753.生贄か英雄か
「あなた方にもわかりやすいように、言い変えましょうか?」
ラゾールニクが言うと、二人は小さく頷き、フラクシヌス教の聖職者から逃れるようにフリージャーナリストに視線を移した。
「ラキュス・ネーニア家は、ラキュス・ラクリマリス王国が共和制に移行した際、権力の座を降り、多くの家人が軍を去っています。ネモラリス軍は、アーテルの大規模攻勢の情報を得て、シェラタン当主に頼み込んで前線に引っ張り出しました」
「では、生贄の儀式は、ラキュス・ネーニア家の当主ではなく、ネモラリス軍の主導で行われたということですか?」
ラゾールニクは若手の言葉を肯定し、説明を続けた。
「ネモラリスには徴兵制がありません。前身のラキュス・ラクリマリス共和国時代から、募兵制でした。遡って旧王国時代も、一般の兵卒は募兵で、騎士などの士官クラスは、家柄などで軍人を一定数提供する権利と義務がありました。共和制移行時に軍を去ったのは、義務で仕方なく働いていた人たちです」
「それが、生贄の件とどんな関係があるのですか?」
「シェラタン当主も、軍と距離を置いていました。アーテル軍の一方的な爆撃がなければ、戦場に立つことはなかったでしょう」
ラゾールニクは一旦、言葉を切って、科学文明国から来た人権監視団員たちの反応を見た。ここまでの言葉の意味は理解できたと踏んだのか、説明を続ける。
「生贄に志願した人たちは、科学文明国流の言い方をするなら、えーっと……“軍の募集に応じた志願兵”です。彼らは、アーテル軍の爆撃機数百機を相手に、十人くらいで立ち向かって見事に退けて“戦死”した“救国の英雄”です」
アサコール党首が、人権監視団の二人より先に口を開いた。
「記者さんの言葉が詭弁に聞こえるなら、他の信仰を持つあなたも、いかなる神をも信じないあなたも、キルクルス教の文化と価値観に毒されているのですよ」
「いえ……それは、その……」
アルポフィルム出身の人権監視団員は、しきりに額の汗を拭うが、それ以上の言葉が出ない。アルポフィルム連邦は無神論を唱え、宗教弾圧を行う国家として、国教を定める国々を中心に「信教の自由を侵害している」と、事あるごとに批難されている。
若手の人権監視団員は、無言で状況を見守っていた。
アサコール党首は、何も言えない二人に畳みかけた。
「キルクルス教を国教と定めるアーテル共和国の空軍は、子供や病人、魔法の使えない力なき民など、罪のない非戦闘員を無差別爆撃で数十万人も殺害しました。アーテル軍による無差別な大量虐殺を棚に上げ、我が軍が十人足らずの生贄で多くの国民を守ったことは“人権侵害”として咎めるのですね? 一体、どこの国のどなたが、我が国を批難しているのですか?」
空襲による直接の死者ばかりではない。
冬の空襲で全てを失い、餓死または凍死した者、略奪で殺害された者、遺体を喰らって力をつけた魔物や魔獣に襲われて命を落とした者、医療機関が破壊され、傷や病で命を失った者、便乗した星の標のテロで殺害された者……
難民として逃れた先も安全ではない。事故や流行病、食糧不足、魔物や魔獣の餌食などで、生きて故郷の土を踏めなくなった者も多かった。
国際政治学者も感情を抑えた声で言う。
「アーテル軍の一方的な爆撃によって生活を破壊され、死者の何倍もの人々が苦しんでいるのですが、それについては、アーテルに対しては、国連の脱退を理由に『人権侵害である』と糾弾なさらないのですか?」
国連など、国際社会の公式の場で発言力を持つNGO「紛争地に於ける人権監視団」の職員は、黙して語らない。
ラクエウス議員は鼻を鳴らした。
……魔法使いか、魔術の知識のある者を寄越さん時点で、「ネモラリスの言い分に耳を貸す気はない」と言っておるようなものだ。
運び屋フィアールカが、静かな声で問う。
「復讐でも、防衛でも、『この願いが叶うなら、命も惜しくはない』って人たちの絶望や悲しみを無視して『非人道的だ』なんて断罪する権限は、どこの誰に与えられたものなの?」
「すべてを失って絶望に囚われることや、大切な人を失って悲しみ、奪った者に報復することは、一方的に裁かれなければならない罪なのですか? 奪った者に罪はないのですか?」
NGOの二人は、ネモラリス人の聖職者の声にも応えない。
元聖職者のフィアールカが、円卓の中心を見詰めて言う。
