742.ルフス神学校
ルフス神学校は、アーテル共和国の首都ルフスの南西部にある。
ロークは飛行機が上空を通過した時、窓に貼りついて確認したが、首都ルフスだけでも想像したよりずっと広大だった。南ヴィエートフィ大橋の袂のイグニカーンス市とは随分離れている。この距離をどうやって安全に移動すればいいのか、頭が痛かった。
宿舎の外観は、ロークにアクイロー基地の兵舎を思い出させた。鉄筋コンクリート造りの頑丈な三階建てで、目に痛いくらい白い。内装も眩しいくらいの白で、煌々と照らすLEDのライトはなるべく影が少なくなるように配置されていた。
六人の大部屋と二人部屋と個室があると言われたが、ロークには個室が与えられた。
「火を使うので、お風呂と食堂、調理場は別棟になっています。時間に遅れないよう、規律正しく行動するように心掛けて下さい」
「はい、アウグル司祭様」
真新しい制服に身を包んだロークは、年配の司祭に模範的な態度で応じた。部屋割の理由は聞くまでもない。
……どうせ、カネかコネなんだろ。
ベッドの上には純白の制服と寝巻、新品の下着類がきちんと畳んで重ねてある。小さな本棚には教科書が詰まり、机では聖典と文房具が待ち構えていた。
肌寒くなった風に揺れるカーテンも、ベッドのシーツも穢れのなさを表す純白だ。
司祭の衣も穢れのない白で、目を凝らすと同色の糸で細かい刺繍が施されているのが見えた。
「それから、タブレット端末のことは、どなたかから聞きましたか?」
「はい。リャビーナの支部長さんに、司祭様が用意して下さるって言われました。パドスニェージニク議員とカエシアス学園のスーベル理事長のメールアドレスって言うのも教えていただきました」
ロークが上着のポケットからメモを出して広げると、司祭は紙片を見て頷き、小冊子を机に置いた。
「一度にたくさん覚えるのは大変でしょう。端末の本体はここの暮らしに慣れた頃にお渡しします。そのメモはくれぐれも紛失しないように気を付けて下さいね」
「はい。お気遣いありがとうございます」
小冊子はタブレット端末の取扱説明書だった。
年配の司祭が、わざわざ宿舎の規則を説明する。ロークは熱心に聞くフリで半分聞き流した。
窓から見える手入れの行き届いた芝生の中央で、ちょっとした大木が紅く色付いた葉を風に散らす。
「最後に、何か質問はありますか?」
「うーん……知らないことだらけで、何がわからないのかもわかりません」
「そうですね。我々聖職者は勿論、学友のみんなも、ローク君が特別な留学生だと心得ています。わからないことは何でも聞いて、早く馴染めるように努めて下さい」
「はい。頑張ります」
アウグル司祭は目尻の皺を深くして、聖なる星の道の印を切った。
「それでは、夕飯に遅れないよう気を付けて下さい。私物の片付けは、一人でできますね?」
「はい、大丈夫です」
……小学生じゃあるまいし。
ロークは、静かに退室したアウグル司祭を一礼して送り出し、足音が聞こえなくなるのを待って鍵を掛けた。
改めて、与えられた部屋を見回す。
木製のシングルベッド、机、本棚、三段だけの小さな箪笥、ドアの脇にコート掛け、隅にはゴミ箱と掃除用具入れ。実家の自室より狭いが、物が少ないので窮屈な感じはしなかった。
……困ったな。
全く調べられずにスーツケースを持ち込めたのはいいが、箪笥にも机の抽斗にも、鍵が付いていない。魔法の品を隠せる場所が全くなかった。
どうせ、収納に鍵があったところで、舎監や司祭はマスターキーを持っているだろう、と思い直して対策を考える。
……ベッドの下? いや、ダメだ。
如何にもエロ本の隠し場所になりそうな場所だ。大勢の男子学生と関わる彼らは、真っ先に調べるだろう。裏をかこうにも、ここの大人たちは知識と経験が一枚も二枚も上だと考えた方が無難だ。
室内に隠し場所はないと見切りをつけ、次の手を考える。
……ヴィユノークの護符と【水晶】は財布の中だからいいとして、傷薬と【守りの手袋】と宝石類をどうするか……だよな。
移動販売店の一行は、千年茸を売って莫大な財産を得た。ロークの取り分の内、宝石と【魔力の水晶】の大半はレノ店長たちに譲った。手許に残した【水晶】は、ヴィユノークが作って護符と一緒にくれたものと、作用力を補うもの一個だけだ。
傷薬は口止め対策として半分だけ母に譲ったが、万一に備えて掌サイズのプラ容器五つ分持って来た。
……傷薬は、同じ材料で力なき民でも作れる薬があるし、それで押し通そう。
【思考する梟】学派の魔法使いでなくとも、傷薬になる薬草の水分を抜き、乳脂で煎じて膏薬を作ることならできる。魔法薬ではない為、効力は弱いが、傷の治りをよくする薬になる。
薬師候補生がくれた【不可視の盾】の革手袋は片方だけだが、力ある言葉で呪文が刺繍され、一目で魔法の品だとわかる。
……手袋は……裏返してポケットに入れて肌身離さず持ち歩こう。
洗濯前の出し忘れと、着替えた時に入替え忘れないように気を付けなければ、と肝に銘じてズボンのポケットに捻じ込んだ。
宝石は、トパーズが十個、小粒のキャッツアイが十二個。父に預けた囮のキャッツアイ五個は、そのまま返って来た。
……必要になるのは、情報収集が終わってランテルナ島に渡る時だから、肌身離さず持ってなくていいよな。
室外のどこに隠せばいいのか。
ルフス神学校の敷地内では、ネモラリス共和国から来た「特別な留学生」のロークが何をしても目立ってしまう。それに、他の学生や清掃係にみつかる惧れもあった。
……今から外に出るのは無理だよな。
取敢えず服を箪笥に仕舞い、餞別にもらった辞書と文房具を机に置く。
スーツケースに残った小さな革袋はずっしり重かった。全部は財布に入れられない。トパーズとキャッツアイ、ロークにはどちらの価値が上かわからない。見れば見る程、たくさんの宝石が石ころのように思えてきた。
箪笥の上で、目覚まし時計が時を刻む音がやけに耳につく。急かされている気がして時計を見た。
……あッ! もうこんな時間……えーっと、えーっと……?
