744.露骨な階層化
「お風呂の支度は、バスタオルと変えの下着と寝巻だけです。石鹸とかは備え付けがあります」
隣のスキーヌムが部屋の手前で足を止め、アウグル司祭に頼まれた通りきちんと説明した。
「そうなんですね。助かります」
「続きは向こうで説明しますね」
ロークは自室の戸を閉めるなり、大きく息を吐いた。この先ずっとこんな調子なのかと思うと息が詰まりそうが、やると決めたからには仕方がない。
下着もバスタオルも全て純白で、名前のタグが縫い付けられていた。手早く揃えて廊下に出ると、スキーヌムも同時に出てきた。
真っ白な廊下で他の神学生たちとすれ違う度に「ごきげんよう」と挨拶を交わす。ロークは面食らったが、同じように挨拶してついて行った。
「あ、そうだ。ロークさん、クラスのことは聞かれましたか?」
「はい。聖職者クラスに編入するって言われました」
「他のクラスについてはどうですか?」
「いえ、何も……?」
三階の渡り廊下ですれ違うのは、真っ白な寝巻姿、前を行くのは純白の制服ばかりで、他の色の制服は一人も居なかった。
「脱衣所はクラス毎にフロアが分かれていて、洗濯機と乾燥機もそこにあります。入浴中に洗濯して乾くのを待って部屋に戻ります」
「毎日ですか?」
「そうしないと、白さを保てませんから」
「あぁ、そう言う……」
濃い色の物と一緒にしたら、色移りするから洗濯機が別になっているのだろう、と納得する。
渡り廊下で繋がった入浴棟に入ると、仄かに石鹸やシャンプーが香った。
……男ばっかなのになー。
アーテル行きの機内で、女子は修道院で神学を学ぶと職員に教えられた。職員がこの神学校の他クラスの説明をしなかったことに気付いたが、それをスキーヌムに言ったところで仕方がない。
入浴棟は三階建てで一番上が聖職者クラス専用だった。
「あれっ? じゃあ、お風呂もクラス別なんですね?」
「えぇ。人数と洗濯の回数が違うからだと思いますよ」
スキーヌムは、籠に着替えを入れて当たり前のように言う。この少年は、本当にただそれだけの理由だと思っているようだ。
脱いだ服を洗濯機に入れながら説明する。
「バスタオルは一旦、部屋で干して、次の日に洗濯。僕たちのクラスは毎日洗濯しますが、他のクラスは三日に一回と週に一回なんですよ」
洗濯室を兼ねた脱衣所は中央に着替えを入れる棚、その右手に洗濯機、左手に乾燥機が並び、洗濯機は何台か空いているが、乾燥機は全て稼働していた。
全裸で洗濯機の使い方を教わるのは妙な気分だが、周囲の誰も気にする様子がない。ここではそう言うものなのだろう、と意識を洗濯機に集中した。
ロークが知っている二槽式ではなく、ダイヤルもついていない。手前のパネルにボタンが幾つも並び、スキーヌムが何かを押すと小さなディスプレイに数字が表示された。
「左は洗う時間、右は濯ぎ回数で、最後にこれを押して……出た数字が終わるまでの所要時間です」
「二十五分? こんなに早く……」
「早いですか?」
「実家の洗濯機は、洗うとこと脱水するとこが別で、濯ぎが終わったら母が手で脱水槽に洗濯物を移して……量によるのかもしれませんけど、家族四人分で一時間くらい掛かってましたよ」
スキーヌムはロークの説明をじっと聞いていたが、小さく首を傾げた。
「ちょっと想像付きませんけど、半手動みたいな機種なんですか?」
「そう言われてみれば、そう……ですね」
「ここにあるのは全自動で、洗剤も入れてくれますよ。洗剤の補充は舎監さんがしてくれますし」
「至れり尽くせりなんですね」
ロークが驚きを隠さずに言うと、スキーヌムは誇らしげに微笑んだ。
「なるべく雑事に煩わされないで神学に専念できる環境が整ってるんです」
「……凄いですね」
ロークは別種の驚きを抱いたことを悟られないよう、教えられた通りに洗濯機を操作して浴室に入った。
広々とした浴室にシャワーが並び、その奥には大きな浴槽が見える。遅くなったせいで閑散としていた。
