755.今まで見た空
「毎日、最低でも一回分の食事と雨風や寒さ、それに魔物とかを防げる住居、呪符作りなどの仕事と、テロや空襲に晒されない安全……くらいかな?」
「まぁ、キャンプに行った人らが一番欲しいのは、頭の上に爆弾が降って来ねぇ平和な空だからな。化け物なんざ、ネモラリスでもどこでも居るんだ。それ言っちゃ、どこにも住めねぇよ」
葬儀屋アゴーニが、スープの残りを浚えながら言う。
……平和な空……か。
少年兵モーフは、それがどんなものか想像してみたが、上手く行かなかった。
リストヴァー自治区に居た頃は、夜が明けてすぐに起きて、バラックの隙間の通路を糞便や尿の水溜まりを踏まないように、下を向いて歩いて工場に出勤した。
仕事中に見上げても、目に入るのは灰色の天井だ。
仕事にありつけなかった日は、シーニー緑地へ出掛けて、一日中、食べられる草や虫を探して地べたに這いつくばって過ごした。
家に帰っても、バラックの天井は錆びたトタンだ。
モーフは、星の道義勇軍の少年兵になって戦いに身を投じるまで、空をちゃんと見たことがなかった、と気付いた。
空襲の初日、ゼルノー市が焼ける黒煙の隙間に見えた空には、焼夷弾を雨のように降らせる爆撃機の編隊が群を成していた。
ゼルノー市の焼け跡で見張りをした空にも、アーテル・ラニスタ連合軍の戦闘機や爆撃機が、ネモラリスの街を焼く為に飛んでいた。
北ヴィエートフィ大橋から見た広い空は、無人機の大編隊が雲霞の如く埋めていた。
「空を読んだだけよ」
国営放送ゼルノー支局で見張りをした夜、薬師のねーちゃんアウェッラーナが言ったのを思い出した。
魔法が使えなくても、空をよく見れば、明日の天気がわかる。
あの時は、緑髪の魔女の言葉を半分以上、信じられなかった。
……そう言や、空の読み方って教えてもらわなかったな。
薬師アウェッラーナは、怪我人の治療や魔法薬作りに追われて、いつも忙しそうだった。
今までに見た空を思い浮かべ、枯れ草に埋もれた休憩所の空を見上げる。
ウーガリ山脈の裾野の森を四角く刳り抜いた空は、キレイに澄んだ青だった。ずっと高い所に薄い雲が刷毛でこすったように伸びる。
少なくとも今は、爆撃機の群が居なかった。
……でも、また、いつ来るかわかんねぇ。
国営放送アナウンサーのジョールチが、ひとつ咳払いして仕切り直した。
「首都クレーヴェルで戦闘区域が拡大し、ネミュス解放軍の支配域が増えています。政府軍は軍艦を投入してクレーヴェル港を守ろうとしていますが、最悪の場合、ネミュス解放軍の手に渡らないよう、港湾施設を破壊して退却する可能性も否定できません」
「おいおい、そんなコトすりゃ、残ってる奴らの食いモンとかどうなるんだ?」
トラック運転手のメドヴェージが言うと、ジョールチは溜め息混じりに答えた。
「既に政府軍の許可のない船舶は、小型の漁船でさえ、入港できません。生活に悪影響が出ており、都民の心は政府軍から離れています」
DJレーフが悲しげに付け加えた。
「国営放送とか、解放軍が占領した放送局で、政府軍がどれだけ都民の暮らしを無視してるかって流してるからね」
「ラジオで悪口流してんのかよ?」
少年兵モーフは不愉快に思ったが、DJレーフは頷いて状況を説明するだけで、ネミュス解放軍の行いをいいとも悪いとも言わない。
「解放軍は、都民を助けるなんて一言も言ってないんだけど、街の人の噂とかを拾った限り、政府軍に反感を持って、解放軍に気持ちが傾いた人が増えてるんだ」
彼はソルニャーク隊長と共に何度も、首都クレーヴェルの様子を見に行った。
隊長がみんなを見回して言う。
「解放軍は、支配域の人心を着実に掌握しつつある。背後から撃たれないだけの基盤を固めれば、首都全域を支配下に置く前に、臨時政府があるレーチカ市に打って出るだろう」
「では、レーチカには避難しない方がいいのですね」
クルィーロたちの父パドールリクが、アマナを抱き締めて聞いた。
「ネミュス解放軍だけでなく、アーテル軍にも警戒が必要です。政府軍は魔哮砲を失った上、解放軍にも戦力を割かねばなりません。いつ、ザカート沖に展開した防空網を突破されても、おかしくない状況なのです」
ソルニャーク隊長が戦況を告げると、みんなは顔を引き攣らせた。
だが、いつまでも、人里離れたウーガリ古道の休憩所に居る訳にはゆかない。
……もうすぐ、冬だ。
リストヴァー自治区では毎年、餓死者や凍死者が出る。トラックの荷台なら、隙間だらけのバラックよりはマシだが、人数が増えた分、食糧を何とかしなければならない。
クルィーロの父パドールリクは、アマナをだっこしてじっと考え込んでいたが、顔を上げて言った。
「取敢えず、西の休憩所へ移動しましょう。レノ君たちが運び屋さんに、そこへ来てくれるよう、伝言してくれた筈です」
「合流後、ギアツィントに行って、そこで留まるか、ウーガリ山脈北部を東に進んで、リャビーナまで行くか……」
「改めて話し合いましょう」
それには誰も異論がなく、みんな慣れた手つきで荷物の積み込みや焚火の後始末をした。
放送局の二人はワゴン、他はトラックに分乗する。
一行は、暗い物思いに沈んで、ゲリラ放送前に身を寄せていた休憩所へ向かった。
▲リストヴァー自治区の地図。
☆呪符作りなどの仕事……「402.情報インフラ」「403.いつ明かすか」参照
☆ゼルノー市が焼ける黒煙の隙間に見えた空……「056.最終バスの客」~「058.敵と味方の塊」参照
☆ゼルノー市の焼け跡で見張りをした空……「077.寒さをしのぐ」「078.ラジオの報道」参照
☆北ヴィエートフィ大橋から見た広い空……「307.聖なる星の旗」「309.生贄と無人機」参照
☆国営放送ゼルノー支局で見張りをした夜……「126.動く無明の闇」参照
☆政府軍は軍艦を投入してクレーヴェル港を守ろうとしています……「697.早朝の商店街」「750.魔装兵の休日」参照
☆政府軍の許可のない船舶は、小型の漁船でさえ、入港できません……「746.古道の尋ね人」参照
☆アーテル軍にも警戒が必要です……「203.外国の報道は」参照




