740.農村への近道
クルィーロたち四人は、雑貨屋の息子ドージェヴィクの案内で、ひとまず首都クレーヴェル北部の農村を目指していた。
父がアマナの鞄を持ち、クルィーロは、毛布を抱えたアマナと手を繋いで先を急ぐ。
ピナティフィダは、クルィーロたちの父と並んで歩き、表情はわからないが、兄妹と離れていても足取りはしっかりしていた。レノと同じ大地の色の髪はきっちり編まれ、伸ばした背筋で歩調に合わせて揺れる。
……何があっても、ピナちゃんを守らないとな。
親友のレノに任された大事な妹だ。本人はしっかりしているが、だからと言って助けが要らないワケではない。
なだらかな坂を上る一行の右手には、首都の防壁がずっと続く。北へ向かう車は今のところ、一台もなかった。
……農協の軽トラが来てたってコトは、最近は略奪とかされてないってコトだよな。
クルィーロは、国営放送ゼルノー支局で見たニュースの原稿を思い出し、慌てて不安を打ち消した。ピナティフィダの毛布が鞄から垂れている。
「ピナちゃん、毛布持とうか?」
「ありがとう。でも、大丈夫」
ピナティフィダは肩越しに振り向いて、すぐ前を向いた。鞄の持ち手に挟んだ毛布は嵩張って持ちにくそうだが、重さはそうでもない。クルィーロはずり下がった毛布の端を鞄に乗せ、アマナと手を繋ぎ直した。
「お兄ちゃん、村ってまだ遠いの?」
「さっき地図で見た感じ……まぁ、急いで行けば、夕ご飯までには着くんじゃないか?」
「大型車は、防壁沿いに北門の方まで行かなきゃいけないけど、歩きだから、もうちょっとで近道に出るよ」
都民のドージェヴィクが、今歩いている道と北東を指差し、すっと北西に動かす。なだらかな斜面には秋の草が生い茂り、道らしきものはまだ見えなかった。
昼前まで歩いてやっと、国道と近道の合流地点に出た。
近道は脇に所々【魔除け】の石碑があるだけで、舗装されていない。タイヤ痕に挟まれた草は丈が短く、それなりに交通量はあるようだ。見える範囲には、人も車もなかった。
「見ての通り、地元の人しか使わない抜け道だから、ちょっと護りが薄くて……」
ドージェヴィクが【魔除け】を掛ける。
クルィーロはギョッとしたが、平静を装って同じ術を掛けた。日の光にうっすら真珠色の光が追加される。
「お兄ちゃん、今のって【魔除け】よね?」
「石碑があるから大丈夫だろうけど、念の為だよ、念の為」
「野菜の出荷で毎日、軽トラは通ると思うけど、数は減ってるだろうからね。もし、何かが出たら荷物を捨てて逃げよう」
「えぇッ?」
ドージェヴィクの警告にクルィーロは思わず足を止めた。
父がドージェヴィクの前に周り、国道を指差す。
「それでは、多少遠回りでも、安全な道を通りましょう」
ドージェヴィクは三人に向き直り、アマナをじっと見て言う。
「この分だと、そっちの道を使ったら日暮れ前に着けないよ」
「ですが、それでは……」
……もし、魔獣に襲われたら、アマナは……いや、俺だってビビって逃げらんないよ。
ランテルナ島の森で鮮紅の飛蛇に襲われた時のことを思い出し、クルィーロは身震いした。
「何せ、荷物が重いからね。こっちの道だってお昼抜きで歩いてギリギリな感じだよ」
「荷物……えーっと……あ、歩きながら考えましょう。近道の方で!」
ピナティフィダが小走りで土の道に入った。慌てて追いかけたドージェヴィクが、落ちた毛布を拾う。ピナティフィダは歩調を緩めて礼を言ったが、立ち止まらなかった。
……日がある内に出るかもってコトは、ガッチリ実体があって、日光くらいじゃビクともしない魔獣なんだろ?