夕飯まで三十分を切っている。
スーツケースをベッドの足側の壁際に置くと、宝石の小袋ふたつだけが残った。パドスニェージニク議員の屋敷では念の為、小袋を紐で肩に掛けて腋の下に隠していたが、入浴時には服を脱がなければならない。共同浴場ではさぞかし目立つことだろう。
財布に入るだけ入れてみる。【魔力の水晶】ふたつは、どちらも小指の第一関節くらいの大きさだ。力ある言葉が刻まれた水晶に蓄えられた魔力が、淡い光を灯して財布の内側を照らす。小さなキャッツアイを入れてみたが、三つで口が閉まらなくなった。
諦めてひとつ出して途方に暮れる。
風が起ち、庭の大木がざわめいた。
赤い木の葉が、夕映えの空を舞う。
……木……あッ!
トパーズの袋を箪笥の一番下、下着類の中に詰めた。
キャッツアイの小袋を握って職員室へ急ぐ。そっとノックし、顔を出した職員に深刻な表情で来意を告げた。
「留学生のロークです。アウグル司祭様いらっしゃいますか? さっき、重要なことを伝え忘れてしまって……」
「重要なこと? 何ですか?」
「司祭様に直接お伝えしたいんです」
「……そうですか。そこで少し待っていなさい」
職員はそれ以上、追及せずに引っ込んだ。
ややあって出てきたアウグル司祭が心配顔で聞いた。
「ローク君、どうされました?」
「司祭様、お耳を……」
顔を寄せた司祭の耳元を両手で囲って囁く。
「父が、ここでの生活費にって、宝石を持たせてくれたんです。でも、部屋には鍵を掛けられるところがなくて、もし、外から泥棒が来たらって心配で……」
「では、理事長先生にお願いして、理事長室の金庫で預かっていただきましょう」
ロークは上手く行ったことに瞳を輝かせ、宝石が詰まった袋を出した。
「ありがとうございます」
小粒のキャッツアイが十個詰まった小袋を受け取り、アウグル司祭が重々しく頷く。
「……これは……父上は、随分たくさん持たせて下さったのですね。一般の寄付と混じるといけません。経理の先生にお願いして、預かり証を作ってもらいましょう」
「預かり証……そんな、銀行みたいに大袈裟な……」
「お金のことですからね。きちんとしておいた方がいいのですよ」
アウグル司祭は、ロークの手に小袋を握らせ、職員室に戻った。
……アウグル司祭は、腐敗してない聖職者なのかな?
だからと言って、気を許していいワケではない。ロークは掌の中で石の重みを心に刻んで待った。
木を隠すなら森の中。
他の貴重品と共に神学校の金庫に宝石の一部を預け、残りは手許に。万が一、小袋がみつかった時は、下着を漁られた被害者として全力で騒ぎ立てる。
それで有耶無耶に出来なかった場合は、避難中、貴重品は分散した方がいいと学んだと言って身の安全を図ると決めた。
財布の中身がみつかった時は、ネモラリスは両輪の国で、物々交換の取引が多いから混入したのだと言えば、押し切れるだろう。
「お待たせしました。では、理事長室へ参りましょう」
「えっ? 今すぐですか? ご飯は……」
「少し遅くなりますが、これは先に済まさねばなりません。急ぎましょう」
ロークは、アウグル司祭と経理の職員に従って、長い廊下の奥へ向かった。
☆アクイロー基地の兵舎……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆移動販売店の一行は、千年茸を売って莫大な財産を得た……「479.千年茸の価値」「564.行き先別分配」~「565.欲のない人々」参照
☆ロークの取り分の内、【魔力の水晶】の大半はレノ店長たちに譲った……「637.俺の最終目標」「691.議員のお屋敷」参照
☆薬師候補生がくれた【不可視の盾】の革手袋……「283.トラック出発」参照




