751.亡命した学者
「私は湖南地方で活動するフリージャーナリストです。先日、レーチカ市で行われた会見を取材してきました」
スーツ姿のラゾールニクが、ネモラリス政府の報道発表資料を広げ、円卓に着いた人々に説明する。
ラクエウス議員は、政府が行った国民アンケートの結果一覧表を一瞥して、嘆息した。
戦争の継続を望む者は、ほんの一握りだ。この調査は全国民に対して行ったものではなく、対象者を広げれば、結果は変わるだろう。
ネミュス解放軍やネモラリス憂撃隊、隠れキルクルス教徒などが、アンケートにきちんと答えるとは思えないが、これはどう見ても、国際社会に向けての「お涙頂戴演出」だった。
「複数の通信社から、魔哮砲の断片がラクリマリス軍の手に渡った件についてつっこまれてましたけど、ネモラリスの報道官は、知らぬ存ぜぬで押し通してました」
「まぁ、そうでしょうね。認めたら『魔法生物に繁殖力を与えた』って国際社会から総スカン喰らうワケだし」
運び屋フィアールカがあっけらかんと言う。
両輪の軸党のアサコール党首が、苦い顔で一同を見回した。
ここは、アミトスチグマの支援者宅ではない。王都ラクリマリスにある第二神殿の一室だ。
集まったのは“武力に依らず平和を目指す活動”に加わった有力者の内、当事国のネモラリス人と巻き込まれたラクリマリス人で、もう一方の当事国アーテルの民と、主に難民支援と情報支援を行うアミトスチグマ人は招集しなかった。
トポリ大学の教授が、地元有力紙に寄稿した後、ラクリマリス王国に亡命した。教授の呼び掛けで開かれた非公式会合だ。
トポリ大学の国際政治学者が、困惑に脂汗を浮かべて言う。
「国内に残る政治家や行政関係者を中心に、国連常任理事国であるバルバツム連邦に和平交渉の仲介を頼もう、と言う意見が多いのです」
「儂がこんなことを言うのも如何なものかと思うが……アーテルと自治区民にとって有利に運ぶでしょうな。仮にバルバツム連邦が、常任理事国として公平に湖南地方の安定化の為に働きかけたとしても、フラクシヌス教徒の諸君は……そうは思いますまい」
ラクエウス議員は、円卓を埋める二十三人を見回した。
ラクリマリスとネモラリスのフラクシヌス教団関係者、両国の国会議員数名と、難民支援活動を行う大きなボランティア団体の代表者、人道分野の国際協力NGO「紛争地に於ける人権監視団」のメンバー二名、国籍不詳の自称「フリージャーナリスト」ラゾールニクと「アーテル領で生まれて迫害を受ける力ある民の救出活動家」のフィアールカ、そして、この非公式会合を呼び掛けたトポリ大学の国際政治学者だ。
参加者の国籍、人種、寿命、魔力の有無、性別、社会的地位、信仰など一様ではない。
この中で、キルクルス教徒は、ネモラリス共和国のリストヴァー自治区から選出されたラクエウス議員唯一人だ。
人権監視団のメンバーが、ラクエウス議員に驚いた目を向ける。亡命した国際政治学者が、我が意を得たりと頷き、キルクルス教徒の国会議員に謝意を述べた。
「ご賢察、恐れ入ります。バルバツム連邦は現在、アーテルとリストヴァー自治区に人道支援を行っており、国連を脱退したアーテルに圧力を掛けやすい立場にあることは事実です。しかし、その背後のバンクシア共和国……いえ、キルクルス教団の意向を汲んでのことであるのも否定できません」
それまで無言を貫いていた湖の民の神官が口を開いた。
「我らがフラクシヌス教団は、ラキュス湖と同じ長い歴史を有しておりますが、残念ながら、国際的な視野に立てば、一地域の土着宗教に過ぎませんからね。多数決を採られれば、数の上で不利です」
「常任理事国の大半が特定の宗教に偏り、国連の設立それ自体も、それらの国々の主導で行われました」
「中立を謳いながら、その実、憲章の理念とは裏腹に、特定宗教の価値観に根差した決議案の採択や、紛争地域への軍事介入が散見される印象を拭いきれません」
フラクシヌス教団からの参加者は、ネモラリス人もラクリマリス人も、奥歯に何か挟まったような言い回しで、国連介入への不信感を表明した。
人権監視団の一人が、通訳の耳打ちに眉を顰め、共通語で質問を発した。
「私も島国の古い土着信仰の信者ですが、そのように感じたことは……具体的に、どのようなことを危惧していらっしゃいますか?」
……彼は、今回が初めての派遣だと言っていたが、それにしても……節穴なのか勉強不足なのか……どこから説明すればいいのだ?