スキーヌムは眼鏡を外しても危なげのない足取りで、少し奥のシャワーへ行き、身体を洗い始めた。ロークはひとつ空けた近くの台を使う。
鏡に映る身体は、避難生活の力仕事とソルニャーク隊長たちの訓練で、実家に居た頃よりずっと逞しくなっていた。
横を見ると、スキーヌムは琥珀のように濃淡のある髪を洗っている。ひょろりとした体つきで、力仕事など生まれてこの方したことがなさそうに見えた。
髪と身体を洗って浅い浴槽に浸かる。
ロークたちの後も、学生がパラパラ入って来た。洗い場の神学生たちはみんな、育ちのよさそうな顔立ちで、少年兵モーフのように荒んだ空気を纏った者は一人も居らず、判で捺したように華奢な体格だ。
……聖職者クラスは、力仕事にも荒事にも縁のない上流階級の坊ちゃんばっかりなんだろうな。
全員を見たワケではないが、少なくとも今、ここに居る者たちはそう見えた。
「ロークさん、学校案内の冊子は読まなかったんですね?」
「学校案内……? もしかしたら、本棚に入っているのかもしれませんが、時間がなかったのでまだ確認できていません。教えていただいても構いませんか?」
「勿論ですよ。僕たちの聖職者クラスは初等部から大学まであって、一学年一クラスで定員は三十人なんですけど、試験が厳しくて満員の学年は少ないんです」
……あれっ? もっと競争率高いかと思ったのにな? それとも、ホンキで合格点がむちゃくちゃ高い難関校なのか?
ロークは謙遜してみせた。
「そうなんですか。俺、まぐれで編入試験に合格できたのかな……?」
「そんなことありませんよ。きっと、おうちが教会代わりで、お祖父様の教えがしっかりしてらしたからですよ」
混じりけのない尊敬の眼差しを向けられ、ロークは思わず目を逸らした。脱衣所に顔を向けて言う。
「さっき言いかけていた他のクラスのことも教えていただけますか?」
「あぁ、途中でしたね。星道クラスと一般クラスです。星道クラスは、篤い信仰心と高い技術力を持つ星道の職人を目指すクラスなんです。制服は紺色ですけど、作業服を着ることも多いですね」
ロークは何となく、別の理由がありそうな気がしたが、それを言うと波風が立つのは目に見えている。編入初日からそれは避けたい。
「作業服の洗濯に特別な洗剤が必要だから、別になってるんですか?」
スキーヌムは、敢えて発した当たり障りのない質問を額面通りに受け取って答えた。
「きっとそうでしょう。建築と土木、服飾、製陶、冶金、武器の……」
「武器ッ?」
ロークが声を上ずらせると、スキーヌムは意外そうに言った。
「魔物や魔獣に対抗する為の神聖な武器ですよ。お祖父さまの聖典にも載っていましたよね?」
「あ……いえ、まだそこまで深い部分は教わってなくて……つい、この戦争で使っている近代兵器を想像してしまいました」
スキーヌムは顔を曇らせたが、すぐに気持ちを切替えたのか、説明を続けた。
「星道クラスは技術別で学科が分かれて、五つの学科に二十人ずつ、一学年だけで百人居ます」
「学科別で二十人……聖職者の衣や教会を作る職人さんって、思った以上に狭き門なんですね」
ロークはランテルナ島で知ったことを思い出し、何とも言えない気持ちになったが、感心した風を装った。スキーヌムがうっとりと語る。
「女子修道院にも服飾と宝飾、建築学科があります。聖職者の衣も祭衣裳も伝統を守って全て手作りなんですよ。機械化して聖者様の叡智が失われないように……」
ロークは、アウグル司祭の純白の衣を思い起こした。同色の糸でびっしり施された刺繍は、全て力ある言葉で、ロークが見た限り【魔除け】の呪文が繰り返されていた。
呪医セプテントリオーの白衣や薬師アウェッラーナのコート、クルィーロのマントには様々な呪文が刺繍されていた。
……【魔除け】の刺繍だけあったって、力なき民が着るんじゃ意味ないと思うんだけどな。
