739.医薬品もなく
呪医セプテントリオーは衝立の裏へ回った。
簡易ベッド十台は全て埋まっている。傍らに身内が付き添う者もあれば、一人で横たわり、顔をこちらに向けて不安と期待が入り混じった目で縋る者も居た。
「みなさん、【青き片翼】の呪医が来てくれましたよ」
パテンス市の市会議員が改めて声を掛けると、病室が明るくなった。付き添う家族が患者の手を取り、もう治ったかのように喜ぶ。
「まず、一通り診て、重傷の患者さんから順番に治療します。怪我が治っても身体は弱っていますので、人によっては数日、休んでいただきます」
呪医が言うと、沸き立つ鍋に水を注いだように鎮まった。奥のベッドから男性の弱々しい声が上がる。
「いつから……いつから、働けるようになるんですか?」
「それを今から診て回ります」
「あ、あのっ私、針子です。破れた服、こっちの人から順番に直しますね」
針子のサロートカが、小振りなお針箱をカタカタ鳴らして手前のベッドの脇に立った。付き添いの男性が椅子を譲り、毛布に手を入れてもぞもぞする。患者は眠っているのか意識がないのか、ズボンを抜き取られても反応がなかった。
呪医セプテントリオーは、二列並んだもう一方のベッドから順に【見診】を掛けて回った。診療所に入院する者たちは案の定、下肢の骨折が多い。
一番奥の一人は、伐採木の下敷きにでもなったのか、上半身を中心に負傷していた。鎖骨と肋骨が折れ、肩甲骨にヒビが入っている。内臓に刺さらなかったのが不思議なくらいだ。頭には打撲と裂傷。くすんだ金髪の根元には、かさぶたがこびり付いている。傷から感染を起こしたのか、発熱して本人に意識はないが、付き添いが居なかった。
洗い上げたシーツを抱え、コーヌスとティリアが入って来た。病室の隅の籠にシーツを片付けるのを待って声を掛ける。
「この患者さんの身内の方は、おわかりですか?」
「えっ? あっ……あー……その人、サフロールさんって言うんですけど、一人なんですよ。身内みんな亡くなって、ご近所さんと一緒にここに来て。ご近所さん、毎日、夕方だけ様子見に来てくれるんですけどね」
説明しながら、青年が奥のベッドに近付くのを、他の者たちは不安げに見送る。
コーヌス青年は、ベッドの枕元の柵から厚紙を取り上げた。柵から紐でぶら下がる二つ折りの厚紙に、メモともカルテともつかないものが挟んである。
左のページは、呼称と性別、推定年齢、力なき陸の民であること、元の住所、難民キャンプ内の住所、身元引受人などの基本情報が記されていた。
右のページには、受傷日時と状況。三日前の夕方、キャンプ付近の森林内で薬草摘みをしていたところ、魔獣に襲われ、尾で強打されたとあった。
呪医が息を呑むのが聞こえたのか、隣の付き添い女性が遠慮がちに声を掛けた。
「あの……やっぱり、悪いんですか?」
「えっ……あ、あぁ、大丈夫です。傷はすぐ治せます。ですが、感染症があって、体力の消耗が激しいので、抗生物質を投与できたとしても、一週間くらいは起きられないでしょう。その間のお世話などは、どなたにお願いすれば……」
「あ、それは私たちがしてます。夕方だけ、お知り合いの方がスープを飲ませてくれてます」
ティリアの説明を聞いて呪医は更に確認した。
「この……サフロールさんは、ずっと意識がないんですか? お知り合いの方は力ある民ですか?」
「えぇ、ずっと……お知り合いの方は湖の民です。それと、その魔獣は自警団のみなさんが頑張ってやっつけて下さったんで、もう大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろ。……その時に自警団が何人も怪我したんで、一緒に診ていただきたいんですけど……」
コーヌスが肘で軽くティリアを小突き、呪医に申し訳なさそうな顔を向ける。
こんな時に若い二人の仲を想像しそうになり、呪医セプテントリオーは咳払いで誤魔化して答えた。
「勿論いいですよ。ピーヌスさんが呼びに行かれたんですよね?」
「はい。一応、歩けるんですけど、骨折してる人も居て、全然、大丈夫じゃないんで……」
「わかりました」
メモのようなカルテの最後には、科学の医師が応急処置をした旨、簡潔に記されていた。魔法薬も、科学の薬も投与されていないらしい。
……この発熱は、傷からの感染だが……包帯もないのに、抗生物質などある筈がないか。
内心の落胆を悟られないように表情を殺して診察を続けた。
十人の内、先程の身寄りを亡くしたサフロールが最も重傷だった。
金髪の中年男性の毛布をそっとめくり、患部に手を当てて呪文を唱える。
「青き風 片翼に起き 舞い上がれ 生の疾風が骨繕う糸紡ぎ 無限の針に水脈の糸 通し繕え 毀つ骨の節は節 支えは支え 腱は腱 全き骨 ここに癒ゆ」
