756.軍内の不協和
「湖水の光党、寝返った奴がいるらしいな」
「おい、滅多なコトを言うもんじゃないぞ」
「誰から聞いたんだよ?」
魔装兵ルベルは、トポリ基地の食堂で、ひとつ離れた卓の会話に思わず耳を欹てた。
髪の色は様々だが、緑だけが居ない。陸の民の兵士四人は声を潜めたが、食器が触れ合う音に紛れず、話し声はルベルの許まで届いた。
「首都の治安部隊の奴だよ。こないだ補給に行った時、ちょっと時間が余ったから色々聞いてきたんだ」
近くの席は、ルベルを含めてみんな陸の民だ。湖の民は、窓際や出入口に近い席で固まって、言葉少なに昼食をかっ込むと、そそくさ出て行く。
……クーデターの前は、普通にみんな混じって、雑談とかしながら食べてたのにな。
ルベルは芋と魚のスープを食べながら、聞き耳を立てる。
「首都に役人や議員は、まだ残ってるんだ」
「そりゃ、都民の暮らしを守んなきゃなんないし、我先に逃げたら、職場放棄だっつって後で処罰されるだろ」
「レーチカの臨時政府と、首都で解放軍から防衛する役で、半々くらいなんじゃなかったか?」
一人が言うと、事情通は堅パンをスープで呑み下して言った。
「最初は確かにそうだった。避難できない都民の方が多いんだからな。クーデターの初日に議員宿舎が占領されて、治安部隊がどうにか解放したけど、その議員の中に……」
「国会議員が人質んなってんのに、気にしないで踏み込んで、力技で奪還したら、そりゃ、信用ガタ落ちだろ」
兵士の一人が呆れると、事情通は首を振った。
「わかってねぇな。人質なんて意味を成さないって行動で示したから、最小限の犠牲で済んだんだ。議員全員の命を惜しんで攻めあぐねてたら、今頃は奴らの要求が全部通って、レーチカの臨時政府から外国に支援を呼びかけたりとかもできなかったんだぞ」
「そう言うもんなのか?」
「でも、そのせいで議員からの心証が悪くなって、裏切る奴が出たんじゃないのか? 特に湖の民……」
最後は殆ど口の形だけで言い、緑髪の兵が固まる一画を盗み見る。
ルベルもつられてそちらを見た。
離れた席の彼らには届かなかったのか、先程と変わりなく食事を続けている。
湖水の光党の支持母体は、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの信者団体だ。陸の民の支持者も居るが、ネモラリス共和国の人口比を反映して、湖の民の方が多い。
主神フラクシヌスの信者団体が支持母体の秦皮の枝党との連立政権は、半世紀の内乱終結後、三十年間変わることなく存続していた。
……半世紀の内乱のことを水に流して、信頼関係を築けたから、連立与党でやってきたんじゃなかったのか?
