738.前線の診療所
アミトスチグマの難民キャンプは、冬の都からバスで数時間、南の森林を拓いて作られていた。
クーデター後、首都クレーヴェルや近郊の都市など、ネモラリス島から逃れて来る者が増え、木材の伐り出しと住宅の建設はますます活発だ。
本格的に寒くなる前に何とかしなければ、冬を越えられないとの焦りが、難民と支援者の表情を険しくしていた。
「難民の受け容れ当初は、我々……キャンプに一番近いパテンス市の組合と、ネモラリスの組合が建ててたんですけどね、すぐ追いつかなくなって、難民の方々に【巣懸ける懸巣】や【穿つ啄木鳥】学派の術を指導しまして……」
「成程……つまり、不慣れな方が作業中に怪我をされるのですね?」
呪医セプテントリオーが先回りすると、案内役の地元議員と建設業組合員は重々しく頷いた。
「何せ、【霊性の鳩】学派の【重力遮断】は引越しの時に便利なので、主婦の方もよくご存知ですからね。手伝って下さるのはありがたいんですが……」
「材木を運ぶ途中で術が切れて、足を傷める方が多いのですね?」
「そうなんですよ。切れる前に掛け直すのが間に合えばいいんですけど、慣れない内はなかなか……」
パテンス市建設業組合のボランティアが我が意を得たりと頷いて、木の香が清々しい丸木小屋の間を歩いてゆく。市会議員が、額の汗をハンカチで拭って呪医に耳打ちした。
「伐採中、倒れてきた木の下敷きになったり、魔物や魔獣に襲われたりなんかも、多いんですよ」
呪医セプテントリオーは、踏み固めただけの土の道を歩きながら無言で頷いた。【魔除け】の敷石も石碑もない。難民キャンプは日々新たな住宅が建ち、森と隔てる塀すらなかった。
建設業組合のボランティアが、呪医の視線に気付いて言う。
「住宅は勿論、個別に護りの術を掛けていますよ」
「力なき民の人も、大丈夫なんですか?」
呪医の隣を歩く針子のサロートカが聞くと、ボランティアは言葉に詰まった。
パテンス市の市会議員がやさしい声で言い繕う。
「心配かい? でも、なるべく力ある民と相部屋になるように手配しているし、できる限り呪符を支給しているからね。今のところ、キャンプの中で魔物に襲われたと言う話は、耳にしていないよ」
「じゃあ、大丈夫なんですね?」
「キミの故郷……ゼルノー市だったかな? あそこも、力なき民だけの世帯はあったろう?」
「はい……ウチもそうでしたけど……」
サロートカが口籠って俯く。
呪医セプテントリオーは、針子の少女が口を滑らせないよう、助け船を出した。
「しかし、ゼルノー市は防壁で守られていましたし、市内の主な道路には【魔除け】の石碑や敷石が設置されていましたからね」
「その分、自警団の方々が頑張っておいでですよ」
市会議員はその件についてこれ以上、言って欲しくなさそうだ。呪医セプテントリオーは話題を戻した。
「診療所は、まだ遠いのですか?」
「もう少しですよ」
洗濯や皿洗いをする井戸端を通り、木の台に食べられる野草を並べて干す傍らを過ぎ、ちょっとした畑を横目に歩いて、やっと難民キャンプの診療所に着いた。
周囲の丸木小屋より一回り大きく、力ある言葉を刻んだ低い土塀に囲まれている。
「ここは弱ってる人ばかりですから、一般の住宅よりも護りを固めてあるんですよ」
「恐れ入ります」
組合員の先導で敷地に足を踏み入れる。
庭には様々な薬草が植わった鉢やプランターが並び、地面からはお茶になる香草が足の踏み場もないくらい生い茂っていた。
「薬草は、市民の寄付と、目利きできる難民の方が、森から移植したものです。生憎、この第十五診療所には薬師さんがいらっしゃいませんので、収穫物は他の所で加工していただいておりますが」
「まぁなんせ、キャンプは毎日、東へ拡大しておりますのでね。井戸ができた所に診療所を作って、それから周りに家を建てているのですよ」
市会議員と組合のボランティアが、プランターの隙間を縫って南側へ回る。井戸端で三人の男女が大量のシーツを洗っていた。どうやら、先程の西門は勝手口らしい。
「みんな、【青き片翼】の呪医が来て下さったよ」
パテンス市の市会議員が声を掛けると、水が生き物のように動いてシーツを塀に掛け、プランターに散った。三人が来客に瞳を輝かせて駆け寄る。
