746.古道の尋ね人
「港への一般人の立入が禁じられた。今後、ラクリマリスからの帰還難民船は、レーチカに入港するそうだ」
今回も、ソルニャーク隊長とDJレーフは無事に戻って来た。
停戦時間帯の終わり近くで、ウーガリ古道の休憩所はもう真っ暗だ。焚火で灯と暖を取り、夕飯を食べながら二人の話を聞く。今夜は、葬儀屋アゴーニが森で掘ってきた野生の芋スープだ。
「長い間、フェリーや貨物船が運航できなかったんだけど、とうとう、港の一部が戦闘区域になったんだ」
FMクレーヴェルのDJレーフが言うと、国営放送のジョールチは、マグカップを置いてレーフの手帳をめくった。
少年兵モーフが食事の手を止め、ソルニャーク隊長を見る。視線に気付いた隊長は、モーフにもわかりやすい影響を語った。
「都民の食糧事情が悪化する。寧ろ、港の封鎖が遅過ぎた感すらあるが……」
「何でっスか? 毎日、農家の連中がトラックで野菜とか運んでるんスよね?」
「都民の一部は術で魚を獲っていた。また、近隣の村から漁船で届けていた食糧や物資もなくなるからだ」
「平和な時から、どこの港でも普通に人と物の出入りはチェックされてたけど、今は政府軍が事前に許可した船以外、入港禁止になっちゃったみたいでね。南地区の魚屋さんが困ってたよ」
DJレーフが肩を竦めて芋のスープを啜る。
あの爆発からもう二十日近く経っていた。
「戦闘区域については、情報が錯綜している。都民に不安が広がり、窃盗や略奪が横行していた」
「……盗られんのって、力なき民の家や店なんスよね?」
ソルニャーク隊長は、少年兵モーフの問いを肯定し、もっと恐ろしい報せをもたらした。
「例の爆発は星の標による自爆テロだ。都民が自警団を結成し、テロの警戒にあたっているが、あやふやな情報で私刑が横行し、便乗した自称自警団が略奪の口実にしている」
「えッ……!」
「坊主、落ち着け。パン屋の子らは魔法使いが一緒に居るし、魔法の品も持ってる」
腰を浮かしたモーフをメドヴェージが押さえる。モーフは、芋のスープがまだ少し残るマグカップを置いて、膝を抱えた。
「何だ坊主、今日はおかわりしねぇのか?」
「あぁ? ……うん」
アゴーニに生返事をして、少年兵モーフはウーガリ古道に目を凝らした。
モーフがここに来てからの半月ちょっとの間、乗用車や軽トラがほんの数台、通過しただけだ。車はみんな東から西へ行く。
アナウンサーのジョールチが、ウーガリ山脈の南ルートは東部が、北ルートは全体のあちこちが半世紀の内乱中に壊されて、未だに復旧できていない箇所が多いと言っていた。
……港が戦場にってこたぁ、センターから出てったのは正解だったんだな。
夜風に炎が揺らぎ、モーフは身震いした。森がざわめき、木の葉が舞い散る。少し遅れて、古道に木の実が落ちて転がる音が続いた。
「ははっ。こいつぁ明日も忙しくなりそうだな」
メドヴェージがわざとらしく陽気に言ったが、少年兵モーフは古道から目を離せないでいた。
木々の間を小さな光が明滅している。
数日前に見た光は、魔獣の目だった。地脈の力を使った【魔除け】や【結界】に阻まれ、森から古道や休憩所には出て来なかったが、武器が手元にないモーフは生きた心地がしなかった。
今夜の光はひとつだが、一ツ目の魔獣が居ないワケではない。
顎が古い蝶番のように軋んだが、モーフは何とか声を絞り出せた。
「……光が……来る」
大人たちがマグカップを置いて少年兵の視線を辿る。葬儀屋アゴーニがすっかり耳に馴染んだ【魔除け】の呪文を唱えた。
光が瞬いて見えたのは、薮や幹に遮られるからだ。どんどん大きくなる光が、木々を影絵にする。微かに人の声が聞こえた気がしたが、森のざわめきと木の実が落ちる音に紛れた。
月光のように淡い光は、ウーガリ古道の上を漂っているらしい。
少年兵モーフは、手近な石を握って身構えた。大昔の強い魔法使いが掛けた護りをものともしない化け物に、石ころで勝てるとは思えない。
……でも、黙って食われるなんざ絶対イヤだ!
