759.外からの報道
午後のリハビリと最後の診察を終え、レノとティスが病室で寛いでいると、運び屋フィアールカが見舞いに来た。
「順調でよかったわね。治療代は私が払ったから、明日の朝イチですぐ発てるけど、行き先、決まった?」
レノたちが礼を言おうとするのを遮り、湖の民は手を振ってにっこり笑う。
「いいのいいの。気にしないで。知ってると思うけど、施療院の運営は、教団全体への寄付で賄ってるし、支払いは“無理しない程度の志”なのよ」
「でも……」
「あなたたち、クレーヴェルの様子とテロのこと、詳しく教えてくれたでしょ。その情報料だと思ってちょうだい」
元神官のフィアールカは、兄妹にみなまで言わせず、勝手知ったる様子で椅子に腰を下ろした。
レノは、ティスが足の接続手術を受けた翌日、フィアールカに首都クレーヴェル到着から脱出までのことを根掘り葉掘り聞かれた。あの時の気持ちが甦り、ティスの手を握る。思った通り、震えていた。
薬師アウェッラーナと三人で、泣きながら説明したのだ。フィアールカは、三人が落ち着いて話せるようになるまで、辛抱強く待っていた。
……それだけ、欲しい情報だったってことか。
「辛いのに頑張って教えてくれた情報には、それだけの値打ちがあるのよ。それに、あなたたち、例のアレ、寄付したじゃない」
「いえ、俺たちは一本もらったんで……」
「あれはお店の共有財産だったんでしょ? 三人兄姉妹なのにひとつだけって遠慮したんだから、あなたたちみんなからの寄付よ。人数で割ったって、莫大な金額なのよ?」
「あー……」
レノは何と言ったものかと困ったが、相談しようにも、薬師アウェッラーナは談話室に居る。リハビリが終わるのを待つ間、液晶ビジョンとか言うタブレット端末を大きくしたようなもので、ニュースを見ていた。
談話室はいつになく人がいっぱいで、アウェッラーナは人垣の奥から「後で行きます」と答えるだけでやっとのようだった。
「えぇっと、とにかく助かりました。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
レノがどうにか礼だけ言うと、ティスもベッドの上でペコリと頭を下げた。
「いいのよ、気にしなくって。それより、みんなが何のニュース見てたか気になるでしょ?」
「はい。一体、何があったんですか?」
運び屋フィアールカは、バッグからタブレット端末を取り出した。ベッド付属の小さなテーブルに端末を置き、ファーキルがよく見ていたポータルサイトにアクセスして、ニュースを表示させる。
国際ニュースのトップは、「ネモラリス軍大敗、ネーニア島北西部炎上」だった。
レノは息をするのも忘れ、見出しの一覧に釘付けになる。
フィアールカの指が、トップニュースの見出しをつつくと、詳細が表示された。
視界に飛び込んだ写真に息を呑む。
どこだかわからない大きな街が、火の海になっていた。
下には撮影年月日と「アーテル軍の無人機による空爆が実施されたガルデーニヤ市(アーテル空軍提供写真)」とのキャプションが添えてある。
ネモラリス軍の魔装兵が、迎撃中に空撮する余裕があるとは思えず、ネモラリスの新聞社が、戦闘空域で報道ヘリを飛ばすとは考えられない。
……何だよ……何なんだよ、これ……「魔法使いを火炙りにしてやった自慢」かなんかのつもりなのか?
写真の日付は一昨日だ。
記事には、アーテル軍が地上の基地からミサイルを発射し、北ザカート市沖に展開していたネモラリス水軍の防空艦フーネラーレを撃沈した、とある。
その混乱に乗じ、有人機と無人機の混成部隊が防空網を突破。有人機は、ネーニア島西岸沿いの農村や漁村に焼夷弾を投下しつつ北上、ガルデーニヤ市の手前で帰投した。
無人機は北上後、二手に分かれ、ガルデーニヤ市と沖合のマノーク島をナパーム弾で空爆した。
アーテル軍側の被害は、死者七名、負傷者なし。
ネモラリス側は、軍人が死者四十七名、負傷者九十八名、その内三十二名が重傷を負った。一般市民の死傷者も、かなりの数に上ると見られるが、アーテル軍の空爆から二日経った現在も、人的被害の確認は進んでいない。
……そりゃ、これだけやられたら、防空壕の人も蒸し焼きになるよな。死体から魔物が涌いて、死体を食べて魔獣になって……危なくて救助も調査もできないよ。
レノは、マスリーナ市の巨大な魔獣を思い出し、ティスの手を握りしめた。妹は蒼白な顔で、画面を食い入るように見詰める。
関連記事には、ネモラリス政府は勿論、国境なき医師団や国際ジャーナリスト連盟、紛争地に於ける人権監視団などが、この攻撃を「非戦闘員に対する一方的な虐殺である」と断じ、アーテルに批難声明を出した、とあった。
「しばらく空襲がなかったから、ガルデーニヤに戻った人がそこそこ居て、復興もちょっと進んでたのよ。記事はさらっと流してるけど、まぁ、酷いものよ」
椿屋の兄妹は言葉を失い、端末を呆然と見る。
運び屋フィアールカは、俯く二人の顔を覗き込んだ。
「どうする? それでも、ネモラリスに帰る?」
心配してくれているのは、痛い程よくわかる。
運び屋は、レノや各国の報道機関よりずっと詳しい情報を掴んでいるのだろう。それでも、フィアールカの質問が無神経に感じられ、レノの心はささくれ立った。
……いや、今はそんな場合じゃない。ピナとティスを守らなきゃいけないんだ。
今は母が生き延びて、どこかにいると信じるしかない。それに、ピナはクルィーロたちと一緒に、ウーガリ古道で星の道義勇軍の三人と合流した筈だ。
ネモラリス軍の被害は甚大だが、アーテル軍にも被害が出ている。
……何か、あっちこっちから怒られてるし、すぐにはネモラリス島まで攻めて来ない……よな?