「初めまして!」
「ありがとうございます」
「住み込みで来て下さるんですか?」
三人同時に言われ、呪医セプテントリオーよりも針子のサロートカがたじろぐ。呪医は自分の背に隠れた針子に微笑んでみせ、ボランティアたちに答えた。
「初めまして。ゼルノー市立中央市民病院の外科部呪医、セプテントリオーと申します。当面は通いの予定ですが、みなさんは……?」
「遠路遙々、恐れ入ります。パテンス神殿信徒会のピーヌスと申します。こちらは息子のコーヌスです」
「セプテントリオー呪医、来て下さってありがとうございます。俺たち、すぐそこのパテンス市から通って、患者さんのお世話を手伝ってるんです」
年配の男性と青年は目元がよく似ていた。
「信徒会のティリアです。お医者さんたち、人数が少ないから巡回もなかなか順番が来ないし、お薬も足りないし、えっと……ありがとうございます。すごく助かります!」
最後に挨拶した女性は青年と同年代くらいで、三人とも湖の民だ。
「こちらこそ、よろしくお願いします。先程、ここが十五番目の診療所だとお伺いしましたが……」
「ここが一番新しくて森に近いんで、怪我人が多いんです」
「ベッドも足りなくて、動ける人は応急処置だけして、後はお医者さんが来られるまで、自宅療養で頑張ってもらってるんです」
若い二人が窮状を訴える傍らで、年配のピーヌスがサロートカに誰何の視線を送る。針子の少女は、支援者が用意した小振りのお針箱を掲げて自己紹介した。
「お怪我された方の服の繕いをしに来ました。……あ、私、サロートカです。まだ針子見習いで、イチから服を作るのはムリなんですけど、繕いならいっぱいさせてもらったんで、大丈夫です」
「サロートカさんもゼルノー市の方から来て、今は私と同じお宅でお世話になっています」
呪医が言い添える。
ティリアが明るい声でサロートカを迎えた。
「お針子さんなんですか! 助かります。私たちだけじゃ手が足りないし、裁縫道具とか糸とか、ちっとも足りないし、みなさんは遠慮して何もおっしゃらないし……」
「そうなんですか? でも、アンケートには服が破れても、着替えがないから破れたまま着てるって……それで、取敢えず私が寄越されて、来月、支援者の方が集めた古着とかが来る予定だって言われたんですけど」
針子のサロートカが首を傾げると、ボランティアの三人は顔を曇らせた。市会議員が気の毒そうな声を出す。
「みなさん、普段は遠慮して言えないからこそ、アンケートには細々とした困り事を書かれたのでしょう」
「……さ、呪医、お針子さんも、中へどうぞ」
ピーヌスが若い二人にシーツの洗濯を任せ、来客を促した。
診療所に入ってすぐは診察室で、衝立だけで病室と隔てられていた。診察室と言っても、簡素な寝台ひとつと丸椅子が数脚、それに水瓶と手桶があるだけだ。木製の棚はからっぽで、包帯すらなかった。
「子供が悪さするといけないんで、薬やなんかは、お医者さん方が行く先々へ持ち歩くようになってます」
「そうですか……私は【青き片翼】なので水さえあれば、ある程度なんとかなります。……病気は治せませんが」
「あぁ、いえ、そんな……ここはまだ怪我人しか居ませんし、文句言っちゃ罰が当たりますよ」
ピーヌスの反応に難民キャンプの窮状を察し、呪医セプテントリオーは目を伏せた。
市会議員が恐る恐る申し出る。
「セプテントリオー呪医、通いと言うことは、巡回をお願いしても……?」
「えぇ、そのつもりで来ました。一日一カ所ずつ回るのがよろしいですか? それとも、一カ所に数日留まった方が?」
呪医セプテントリオーが応じると、何かを恐れるような顔で見守っていたピーヌスが、診療所を飛び出した。
「家に居る怪我人、呼んできます!」
声が揺れながら遠ざかる。組合員が下に楔を挟んで扉を固定した。
☆【霊性の鳩】学派の【重力遮断】は引越しの時に便利……「147.霊性の鳩の本」参照
☆キミの故郷……ゼルノー市だったかな?/サロートカさんもゼルノー市の方から来て……「605.祈りのことば」参照 「消防署の方から来ました」と言う消火器の押し売りのような説明。