息を詰め、正体を見極めようと目を凝らす。
木の実が降る音に靴音が混じった。
警戒の種類が変わり、石を握る手に汗が滲む。
木々の切れ間、休憩所の入口に姿を現したのは、人間の男だった。
パンパンに膨らんだ鞄を肩に掛け、【灯】を点した剣を持っている。このおっさんは初めて見る顔だが、何故かどこかであったことがあるような、懐かしいような気がした。
……何だこいつ? 夜に、たった一人でこんな道歩いて来たのか?
腕に覚えのある魔法使いで、強盗なら、星の道義勇軍が三人同時に掛かっても勝てないかもしれない。
……先に一発かますか?
投石しようとした手首をメドヴェージに掴まれた。
「何すんだよッ?」
「まぁ待て、坊主」
メドヴェージは首を振り、放そうとしない。足元に生い茂った草がざわめく。
……仲間割れしてる場合じゃねぇ。
そのままの姿勢で相手の出方を窺う。剣を持った男はそれ以上近付かず、荒れ果てた休憩所で野宿する者たちに声を掛けた。
「こんばんは。人を捜しているのですが、よろしいでしょうか?」
「こんな時間にこんな所で、そんな物騒な物を持って人捜しか?」
相手はソルニャーク隊長の問いに怯んだが、その場から動かなかった。
「これは護身用ですよ。ウーガリ古道には野生動物除けがありませんからね」
……どこかで聞いた声だな。……ラジオか?
少年兵モーフは、もっとよく聞いて確めようと、質問を投げた。
「おっさん、人捜しって、こんな人が居ねぇ森で誰を捜してんだよ?」
メドヴェージが不機嫌にモーフの肩を押さえたが、剣を持ったおっさんは鞘を払わず、穏やかな声で答えた。
「移動販売店プラエテルミッサの人を探しています。トラックで蔓草細工などを売る人たちです。ソルニャークさん、メドヴェージさん、モーフさん、もしかすると、葬儀屋さんも同行しているかもしれませんが……」
……こいつ! 何で俺らの名前まで知ってんだ?
もし、この男が警備員オリョールのような魔法戦士なら、レノ店長たちが政府軍かネミュス解放軍に捕まって、キルクルス教徒の情報と引き換えに釈放された可能性がある。
……いや、ピナの兄貴は、自分が助かる為に他人を売るようなクズじゃねぇ。
だが、捕まったのがピナや女の子たちなら、妹を助ける為にレノ店長と魔法使いのクルィーロは、口を割るかもしれない。
……俺だって、ピナを助けるためだったら言うもんな。
「人に物を尋ねるなら、まず、自分が名乗ってはどうか?」
モーフの頭をどす黒い考えが駆け巡る間も、隊長と怪しいおっさんの遣り取りは続く。メドヴェージが手を放し、モーフの半歩前に出た。
男は咳払いして名乗った。
「申し遅れまして、失礼しました。私はゼルノー市のパドールリク・オルラーン。移動販売店に居たクルィーロとアマナの父です」
「ピ……兄ちゃんたちはどこ行ったんだッ?」
飛び出そうとしたモーフの前を丸太のような腕が塞いだ。メドヴェージは、思い切りぶつかってむせるモーフの肩に腕を回し、耳元で囁いた。
「何で知ってんだかわかんねぇのに、武器持ってる奴の前に飛び出す奴があるか」
この場で唯一の湖の民である葬儀屋アゴーニが、自称クルィーロたちの父から目を離さず、慎重な足取りで前に出た。
「あなたが、アゴーニさんですか? 他のみなさんは……いや、人数が合わない……?」