内乱後に生まれたルベルには、これと言って政党にこだわりはない。
人種や信仰に基づいて、特定の政党に肩入れする人々の気持ちは、よくわからなかった。
投票には毎回きちんと行くが、二十代のルベルには片手で数えるくらいしか選挙の経験がない。その時の気分で政党や候補者を選び、結果が出た後は、誰に投票したか、すぐに忘れてしまう。
「ウヌク・エルハイア将軍は、湖の民の名門だ」
「こっちのアル・ジャディ将軍だって、同じラキュス・ネーニア家の親戚じゃないか」
別の一人が、納得いかない顔で事情通に反論したが、彼は動じなかった。
「それこそが問題なんだよ。ラキュス・ネーニア家のシェラタン当主は雲隠れしてる。ネミュス解放軍のクーデターを批難しないから、黙認って言うか、ウヌク・エルハイア将軍に全部任せてるんじゃないかって噂もあるんだ」
「言わせておけば……ッ!」
遠くの席で緑髪の兵士たちが椅子を蹴って立ち上がった。
「シェラタン様がアーテルの大編隊を退けて下さったんだぞッ!」
「恩知らずめッ!」
「やんのかコラッ!」
陸の民の兵も、匙をテーブルに叩きつけて詰め寄った。
「やめんかッ!」
年配の兵が割って入った。肩の階級章は「曹長」だ。
食堂が水を打ったように静まり返った。
乱闘寸前の者たちは、胸倉を掴んで拳を振り上げた姿勢で硬直し、曹長を凝視する。
黒髪の曹長が、同族の兵を叱責する声が食堂に響き渡った。
「私闘は厳禁だ。忘れたのかッ! 特に貴様! 根も葉もない噂なんぞで軍紀を乱しおって!」
「でも実際、クーデターを鎮圧するどころか、こっちが押されてるのって、湖の民の奴らが寝返ったからじゃないですか。クレーヴェル基地でどんだけ脱走兵が出てるか、知らないなんて言わせませんよ」
事情通の兵は、落ち着き払って反論した。
居合わせた兵士たちは、固唾を呑んで見守る。
……ホントだから、色々知り過ぎた俺がトポリに移されたんだよな。
「貴様こそ、知らぬワケではあるまい。我らがアル・ジャディ将軍も湖の民だ。人種なんぞで一括りにして裏切り者呼ばわりするなど言語道断! 恥を知れッ!」
曹長は、事情通に火のような声を浴びせ、乱闘寸前だった兵たちを睨めつけた。
両者が振り上げた拳を力なく下ろして項垂れる。
曹長は大きく息を吐き、肩の力を抜いて言った。
「ラキュス・ネーニア家の当主は、ずっと昔、民主化した時に権力の座を降りた。今頃になって政治や軍事に口を出せば、それこそ、陸の民と湖の民に半世紀の内乱以上の断絶が起きる。だからこそ、沈黙を守っておるのだ。わかったな?」
騒ぎを起こした兵たちが仲間内で視線を交わす。
曹長は、無言で責任をなすり合う兵たちに再び雷を落とした。
「わかったらさっさとメシ食って持ち場に戻れッ! ……今日のところは、俺に免じて軍法会議は勘弁してやる」
兵たちは背筋を伸ばして敬礼した。
食堂の空気が動きだし、昼食を再開する。
魔装兵ルベルは、具がたっぷり入ったスープを食べながら考えた。
……研究所の件が漏れたのも、そう言うコトなのかもな。
元々、あの場所は旧王国時代に作られた「魔法生物全般について研究する」施設だった。アル・ジャディ将軍によると、ウヌク・エルハイア将軍は、当時は「清めの闇」と呼ばれていた魔哮砲の封印後も、一般的な研究を継続させていたらしい。
ネミュス解放軍が、研究所の存在自体や資料の内容を知っていても、不思議ではない。だが、ルベルたち特命部隊が資料を回収する最中に現れたのは、偶然とは思えなかった。
……あの【流星陣】がなかったら、誰も死なずに済んだのに。
銀糸も狩人のフリも、用意が良過ぎる。
作戦を言い渡されたのは、密議の間だ。
……ネミュス解放軍と繋がってる幹部が居るんだ。
ネモラリス政府軍の幹部は、多くが湖の民だ。
あの時、あの場に居合わせた者だけでも、絞り込むには情報が足りない。
急を告げるサイレンで、思考が中断した。
「防空網が突破された。敵機は現在、西岸沿いを北上中。防空艦乗組員は、ただちに乗艦せよ。繰り返す――」
先程とは別種の緊張感で、食堂の空気が瞬時に凍りついた。
魔装兵ルベルは、スープの残りを一気に飲み干して旗艦オクルスに急いだ。
☆クーデターの初日に議員宿舎が占領……「603.今すべきこと」参照
☆ラキュス・ネーニア家のシェラタン当主は雲隠れしてる……「683.王都の大神殿」~「685.分家の端くれ」参照
☆シェラタン様がアーテルの大編隊を退けて下さった……「309.生贄と無人機」参照
☆あの場所/ルベルたち特命部隊が資料を回収する最中に現れた……「704.特殊部隊捕縛」~「707.奪われたもの」参照