判断しようにも、情報が足りなかった。軍事に関しては、ソルニャーク隊長と、軍医の経験がある呪医セプテントリオーが詳しいが、彼らはここには居ない。
「アーテルは……何で、こんな……?」
自分で思う以上に質問の声が震えて掠れた。フィアールカが、答える代わりに慣れた手つきで端末を操作し、別の記事を表示させる。
このほど、ラクリマリス王国軍が、ツマーンの森で魔哮砲の断片を捕獲したと発表した。
報道官の発表によると、アーテル軍が王国領に植えた腥風樹の捜索と駆除に当たる部隊が、ツマーンの森南部で巨大な四眼狼と遭遇。魔獣の駆除後、付近で不定形の魔法生物を発見、捕獲した。
大きさは鼠程度で、基地に持ち帰って解析したところ、ネモラリス軍が「魔哮砲」と呼び、兵器利用していた魔法生物の断片であることが判明した。
ラクリマリス王国軍は解析結果を受け、魔法生物禁止条約に基づき、国連の国際魔術機関と魔道士の互助組織「蒼い薔薇の森」の立会の許、【従魔の檻】に閉じ込め、厳重に封印を施した上でラキュス湖西地方の荒野に投棄した。
約七百年前の研究資料によると、この個体は極めて限られた条件下で分裂し、極稀に断片が生存すると言う。
当時は厳格な条件を守る限り、魔法生物の研究開発は禁じられていなかった。
魔法生物の兵器化と繁殖力の付与は当時から禁じられており、意図せず増殖能力を持っていたこの個体は、事故を機に当時の条約に基づいてクブルム山脈の奥地に封印された。
「ネモラリス軍が封印を解いて兵器化して、おまけに増殖能力もあるってわかったもんだから、アーテル軍はキルクルス教の教義に従って、“悪しき業”を使う者の巣窟を焼き払ったってとこかしらね?」
「でも、そんな……ガルデーニヤの人が作ったんじゃないのに……」
「大昔の人のせいなのに、どうして?」
レノとティスの震える声に、長命人種のフィアールカは目を伏せ、静かな声で言った。
「これが……戦争って言うものなのよ」
ティスが声もなく涙をこぼす。慰めようとしたレノも言葉に詰まり、流れる涙を止められなかった。
兄妹が涙を拭い、これからどうするか考えているところへ、薬師アウェッラーナが戻ってきた。
「私も、このニュースを見てたんです。でも、私はネモラリス島に戻ります」
「どうして? ご家族は、ニュースを見てアミトスチグマに渡ったかもしれないのに?」
フィアールカが眉を顰めた。
「難民キャンプだって、魔獣に襲われたりして安全じゃありませんし、グロムの北で知り合いに会えて、トポリに居るかもって言われて……」
「今度の空襲を知ってギアツィントかどこかに逃げてくるかもって? それこそ、船を置いてアミトスチグマに避難するんじゃないかしら?」
フィアールカの疑問は尤もだ。
身の安全を第一に考えれば、誰だってそうするだろう。
レノは、薬師アウェッラーナが一緒に来てくれるのは心強いが、また彼女一人に苦労を背負い込ませるのではないかと申し訳なくなった。
「兄が船を捨てるなんて考えられません。船があれば、食べ物と住む所に困りません。それに……」
「それに?」
漁師の娘アウェッラーナは、俯きかけた顔を上げ、フィアールカにきっぱり言った。
「光福三号は、半世紀の内乱で一隻だけ残った一族みんなの船なんです。みんなの思い出が詰まった船を手放すなんて、無理です」
「そう……わかったわ。でも、ネモラリス島の北側を回り込んで、湖上封鎖の範囲を避けて、アミトスチグマに行くルートもあるのよ?」
……魔獣が出るったって、空襲で皆殺しにされるよりはマシだし、そりゃ、他所の人は難民キャンプの方がいいと思うんだろうけどさ。
レノも、母がネーニア島のどこかに居ると言う情報がなければ、クルィーロたちを誘ってキャンプへ行っただろう。
「もし、行くとしても、最後の最後にします」
「どうして?」
「森の開拓民にされて、平和になっても帰らせてもらえないって噂で聞いて……」
情報通のフィアールカも初耳だったのか、目を丸くして、どんな噂なのか質問した。薬師アウェッラーナは、神殿の避難所で聞いた噂を詳しく語った。
「一人一人に【制約】を掛けるの? 非現実的だけど……まぁいいわ。明日の朝イチでウーガリ古道に送ってくから、寝坊しないでね」
フィアールカが出て行った途端、レノは大きく息を吐いた。
☆首都クレーヴェル到着から脱出までのこと……「596.安否を確める」~「734.野原での別れ」参照
☆例のアレ、寄付した……「565.欲のない人々」参照
☆俺たちは一本もらった……「564.行き先別分配」参照
☆マスリーナ市の巨大な魔獣……「184. 地図にない街」「185.立塞がるモノ」「200.魔獣の支配域」参照
☆約七百年前の研究資料/事故……「581.清めの闇の姿」「726.増殖したモノ」参照
☆光福三号は、半世紀の内乱で一隻だけ残った一族みんなの船……「002.老父を見舞う」参照
☆神殿の避難所で聞いた噂……「737.キャンプの噂」参照