アゴーニの胸で輝く【導く白蝶】に気付いたのだろう。男は剣を抜かず、一歩退がった。
「俺の呼称も知ってんのか。子供らはどうした?」
男は何の徽章も着けていない。隠しているのか、クルィーロと同じで【霊性の鳩】学派の術を少し使えるだけなのか。
……いや、ホントに工員の兄ちゃんたちの親父さんなら、力なき民だ。
男は答えない。
放送局の二人は焚火の傍を離れず、成り行きを見守っていた。
「パン屋の兄妹はどうした?」
ソルニャーク隊長が質問と同時に駆け出し、一気に距離を詰めた。アゴーニが【操水】でお茶用の水を起ち上げる。男は反応できず、あっという間に腕を捩じ上げられ、剣を落とした。水が道を這い、剣を二人から遠ざける。
「もう一度聞く。お前は何者で、移動販売の情報をどこで手に入れた?」
剣の【灯】が離れ、モーフには二人の表情が見えなくなった。
「あなたが、ソルニャーク隊長ですか?」
「質問に答えよ」
男が呻いた。
制圧した隊長が更に何かしたらしい。苦しげな声が地べたを這って少年兵モーフに届いた。
「お店のことは息子……クルィーロから……椿屋さんの子たちは、離れ離れで、レノ君とエランティスちゃんは王都に居ます」
「ピナは? ピナはどうしたんだよッ?」
メドヴェージの腕を振り切って二人に駆け寄る。一拍遅れて重い足音がついて来たが、構わず走った。
足下から声が縋りつく。
「モーフ君かい? 隊長さんにいッ……!」
「退がれッ!」
ソルニャーク隊長とメドヴェージが同時に命じた。
モーフの叫びが夜の森に響き渡る。
「そうだ! 俺がモーフだ! ピナは? 何で離れ離れんなってんだよ? 二人だけ王都って、ピナは?」
メドヴェージに引き離されながら、質問を繰り返した。また風が吹き、ドングリの雨が降る。
「何で……何で教えてくんねぇんだよッ!」
「知らねぇから答えらんねぇんだろ」
メドヴェージは偽者と断じてモーフを抱え、トラックの荷台に上がった。
「あいつ一人とも限んねぇだろ」
「でも、似てるのに……!」
「騙されんなよ」
「何でニセモノって決めつけてんだよッ!」
降りようとしたが、襟首を掴まれて荷台の奥に引っ張り込まれた。
「葬儀屋から聞いたぞ、スパイの兄ちゃんが言ってたってよ。顔なんざ魔法で変えられるってな」
モーフがぐっと詰まると、運転手のおっさんが畳みかけた。
「ホントに工員の兄ちゃんの親父さんだったら、力なき民だ。あんな剣一本で、道に【結界】があるっつっても、夜に一人で出歩くなんざ、有り得ねぇ。あいつが力なき民なら、どっかその辺に魔法使いが隠れてんだろうし、自分で【灯】を掛けたんならニセモノだ」
「急いで俺らを捜しに来たかも知んねぇじゃねぇかッ! 何か事情があって離れ離れになって、えっと、【灯】は、その辺の村の奴に掛けてもらって……」
メドヴェージを力いっぱい突き飛ばし、荷台から飛び降りる。
放送局の二人が突っ立つ焚火の横を駆け抜け古道に飛び出し、葬儀屋が操る水から剣をもぎ取って、隊長たちには目もくれず、東へ走った。
☆あの爆発……「710.西地区の轟音」~「712.引き離される」参照
☆スパイの兄ちゃん……ラゾールニクのこと。「285.諜報員の負傷」参照
☆顔なんざ魔法で変えられる……【偽る郭公】学派(「549.定まらない心」参照)




