俺らはそこで船賃稼いで王都に渡るつもりだったんだがな、王国軍の部隊は全滅だし、扉はひん曲がっちまって開かねぇしで、仕方なしに南へ行ったんだ」
「向こうにはアーテル軍の警備兵が居たでしょう。一体、どうやって……?」
国営放送のジョールチが、トラックの運転手を訝しげに見る。
薬師アウェッラーナが早口に説明した。
「みんなでキルクルス教徒のフリをしたんです。私は荷台の小部屋に隠れて荷物のフリして……」
「よくそれで誤魔化せましたね?」
ジョールチが呆れ、父がアマナを抱きしめた。
「お祈りの言葉が【魔除け】の呪文そっくりだったんで、俺もびっくりしたんですけどね。お陰で怪しまれなくて済みました」
「えぇっ? 【魔除け】? アーテル人はみんなキルクルス教徒でしょう?」
「それは俺もわかんないんですけど、地下街でフィアールカさんとかお店の人と知り合いになって、トラック容れられる【無尽袋】作るのに材料集めたり、バイトしたりして何カ月も掛かって、やっと王都に行けたんです」
クルィーロは核心には触れず、早口に説明した。
「隊長が魔獣やっつけて角を取ったから、ナントカ袋を作れたんだ」
何故かモーフが得意げに言う。ジョールチが驚いて聞いた。
「隊長さんって、力なき民だよね?」
「魔法の剣があったからな」
モーフがふんぞり返る。クルィーロと父は、同時に付け足した。
「今は俺が預かってるんですけど」
「あの剣ですよ」
ジョールチはそれで納得し、この話は終わった。
クルィーロたちの父パドールリクが、今夜どうするか聞く。
「さっき、フィアールカさんから聞いた話だと、首都やレーチカの辺りは前より危ないらしいぞ。どうにかして、アミトスチグマの難民キャンプに行って、終戦を待つのがいいと思うが、どうだろう?」
「ウチは……母さんが生きてて、どこかに避難してるらしいんで、捜しに行きたいです」
レノが言うと、ピナティフィダとエランティスも力いっぱい頷いた。
アマナが泣きそうな顔で父を見上げる。
父は首を横に振った。
「レノ君たちが帰還難民センターで聞いたのは、二ヶ月くらい前だろう? おかみさんがいつまでもそこに居ると思うかい?」
「でも……あの時は“ネモラリス島に居ない”ってなりましたけど、ネーニア島に居たなら、こっちに来てるかもしれないし……」
「君たちが王国領やアーテル領に居る間に、役所かどこかで“子供たちはネモラリス国内に居ない”って【明かし水鏡】で知って、入れ違いにラクリマリスか、アミトスチグマに行ったかも知れないんだよ?」
レノたち兄姉妹が顔を見合わせて黙る。
クルィーロは思わず唸った。
「うーん、確かに有り得なくないけど、でも、なぁ……」
薬師アウェッラーナが遠慮がちに予定を言う。
「私は、身内の船がこっちの島に避難してくるかもしれないので、取敢えず、ギアツィントに行きたいです」
「私とレーフは、フィアールカさんがくれた情報を国民に伝える活動をします。トラックの皆さんとお別れすることになっても、どうにかして発電機を手に入れて、ワゴンで放送しますよ」
ジョールチがメドヴェージを見て言うと、トラックの運転手は判断を保留した。
「俺らは隊長待ちだ。トラック丸ごと返せって言わねぇでくれて、ありがとよ」
「俺ぁまぁ、何がどうってんでもないからな。あんたらについて行くぞ」
葬儀屋アゴーニが、メドヴェージと少年兵モーフに笑い掛けた。モーフも二人に異存ないらしく、大人しく頷く。
「おじさん、難民キャンプは、お医者さんも薬も全然足りないって聞きました。行くにしても、先にアマナちゃんの耳を治してからにしませんか?」
レノが言うと、父は考え込んだ。
クルィーロも地図を思い浮かべて考える。
ネモラリス軍がネーニア島北西部で大敗したニュースが伝われば、アミトスチグマの難民キャンプには、もっと人が増えるだろう。
いつ治してもらえるかわからない上、魔物や魔獣の脅威がすぐそこにある場所で、いつになるかわからない終戦を待つのは、心労で気がおかしくなりそうな気がした。
無言で思案に暮れる父の横顔を見て、クルィーロは複雑な気持ちになった。
レノたちは、パン屋のおかみさんが、ネモラリス島に渡ったことに賭けている。アマナを見れば、仲良しのエランティスとまた離れ離れになるのを恐れているのが、痛いくらいよくわかった。
「おじさん、きっとこれから難民キャンプには、人がどっと押し寄せますよ。もうすぐ冬なのに、そんな急に家や【結界】を増やせないでしょう?」
「うーん……」
父が渋い顔で唸った。
他の大人たちは、それぞれ事情や目的がある。クルィーロたちの判断に口を挟まず、成り行きを見守っていた。
レノが畳みかける。
「俺たち、力なき民だし……それなら、この島の北部のどこかに居た方がマシだと思うんです」
「流石にリャビーナまで行けば、病院やってそうだし……」
「そう……だな。わかった」
クルィーロが加勢すると、父はやっとネモラリス島に残る決心をしてくれた。アマナがエランティスと手を取り合って喜ぶ。クルィーロはホッとして、レノに礼を言った。
ソルニャーク隊長とDJレーフは、夕飯前に戻ってきた。
「そうか……それがいいだろう」
レーチカで詳しい戦況を知ったと言い、ソルニャーク隊長はあっさり了承した。
……フィアールカさんは、アミトスチグマ行きを勧めてくれたけど、これが、今の俺たちみんなの願いなんだ。
二日後、休憩所を訪れた運び屋フィアールカは、呆れながらも移動販売店プラエテルミッサの意見を尊重してくれた。
☆アーテルの空軍基地を潰した……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆何故、ゲリラの拠点を出たのか……「469.救助の是非は」~「472.居られぬ場所」参照
☆新聞は港公園のフリーマーケットで買った……「575.二カ国の新聞」参照
☆みんなでキルクルス教徒のフリをした……「312.アーテルの門」参照
☆お祈りの言葉が【魔除け】の呪文そっくり……「308.祈りの言葉を」参照
☆隊長が魔獣やっつけて角を取った……「477.キノコの群落」~「479.千年茸の価値」参照
☆あの剣です……「746.古道の尋ね人」参照
☆レノ君たちが帰還難民センターで聞いた……「596.安否を確める」参照
☆ワゴンで放送……「660.ワゴンを移動」~「663.ない智恵絞る」参照
☆トラック丸ごと返せ……「673.機材の積替え」「690.報道人の使命」参照