身の内で砕けた骨が、呪医の魔力と患者の生命力を縒り合わせた糸に縫い合わされる。損傷個所を全て復元すると、骨折による腫れは引いたが、やはり感染症の発熱は下がらず、意識も戻らなかった。
「サフロールさんは傷から感染症にも罹っています。魔法薬は無理でも、科学の薬……抗生物質が手に入れば……」
「なんせ人数が多いので、全く足りないのですよ」
市会議員が首を振ると、コーヌスが眉間に皺を寄せた。
「その……サフロールさんが、ここらじゃ一番、薬に詳しいんです」
「薬剤師さんなんですか?」
「いえ、製薬会社の薬草園で働いてたって……そこのプランター、見ましたよね? 鉢は市民の寄付だけど、他はみんなサフロールさんが森で採って来てくれたんです」
「薬師さんが来てくれたら、すぐお薬作れるようにって……」
隣の付き添い女性が涙ぐむ。
……アウェッラーナさんがいてくれれば……いや、ダメだ。今頃はネーニア島でご家族の船を探しているだろう。
もしかすると、再会を果たせたかもしれない。
今は市民病院の薬師たちは亡く、内乱時代に出会った薬師や王国時代の者に到っては、安否もわからなかった。
「……骨折は全て癒しました。後はこの……サフロールさんの体力次第なので、なるべく滋養のあるスープなどを飲ませてあげて下さい」
仮に抗生物質のアンプルや点滴バッグが届いても、呪医であるセプテントリオーには注射ができない。
顔を上げ、気を取り直して二番目に重い患者の治療にあたった。
四人目を癒す頃、ピーヌスが自力で歩ける患者を連れて戻った。衝立の向うの声から察するに、診察室から溢れて外にも行列が伸びているらしい。
呪医セプテントリオーは、目の前の患者に集中し、無心で癒しの呪文を唱え続けた。
「ここは材木置き場だけど、その内また家が建つんですよ」
呪医セプテントリオーは、パテンス市建設業組合のボランティアの説明をぼんやり聞き流した。
パテンス市の市会議員が手配し、昼食は軽傷の患者と共に診療所近くの空き地で食べている。【魔除け】の呪符を貼った杭と縄で囲まれた敷地に丸太が積んであった。
呪医と針子が、アミトスチグマの難民キャンプ東端の第十五診療所に着いたのは、確か午前九時頃だ。三時間ばかりで重傷者十名と自力で歩ける中程度から軽傷の患者を癒し続けた。
材木に手を挟まれたなど、命に別条のない患者でも骨折が多い。強い魔力を必要とする【骨繕う糸】を唱え続け、うっかり口を開けば呪文が飛び出しそうだ。
市会議員が用意してくれたのは、揚げ物が挟まったサンドイッチだった。野菜と白身魚の二種類で、飽きずにさっぱり食べられるように味の異なるソースで工夫してある。
「おや、呪医、お口に合いませんでしたか?」
「いえ……少し疲れてぼーっとしていました。まさか、こんなに骨折の患者さんが多いとは……」
市会議員が、丸太に腰掛けた患者たちを見回し、小声で労いを口にする。
「お疲れ様です。後は命に別条ない患者さんばかりですから、明日にでも出直してもらいましょうか?」
「折角、傷を押して診療所に来られたんですし、【魔力の水晶】がひとつあれば、それで魔力をお借りして治療を続けられるんですけど……」
「承知致しました。それでは後程、お持ちしましょう」
「恐れ入ります」
呪医が感謝に頭を下げると、市会議員は両手を振ってにこやかに言った。
「いえいえ、こちらこそ、ありがとうございます。もしかするとこの中から、この地が気に入って根を下ろす方がいらっしゃるかも知れませんからね」
市会議員の言葉が何となく引っ掛かったが、今は何も考えたくない。
先に食べ終えたサロートカが、お茶をちびちび飲みながら患者たちを見回して呟く。
「みんな、どっか破れてるんですね。糸、足りるかな?」
「寄付には限りがありますからね。最優先は食糧と医薬品、住居と魔獣や魔物への備え……命に別状ない服は、後回しにされがちで……」
市会議員が恥ずかしげに頭を掻く。
「私は力なき民だから、魔法の服を元通りにはできないんで、穴やほつれを塞ぐだけでおしまいなんですけど……これから寒くなったら、命に別条あるんじゃないんですか?」
呪医セプテントリオーは、サロートカの一言で凍死の可能性を思い出した。
ネーニア島の沿岸部で比較的温暖なゼルノー市でも、毎年、冬になると軽い霜焼けから重度の凍傷まで患者が発生する。
アミトスチグマ政府がネモラリス難民の受け入れを表明したのは、三月に入ってからだ。難民キャンプは、一カ月後に初めての冬を迎える。
内陸部のここは、昼夜の寒暖差が大きいだろう。魔法の防寒具がないなら、毛布や通常の冬服、燃料が大量に必要だが、その備えはどうなっているのか。
術で身を守れるセプテントリオーには、どんな備えがどれだけ必要なのか見当もつかなかった。
☆アミトスチグマ政府がネモラリス難民の受け入れを表明したのは、三月に入ってからだ……「229.待つ身の辛さ」参照