ラクエウス議員が考えあぐねていると、フィアールカが共通語で発言した。
「言葉からしてそうでしょ」
若手の人権監視団メンバーが「それが何か?」と言いたげに首を傾げる。運び屋フィアールカは噛んで含めるように説明した。
「国連の公用語は、常任理事国の公用語だけど、無神論のアルポフィルム以外はみんな、母国語が共通語のキルクルス教国よ。ここでも地元の湖南語じゃなくて共通語に合わせろって、傲慢だと思わない? キルクルス教徒の議員さんと、学者先生とフリーの記者さんと、アーテルで活動してる私以外、通訳が居ないと何言ってるかもわかんないのよ?」
若手の監視団員が、雷に打たれたように硬直する。
もう一人の監視団員は、髪の薄い頭をハンカチで拭い、共通語で取り成した。
「私も、一個人としましては、ハルパ語を話すアルポフィルム人ですので、会議を進め難いのをもどかしく思うお気持ちは、大変よくわかります。しかし、この会合の過程と結論を本部に持ち帰って取りまとめ、国連で報告するには、これが最も効率がよく……その為に通訳の手配を致しました。もうしばらく、ご辛抱を……」
「我々は、湖東地方のように国家が細切れにされ、衰退することを危惧しております」
国際政治学者が共通語で発言し、通訳が湖南語に訳す。ネモラリス人とラクリマリス人は、一拍遅れて同意を示した。
ネモラリスの若手議員クラピーフニクが、若手の人権監視団員の目を見て湖南語でゆっくり話す。
「僕たちのネモラリスとラクリマリス、それにアーテルは、元々ひとつの国でした。僕は常命人種で、半世紀の内乱中は小さかったので、元のラキュス・ラクリマリス共和国がどんな国だったか、正直言うと覚えていません。でも、今の湖東地方の様子を見たら、僕たちの国もその内、あんな風に対立が対立を呼んで、その度に和平交渉で国境を引き直して、分断されちゃうんじゃないかって……」
ネモラリスの最大与党「秦皮の枝党」のクラピーフニク議員は、魔哮砲の使用に反対し、ラクエウス議員や両輪の軸党のアサコール党首らと共に議員宿舎に軟禁された。
秘かに議員宿舎を脱出し、ラクリマリス王国に逃れてから、数カ月が経つ。
そろそろ死んだものとして、党籍を剥奪された可能性もあるが、彼はネモラリス人の代表として語った。
「例えば……昨年、和平が成立したディケア共和国だってそうです。百年くらい前にフラクシヌス教徒への迫害があって、少数派だった力ある民は難民として隣国に逃れて、未だに帰還できずに……」
髪の薄い監視団員が口を挟む。
「難民が流入した周辺国が、ディケアに残ったフラクシヌス教徒の支援と称して介入したせいで、紛争が泥沼化してしまいました。だからこそ、我々が人権状況をきちんと調査して、その情報を元に国連が介入を決議して、和平が成立したんですよ」
「えぇ。国連が介入して周辺国に手を引かせたら、三年で決着がつきました。でも……」
「自治区を作って少数派のフラクシヌス教徒を押しこめ、我らがリストヴァー自治区と違って、選挙権を与えておりません。彼の地に残るフラクシヌス教徒は力なき民が多く、新生ディケア政府は、迫害を加えて改宗を迫っておるのです。聖なる星の道から外れた邪悪な行いですが、国連は紛争が落ち着いたから、と見て見ぬフリをしておるのですよ」
キルクルス教徒であるラクエウス議員の指摘に反論する者はなかった。
フィアールカが、端末に地図を表示させて言う。
「そうやって中途半端に……キルクルス教徒に有利な介入を繰り返したせいで、フラクシヌス教徒とキルクルス教徒の分断が深まって、何度も国境が引き直されたのよ」
「湖東地方のちまちました小国は、キルクルス教国だけで経済協力して結束を強めています。将来的には連邦化して、ラキュス湖地方での存在感と発言力を高めようって動きを、この五年くらいは隠さなくなってきました。まぁ、調査不足でどこの入れ知恵だか、詳しいことはわかんないんですけどね」
偽造した記者証を提げたラゾールニクが、人権監視団員たちを見詰めて言った。若手もようやく察したのか、アルポフィルム人の先輩に助けを求めるような目を向ける。
人権監視団員が口を開きかけたが、アサコール党首の落ち着いた声が遮った。
「私はフラクシヌス教のスツラーシ派……少数派です。国連の介入で、半世紀の内乱の和平協定が成立した際、我々は慮外に置かれました」
人権監視団のメンバーだけでなく、フラクシヌス教団関係者とラクリマリス王国の政治家も「何を言いだすのか」と訝る目を向ける。
「分裂前のラキュス・ラクリマリス共和国は、国連の非常任理事国として、アミトスチグマと交互にラキュス湖地方を代表していました。しかし、三カ国に分裂したネモラリス、ラクリマリス、アーテルは、この三十年間一度も選任されておりません。……要するに、そう言うことなのですよ」
……儂はその目論見に気付かず、まんまと踊らされておったと言うことだ。
ラクエウス議員は、ラキュス・ラクリマリス共和国の分離独立に奔走した若かりし日の自分を呪った。
☆魔哮砲の断片がラクリマリス軍の手に渡った件……「726.増殖したモノ」参照
☆常任理事国の大半が特定の宗教に偏り……「249.動かない国連」「364.国際政治の話」参照
☆クラピーフニク議員は、魔哮砲の使用に反対……「247.紛糾する議論」「248.継続か廃止か」参照
☆ラクエウス議員や両輪の軸党のアサコール党首らと共に議員宿舎に軟禁された……「253.中庭の独奏会」参照
☆議員宿舎を脱出……「277.深夜の脱出行」「278.支援者の家へ」参照
☆ラクリマリス王国に逃れて数カ月が経つ……「284.現況確認の日」「626.保険を掛ける」参照
☆昨年、和平が成立したディケア共和国……「727.ディケアの港」「728.空港での決心」参照
☆国連の介入で、半世紀の内乱の和平協定が成立……「001.半世紀の内乱」参照
☆我々は慮外に置かれました……「693.各勢力の情報」参照
☆ラキュス・ラクリマリス共和国の分離独立に奔走した若かりし日の自分……「213.老いた姉と弟」参照




