752.世俗との距離
「つまり、ネモラリスは国連の介入やバルバツムの仲介を望んでいない……と?」
若手の人権監視団員が険しい表情を作って言ったが、その目は不安に揺れ、会合参加者の顔色を窺っていた。
国際政治学者が咳払いして言う。
「現にバルバツム連邦は、アーテル軍に中古の無人機を格安で提供して、ネモラリス人の虐殺に加担しているのですよ? 百歩譲ってアーテル共和国との交渉窓口になるにせよ、巻き込まれたラクリマリス王国とアミトスチグマ王国、それに常任理事国で宗教的中立を謳うアルポフィルム連邦など、非キルクルス教国も加えていただかなければ、湖東地方の二の舞になりかねません」
ラクエウス議員が、円卓の中央を見詰めて説明した。
「バルバツムなどの支援で、我らが自治区の状態が大きく改善したことに嘘はありませんが、それは直前に星の標のテロリストが貧しい人々の居住区に火を放ち、更地にしたからに他なりません」
参加者の大半が息を呑んだ。
「彼らは、自爆攻撃をも厭わぬ国際テロ組織です。自治区に魔法使いが紛れ込んでおるとのデマを真に受け、バラックが建て込んだ地区の複数の場所で火を放ちました。そして、それを自治区外から侵入した魔法使いの仕業だとして、ゼルノー市民に罪をなすりつけておるのです」
事情を知らぬ人々の目に疑念と驚愕が満ちる。
アサコール党首が、リストヴァー自治区に巡らされた「術を封じる結界」などの存在を明かす。別の動揺が広がったが、すぐに鎮まった。
国際政治学者が、新聞の切抜きを示して仕切り直す。
湖南経済新聞のラクリマリス版と王都を中心に発行されている地方紙だ。どちらも、ラクリマリス軍が、ツマーンの森で魔哮砲の破片を回収した件を報じていた。
「先に魔哮砲の件を片付けない限り、アーテルは誰に何と言われようと交渉のテーブルに着くことはないでしょう」
「元々あれを開発したのは、大昔のラキュス・ラクリマリス王国軍です。現在のネモラリス共和国ではありません。七百年も前に作られて、ずっと隠されていたんです。何も知らないネモラリス国民が、その存在の責任を負わされるのは、理不尽な人権侵害だと思いませんか?」
若手のクラピーフニク議員が、「紛争地に於ける人権監視団」のNGO職員に水を向けたが、二人は答えない。
無反応を予想していたのか、クラピーフニク議員はすぐに話を再開した。
「確かに、ネモラリス軍の幹部と与党の一部議員が、半世紀の内乱終結後に封印を解いて、秘かに研究していました。しかし、国会議員の大多数は、開戦後、いきなり存在を明かされて、使用の可否について即断を迫られたんです。反対した議員は、捕まって殺されたり、僕たちみたいに亡命したり……それでも、魔哮砲の存在について、ネモラリス人みんなが責任を負わなきゃいけないんですか?」
運び屋フィアールカが詰問した。
「彼は今でこそ、立派な国会議員だけど、あれの封印が解かれた当時、物心つくかつかないかの坊やだったのよ。それでも、“ひとしく人権を保障された個人”の義務として、そんなことの責任まで背負いこませるのが、あなたたちが目指す“平等な社会”なの?」
人権監視団の二人は言葉に詰まり、怯えを押し殺した顔をフラクシヌス教団の関係者に向ける。
「ラクリマリス王家が神政を執る関係で、我々フラクシヌス教団は、世俗の政治に極力口を挟まない方針なのです」
「本日は、場所の提供と難民支援の立場から、同席させていただいております」
陸の民と湖の民の神官が、言外に「キルクルス教団と違って世俗と距離を置いている」と滲ませると、ネモラリスとラクリマリスの政治家は無言で肯定した。
ラクリマリス王国も議会を設置しているが、最終的な判断は国王に委ねられる。この神官は、非公式会合の様子を国王に報告するだろう。だが、この情報をどう判断し、どんな決断を下すかには意見を差し挟まない。
……監視団の彼らは、こちらの意を汲んで「だから、キルクルス教団も手を引け」と伝えてくれるだろうか?