「私は、絶望した人たちが個人的にアーテル本土でテロ活動をするより、軍の管理下で迎撃に協力した“生贄”の方が、アーテル人の非戦闘員を殺さない分、マシだと思うけど? ……科学文明国の人たちのそう言う感覚……わからないわ」
「誤解しないでいただきたいのですが、我々は末端の調査員であるあなた方の“個人的な思想や主義”を云々して、責めているのではありません。ただ、我々の言葉をそのまま、本部や国連で報告して下さるだけで結構です。その為に録音しているのですよね?」
アサコール党首が、やさしい声音で聞いた。
若手の調査団人は歯を食いしばって答えず、先輩は言葉を探しているのか目を泳がせ、額の汗を拭うばかりで何も言わなかった。
「この会合は非公式ですので、私は個人の立場で参加しております。この場に限っては、陛下と国民の代弁者ではございませんので、その点、お含みおきいただきたく存じます」
ラクリマリスの国会議員が、持って回った口ぶりで前置きをした。一同が微かに同意を示すと、円卓上で指を組み、やや身を乗り出して続ける。
「陛下と議会は、ネモラリス共和国から外交官を召還しておりません」
……そうだ。ネモラリスは孤立などしておらん。
ラクエウス議員は、ラクリマリス王国大使との面談と、軟禁中に見た新聞の切抜きを思い出した。
クーデターが発生した今も、多くの外交官が駐在し続けている。クーデターの行方について情報収集する目的もあろうが、同時に、ネモラリスは見捨てられずに見守られているのだと気付いた。
現にアミトスチグマは、難民支援で手を差し伸べてくれている。
ラクリマリス王国も難民の通過を許し、「船を待つ間の一時避難」として神殿などで受け容れている。ラクリマリス人の親戚が居る者に限っては、帰化を認めている。
フィアールカが緑の瞳に力を籠めた。
「私の活動は、さっき説明したわよね? この辺は、力ある民と力なき民の混血が進んでて、力なき民の夫婦からも隔世遺伝で力ある民が産まれることがあるの」
人権監視団員たちが、今度は何を言われるのかと身構える。
「アーテルでは、魔力があるってわかった子は、ランテルナ島に捨てられたり、湖に沈められたり……星の標に殺されたりしてるのよ。生みの親や親戚が頼んで、ね。子供を手許に置いてても、『悪しき者を産んだ』って母親が責められて、子供と無理心中なんてのも日常茶飯事よ。それは“重大な人権侵害”じゃないの?」
「情報提供、恐れ入ります。その件につきましては、別途調査が必要になりますので、今、この場ではお答え致しかねます」
よくあることなのか、アルポフィルム出身の人権監視団員が、すらすらと追及を躱す。
フィアールカは緑の目を細め、薄く笑った。
「そうですか。調査、しっかりお願いしますね。私たち魔法使いが、キルクルス教文化圏の人たちから、人間じゃなくて魔獣の一種か何かだと思われている……なんてことはない、と信じていますよ」
「いえ、決してそのようなことは……」
古参の人権調査団員が汗を拭う手を止めて即座に言った。
「最初に申し上げました通り、この会合は非公式です。皆様の貴重なご意見は、本部に持ち帰って報告させていただきます」
「我々も、非公式会合ですから、それぞれの属性や立場を完全に代表するものではありませんよ」
アサコール党首が若手議員をチラリと見た。クラピーフニク議員は少し肩をすぼめたが、何も言わない。
「ただ、ここに集まった儂らは皆、ネモラリス政府軍、ネミュス解放軍、ネモラリス憂撃隊、星の標と言った武装勢力とは距離を置き、武力に依らず平和を目指す者たちです。名もなき集まりではありますが、こうして対話をする意志を持っております」
ラクエウス議員の言葉を受け、ラクリマリス人の神官が謝辞と共に締め括りの挨拶を述べる。
NGO法人「紛争地に於ける人権監視団」のメンバーは決まり文句の挨拶を返し、逃げるように王都ラクリマリスの第二神殿を後にした。
▲鵬大洋とふたつの大陸の地図。
☆ネモラリスには徴兵制がありません……「705.見張りの憂鬱」参照
☆共和制移行時に軍を去ったのは、義務で仕方なく働いていた人たち……「261.身を守る魔法」「447.元騎士の身体」参照
☆ラクリマリス王国大使との面談……「161.議員と外交官」参照
☆軟禁中に見た新聞の切抜き……「260.雨の日の手紙」参照
☆ラクリマリス人の親戚が居る者に限っては帰化を認めている……「229.待つ身の辛さ」参照