道の両脇に茂る草は何種類もあり、中にはクルィーロの肩の高さまで伸びたものもあった。
それなりの大きさの魔獣が潜んでいてもわからないが、戦う力のないクルィーロたちでは、相手が普通の猪でも勝ち目はない。新聞やラジオで時々、野生動物相手の交通事故が報じられるが、大抵は自動車が廃車になって、猪は逃げていた。生身の人間がぶつかられたら、骨折でもまだマシな方だろう。
アマナがクルィーロの手をぐいぐい引っ張って急ぐが、あまり速度は変わらない。二人分の荷物を持つ父は足が鈍ってきて、クルィーロたちと並んだ。
昼時を少し過ぎた頃、ピナティフィダが隣を歩く雑貨屋の息子に声を掛けた。
「あ、そうだ! ドージェヴィクさん、ここってずっと一本道なんですか?」
「うん、まぁ迷子になる心配はないけど、どうかした?」
ピナティフィダが少し先で足を止め、クルィーロの目を見て聞く。
「この間、【跳躍】できるようになったって言ってたよね?」
「知らないとこには跳べないぞ」
「見えてるとこは、行けるんでしょ?」
「うん。って言うか、まだ知ってるとこでも遠くは無理。見えるとこだけ……あッ!」
ピナティフィダの考えがわかり、クルィーロは足を止めた。スポーツバッグの底から旧王国時代の剣と【魔力の水晶】の小袋をひとつ引っ張り出す。
「凄いな、剣術できるんだ?」
「いえ、もらい物で、剣術は全然……でも、ないよりはマシだから、父さん、はい! これ」
「どうするんだ?」
重い鞄をふたつ抱えた父は剣を受け取らない。
ピナティフィダが、もどかしそうに説明する。
「クルィーロさんが重いの持って【跳躍】で先に行って、私たちは毛布だけ持って追っかけるんです。えっと、嵩張るから……」
「あー、そう言うコト。じゃ、脱水しないように水筒もだ」
ドージェヴィクも納得して提案した。
父はそれでも荷物を放さない。
「お前一人で先に行って、もし、何かあったら……」
「このマント、元から【魔除け】付いてるし、逆に一人だから【跳躍】で逃げられるんだよ」
クルィーロが言うと、父は渋々荷物を置いて剣と【魔力の水晶】を受け取った。
「じゃ、お父さんは先頭。女の子たちは間で、俺は一番後ろを守るよ」
「ありがとうございます」
ドージェヴィクが【不可視の盾】を父の腕時計に掛け、展開の合言葉と使い方を説明した。
「じゃあ、行くよ」
クルィーロは、四人分の荷物をたすき掛けにして左右に振り分け、道の先を見詰めて呪文を唱えた。
「鵬程を越え、此地から彼地へ駆ける。
大逵を手繰り、折り重ね、一足に跳ぶ。この身を其処に」
道の先の景色とここに居る自分が繋がり、軽い目眩に思わず目を瞑る。ゆっくり息を吐き、どこも痛くないことを確認して、恐る恐る瞼を上げた。四人分の荷物が肩に食い込む。
クルィーロは、道の真ん中に一人で立っていた。
「お兄ちゃーん!」
振り向くと、アマナたちが毛布を振りながら、ずっと遠くから駆けてくる。手を振り返して、追い付くのを待った。
「クルィーロ、塾をサボってばかりだったお前がこんなに……」
「俺だって、やる時ゃやるんだよ」
父に涙ぐむ真似をされ、クルィーロは苦笑した。
「じゃあ、この調子で急ぎましょ」
「剣にも【魔除け】を掛けたから、こっちは心配しないでどんどん行ってくれ。どうせ一本道だ」
ピナティフィダと雑貨屋のドージェヴィクに言われ、クルィーロは表情を改めて【跳躍】を唱えた。
☆国営放送ゼルノー支局で見たニュースの原稿……「116.報道のフロア」「129.支局長の疑惑」参照
☆ランテルナ島の森で鮮紅の飛蛇に襲われた……「444.森に舞う魔獣」参照
☆この間、【跳躍】できるようになったって言ってた……「687.都の疑心暗鬼」参照
☆スポーツバッグの底から旧王国時代の剣……「443.正答なき問い」「686.センター脱出」参照