取敢えず、毒にも薬にもならない感想で場を繋ぐ。
「アウグル司祭様の衣、細かい刺繍が凄かったんですけど、あれもみんな手作業なんですか」
「そうなんですよ。技術を身に着ける修行はとても厳しくて、入試も難易度が高いんですけど、折角合格したのに毎年、何人も自主退学しちゃうんです。頑張って卒業しても、実務の大変さに音を上げて、称号を返上しちゃう職人さんも居て、伝統を守るのは生半可な気持ちの人には難しいみたいです」
「卒業したらすぐ、職人さんになれるんですか?」
「すぐに就職する人も居ますが、外部の大学を受験する人も多いですね」
星道クラスは就職に有利なようだが、仕事を続けるのは難しいらしい。
もしかすると、キルクルス教の信仰の秘密と矛盾に苦悩し、誰にも悩みを打ち明けられず、周囲に矛盾を知らせる為に「星道の職人」を辞めた者が居るかも知れなかった。
「……大変なんですね。では、一般クラスの人たちは何を学んでいらっしゃるんですか?」
スキーヌムは眉間の皺を消して誇らしげに説明する。
「一般クラスは、信仰心と学力は充分なのに、経済的な事情で進学が難しい家の子が、聖歌やお祭の舞踊を学んでいます」
「来る前に、学費は無料だって聞いたんですけど……」
ロークが思わず突っ込むと、スキーヌムは淋しげに言った。
「えぇ。学費だけはどこの学校でも無料です。でも、日々の生活費に困る家庭では、中学生の内からアルバイトをするので、学ぶ時間が充分確保できないんですよ」
……アーテルにも、モーフ君みたいな子が……?
「アーテルにも、困ってる人が居るんですね。意外です」
「残念ながら、半世紀の内乱の痛手から回復していない地域を中心に……」
スキーヌムが目を伏せる。重くなった空気が気マズくなり、ロークは努めて明るい声で言った。
「でも、アーテルには、ちゃんと救済策があって羨ましいです」
「そうですね。神学校の宿舎なら、衣食住は無料で与えられますし、残された家族はその子の分の負担が減るそうですから」
ネモラリス共和国では、フラクシヌス教徒の貧困家庭には政府と教団から経済的な支援が与えられるが、リストヴァー自治区で暮らすキルクルス教徒には、そんな救済策はない。
それが、星の道義勇軍の武装蜂起に繋がったのだ。
「普通に、一般信者向けの聖典や聖句の内容も教わって、この聖なる学び舎を巣立った後は、地域の教会で祭礼がきちんと行われるように、司祭様たちをお助けする役割を担っています」
「役割毎にクラスが分かれているんですね」
「そうです。一般クラスが一番多くて、四十人のクラスが各学年五つずつ、成績別に分かれています。定期テストの点数が足りないと退学になるので、勉強家の人ばかりですよ」
ロークは何となく引っ掛かって聞いてみた。
「聖職者クラスは成績が足りなくても退学にならないんですか?」
「なりますけど、二回までは猶予があるので、少しのんびりしていますね」
……えぇとこの坊ちゃんだからって、甘やかし過ぎじゃないか。
ロークは内心、毒吐いたが、にっこり笑ってみせた。
「じゃあ、俺も勉強遅れないようにしっかり頑張らないといけませんね」
ロークは自室に引き揚げてすぐ、本棚を確めた。
学校案内の冊子をみつけてパラパラめくる。概ね、スキーヌムが言った通りに書かれていたが、ドロップアウトの件については全く触れていなかった。
ポケットサイズの手帳に、今日、アーテル行きの機内やルフス神学校内で見聞きしたことを書き留める。
アーテル人が当たり前のこととして見過ごしている中に、アーテルの社会を揺さぶる弱みがあると信じて、気が付いたことは何でも書いた。
☆キルクルス教の信仰の秘密と矛盾……「431.統計が示す姿」~「435.排除すべき敵」参照。ロークは「568.別れの前夜に」「569.闇の中の告白」でファーキルから教わった。
☆星道の職人……「554.信仰への疑問」「582.命懸けの決意」参照