ラクエウス議員は、この非公式会合がどんな影響を与えるか、全く読めなかった。
フリージャーナリストに扮したラゾールニクが、タブレット端末にアミトスチグマ版の同じ記事を表示させる。
「アミトスチグマ版では、その記事の扱いは小さくて、どちらかと言えば、ネモラリスの国民に同情的な論調です。悪いのは国民に内緒でそんなことをしていた一部の政治家や軍人で、一般の国民は被害者だと言うような……」
……アミトスチグマ政府は、森林の開拓民を欲しておる。ネモラリス難民を悪くは言うまいよ。
流石にこの場では誰も口にしなかったが、難民キャンプの現状とアミトスチグマの反応をよく知る者たちは、冷ややかな目でそのニュースを眺めた。
「話を戻しましょう。現在は権力の座を降りていますが、ラキュス・ネーニア家の当主が、国民を生贄にして儀式魔術を行った件も、人道上、問題視する意見が多いのです。現状では、ネモラリスの立場から和平交渉を後押しする国を探すのは、難しいでしょう」
人権監視団のメンバーが話題を変えると、ラクリマリス王国の国会議員が反応した。
「それこそ、科学文明とキルクルス教の価値観に基づく一方的な意見です。そもそも、アーテルがネモラリスの都市を焼き払わなければ、彼らは生贄に志願せずに済んだのです」
「私は、彼らの慰霊祭のお手伝いをさせていただきました。あなた方は、彼らが命を賭した願いが何であったか、ご存知ないからそのようなことが言えるのです。彼らの願いを何だとお思いなのですか?」
ネモラリス人の神官が、力なき民の人権監視団を緑の瞳に批難を籠めて問い詰める。
若手は口を噤んで先輩の顔色を窺い、先輩は平静を装い、表情のない顔でフラクシヌス教の聖職者を見詰め返すが、広い額には脂汗が玉になっていた。
「あなた方は、シェラタン様とネモラリス軍が、嫌がる人々を捕えて儀式の為に殺害した――権力と暴力によって民の人権を踏みにじった、と解釈しているようですが、全く違います」
ネモラリス人の神官が、怒りと悲しみの滲む静かな声で否定した。若手の人権監視団員は、殊更に謙ってみせる。
「何がどう違うのか……魔術に関して不勉強なもので、お教え下さると非常に助かります」
「生贄となった方々は、自らの意志でその命を差し出したのです。空襲で命の他は全てを失ったが故に、子供や孫の仇を討つ為、或いは、これ以上、自分と同じ苦しみを背負う人が増えぬよう、同胞の命を守る為……アーテル軍の爆撃機の大編隊を迎撃する為に、軍の呼び掛けに応えたのです」
湖の民の神官は、表情を変えずに説明した。
▲ラキュス湖南地方 地形図と主要都市。
☆バルバツム連邦は、アーテル軍に中古の無人機を格安で提供……「309.生贄と無人機」「325.情報を集める」参照
☆バルバツムなどの支援で、我らが自治区の状態が大きく改善した……「276.区画整理事業」参照
☆直前に星の標のテロリストが貧しい人々の居住区に火を放ち、更地にした……「559.自治区の秘密」参照
☆リストヴァー自治区に巡らされた術を封じる結界などの存在……「530.隔てる高い壁」「558.自治区での朝」参照
☆元々あれを開発したのは、大昔のラキュス・ラクリマリス王国軍です……「247.紛糾する議論」「248.継続か廃止か」「403.いつ明かすか」「497.協力の呼掛け」「509.監視兵の報告」「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照
☆国会議員の大多数は、開戦後、いきなり存在を明かされて、使用の可否について即断を迫られた……「247.紛糾する議論」「248.継続か廃止か」参照
☆彼らの慰霊祭……「326.生贄の慰霊祭」参照
☆アーテル軍の爆撃機の大編隊を迎撃する……「307.聖なる星の旗」「309.生贄と無人機」参照




