750.魔装兵の休日
レーチカ市のネモラリス臨時政府が、外国メディアを呼んで報道発表を行った。
魔装兵ルベルは、久し振りの休みを新聞を読んで過ごしている。
首都クレーヴェル近郊にある兵舎の自室ではない。ネーニア島のトポリ市近郊の基地だ。【跳躍】すれば一瞬だが、念の為に移された。
軍艦の三分の一はクレーヴェル港でネミュス解放軍と交戦中、三分の一は北ザカート市沖でアーテル軍の迎撃、残りはレーチカ、ギアツィント、トポリ、サカリーハ、エージャ、リャビーナ沖に分散して待機している。
司令本部とアル・ジャディ将軍は、クレーヴェル近郊の基地に留まったが、アーテル軍の監視と全防空艦を統括する旗艦は、トポリ沖に移動した。
アーテル軍は当然の動きとして、空襲を再開している。
クーデターでネモラリス共和国が内戦に突入し、政府軍が戦力を分散させねばならない。この好機を逃す筈がなかった。
宿舎が変わっただけで、魔装兵ルベルに与えられた命令は変わらない。クブルム山脈からの魔哮砲の監視と、旗艦からのアーテル軍の哨戒を交互にこなしていた。
新聞から顔を上げ、窓に目を向ける。
この基地も昔の砦を改装したものだが、冬の空襲に晒されずに済んだ。アーテル軍の爆撃機は【幻術】に誤魔化され、目標として認識できなかったらしい。
トポリ市の空襲直後には、避難民を受け容れていたが、そろそろ十カ月は経とうと言う今、民間人は一人も残っていない。職業軍人と職員だけに戻った基地は、戦争とクーデターで何とも言い難い空気が漲っていた。
秋晴れの青空をずんぐりした輸送機が飛んで行く。
復旧したトポリ空港は、旅客ではなく、食糧や燃料、医薬品などの輸送便だけを運航していた。
国際民間航空機関を通じて湖東地方の国々との交渉がまとまり、ネモラリスの航空会社にも、ラクリマリスの湖上封鎖を避ける内陸ルートが割り当てられた。
湖東地方も湖上封鎖に巻き込まれ、内陸ルートが既に過密状態だった為、ネモラリスに割り当てられたのは五日に一便。それも、悪天候時にはキャンセルされる。
何とも心許ないが、あるとなしでは大違いだった。
国中から掻き集めた【無尽袋】で食糧や建設資材、毛布や衣類、ガソリン携行缶と同じ術を施して特別に調整した【無尽の瓶】で各種燃料、それに生ワクチンなどの医薬品も運べるようになった。
船便とは比べ物にならない高コストだ。魔法の容器や中身の費用調達に関して、黒い噂がまことしやかに囁かれている。
曰く、ネモラリス政府は、空襲の死者から採った【魔道士の涙】を第三国の裏社会に流して外貨を稼いでいる、人身売買を見逃す見返りに利益を山分けしている……などだ。
ネモラリス政府は、否定も肯定もしなかった。
……それどころじゃないのか。それとも、否定したら却って疑惑を深めるから、黙ってた方がマシなのか?
だが、費用の出所はともかく、これがネモラリス国民の命綱なのは事実だ。
空港の復旧以降、最後の空襲から数カ月経ったネーニア島北東部の諸都市では復興が加速し、住民の帰還が進んでいた。
ネーニア島内では今のところ、ネミュス解放軍に呼応する動きを掴んだと言う情報はない。クーデターを完全に鎮圧できないまでも、国民の生活不安を解消すれば、ネミュス解放軍への参加や協力をある程度は抑えられるだろう。
どんどん小さくなる白い機体を肉眼で見送り、魔装兵ルベルは紙面に目を戻した。
湖南経済新聞のネモラリス支社は、レーチカ市に移転していた。新聞の配達は、首都を除くネモラリス島内とネーニア島北東部の都市に限られ、題字の下で配達不能地域への情報拡散を呼び掛けている。
都市名を冠した地方紙は、発行・取材共にエリアが狭く、平時から国際情勢の記事は外国の通信社から購入していたが、現在は極端に少なくなっていた。
大抵の地方紙には、見開き一ページある筈の国際面が、四分の一程度に縮小している。そんな中、アーテル共和国内の暴動を掲載したことにネモラリス政府の作為を感じた。
ラクリマリスの湖上封鎖で輸送コストが跳ね上がり、食品や燃料が高騰、連鎖して企業の倒産が相次いだ為とある。
……これがホントなら、あっちだって戦争どころじゃない筈なんだけどな?
暴動が事実でも、針小棒大に報じただけなのか。ページをめくると、ネモラリス臨時政府の発表が、見開きで大きく扱われていた。
レーチカ市に外国のメディアを呼んで記者会見を開き、住民アンケートの結果とリストヴァー自治区の現状に関する資料を配布したとある。
アンケートは、首都クレーヴェルを除くネモラリス島の主要都市とネーニア島北部と北東部の都市で行われたらしい。別ページに表やコメント、解説がまとめて載っていた。
……「アーテルをぶちのめせ!」ってのは少数派で、何でもいいから早く戦争を終わらせて欲しいが半分くらいか。
リストヴァー自治区をアーテルに割譲して早期の幕引きを望む者も三割くらい居る。
識者の談話として、アーテル共和国は、開戦直後に国連を脱退したが、バルバツム連邦などに協力を呼び掛け、停戦に向けた対話の場を設ける方向性で動く時期が来ている、とあった。
バルバツム連邦は、アルトン・ガザ大陸の科学大国で、国連常任理事国の一画を担うキルクルス教国だ。
現在、キルクルス教団などを通じて、湖上封鎖に苦しむアーテルに人道支援を行っている。
……でも、これ、将軍も言ってたけど、どう見てもバルバツムがアーテルをけしかけて、戦争させてる感があるんだよなぁ。
その隣には「仲裁の依頼は、ラクリマリス王国など複数の国がいい」と言う主旨の国際政治学者が書いた寄稿文も載っていた。
ラクリマリス王国は、元々ネモラリス、アーテル両国とひとつの国で、地理的にも隣接している。フラクシヌス教の聖地があり、支配者はかつてラキュス・ネーニア家と共同統治を行ったラクリマリス家だ。神政復古を掲げるネミュス解放軍を抑えるには、陸の民のラクリマリス王家か、湖の民のラキュス・ネーニア家の力が必要だ。
ネモラリス国内の意思統一を図らなければ、仮にバルバツム連邦の仲介で両国政府が停戦合意を結んでも、両国の武装勢力が戦闘を継続する――と指摘していた。
……ネミュス解放軍だけじゃない。
復讐に燃えるネモラリス憂撃隊のゲリラと、ネモラリス国内に入り込んだ星の標のテロリスト。各組織の全容、最終目標、妥協点など何もかもが不明だ。
魔装兵ルベルは紙面の隅々まで目を通したが、魔哮砲が分裂し、破片がラクリマリス王国軍の手に渡ったことは一行たりとも載っていなかった。
魔哮砲なき後も、我が国の防空体制は万全で、アーテル軍の戦闘機と爆撃機を合計何機迎撃した云々と簡潔な戦果報告があるだけだ。
ラクリマリス政府が発表した「腥風樹の駆除報告」も小さく載っていた。これまでに三十本近くの処理を終えたが、アーテル軍が種子を幾つ植えたのか不明な為、予断を許さない。
……どうすれば、みんなが納得する形で丸く収められるんだろう?
アル・ジャディ将軍に打診され、返事を保留した件が、魔装兵ルベルの肩に重くのしかかった。
あの日、アル・ジャディ将軍はクレーヴェル基地の密議の間で、魔装兵ルベルにラクリマリス軍から魔哮砲の断片の奪還を命じる代わりに、もっととんでもない話を持ちかけた。
「魔哮砲の本体を回収できれば、アーテル軍にもウヌク・エルハイア将軍にも勝てる。ネモラリスの民を守るには、それしかないのだ」
「使用を……継続するのですか?」
絶大な威力はあっても、所持しているだけでネモラリス共和国は国際社会から孤立してしまう。アーテル軍とネミュス解放軍を滅ぼせたとしても、魔哮砲を倒す為に他の国が起ち上がるかもしれない。
「アーテルの背後には、バルバツム連邦やキルクルス教団がついている。多勢に無勢なのはわかるな?」
「しかし……」
……でも、あいつのせいで戦争になったんだから、絶対、捨ててきた方がいいと思うんだけどなぁ。
「ルベル、お前の魔力を見込んで言う。使い魔の契約を結んでくれないか?」
魔装兵ルベルは息を呑んだ。
頭ごなしの命令ではなく、提案……いや、依頼の形をとるのは何故なのか。
一兵卒の沈黙をどう捉えたのか、アル・ジャディ将軍はやさしい声音で言った。
「すぐにとは言わん。回収には時間が掛かる。【飛翔する蜂角鷹】のお前だからこそ、身の安全を確保した上で遠距離からあれを操作できるのだ」
「少し……考えさせていただいてよろしいですか?」
「無論だ。じっくり考えて最良の決断をして欲しい」
魔装兵ルベルは、シクールス陸軍将補から【渡る白鳥】学派の【使い魔の契約】を教わるのを保留して、密議の間を辞した。
☆アーテル共和国内の暴動……「440.経済的な攻撃」参照
☆バルバツム連邦は、アルトン・ガザ大陸の科学大国で、国連常任理事国の一画を担うキルクルス教国だ……「411.情報戦の敗北」「434.矛盾と閉塞感」「249.動かない国連」参照
☆将軍も言ってた/アーテルの背後には、バルバツム連邦やキルクルス教団がついている……「411.情報戦の敗北」参照
☆魔哮砲が分裂し、破片がラクリマリス王国軍の手に渡った……「726.増殖したモノ」参照




