737.キャンプの噂
薬師アウェッラーナは、久し振りの夕焼けの下、集会所へ急いだ。
どうにか段ボールと寝場所を確保して、炊き出しの列に並ぶ。
「おや、新入りかい?」
「はい。明日の朝には他所へ行きますけど……」
長机で隣に座った老婆が、スープを食べながら話し掛けてきた。
「あんた、行くアテあんのかい。羨ましいねぇ」
「いえ、身内の船がネーニア島の王国領に避難してるかもしれないんで、探しに行くんです」
「何だい。気の毒なコじゃないか。あんた、どっから逃げてきたの? これお食べ」
老婆が上着のポケットから緑青飴を出して、強引にアウェッラーナの手に握らせる。飴は人肌に温まっていた。
「……ありがとうございます。ゼルノー市から避難して、首都に居たんですけど、クーデターで……お婆さんはどちらから来られたんですか?」
「あたしらは、ガルデーニヤから逃げてきたんだよ」
「そんな遠くから……」
周囲の数人が、スープを啜りながら頷く。
「あの辺も、空襲で酷くやられたんだよ」
「そうらしいですね。ラジオのニュースで聞きました」
「ガルデーニヤは立入制限がないからね、他所へ逃げた人が戻ったり、他所の人が逃げてきたりしてんだけどさ」
老婆の向かいに座るおばさんが口を挟んだ。身内なのか、老婆と雰囲気が似ている。緑髪のおばさんは、魚の小骨を器の端にくっつけて、溜め息混じりに言った。
「あそこは人が荒れちまっていけないよ。あたしらホラ、湖の民だから、一目で魔力があるってわかるだろ?」
「……えぇ」
同族のアウェッラーナが訝りながら頷くと、おばさんは白髪混じりの緑頭を掻いて老婆を見た。
「年寄りなんか生かしといてもしょうがないから、【涙】にしちまえって、ホントに焼いた奴が居るんだよ」
「えぇッ?」
「お巡りも役人連中も見て見ぬフリさ。……防壁の術を支える魔力が欲しいからなんだろうけどさ」
「そんな……」
薬師アウェッラーナは頭の中が真っ白になった。
老婆の隣で、一足早く食べ終えた若者が興奮気味に話す。
「だから、俺たちは立入制限なんか無視して南へ逃げたんだ」
「南……ザカートトンネルを通って来られたんですか?」
アウェッラーナたちが三月に通った時、北ザカート市は廃墟だった。
ファーキルを思い出し、アミトスチグマでどうしているか気を揉む。
「……確か、今、北ザカート市はネモラリス軍の前線基地に……」
「あぁ、そうさ。防壁はボロボロだったけど、西岸の……港の近くの南北道はキレイに直してあって、その周りの瓦礫も片付けてて、プレハブが何戸か建ってて、岸壁だって、軍艦が居るとこ修理してあったんだ」
「兵隊さん、なんにもおっしゃらなかったんですか?」
ここに居るからには、捕えられなかったのだろうが、気になった。
「別に。アーテル軍が来ても守ってやれないから、逃げるんならさっさと行けって言われただけだ」
「そうなんですか。ここまで来るの大変だったでしょう?」
「まぁな。でも、ウチは呪符屋だからな。道中、食うとこも泊まるとこも困らなかったし、まだマシな方さ」
言われてみれば、老婆の家族らしき者たちはみんな【編む葦切】学派の徽章を提げていた。
「でも、この先どうするか決めらんねぇ。最初は難民キャンプに行くつもりで来たんだけどな」
「船便がなくなったんですか?」
アウェッラーナが聞くと、呪符屋の一家は何とも言えない表情で顔を見合わせた。
スープを食べ終えたおばさんが、隣のおじさんと食器を重ねながら周りに視線を走らせる。
この神殿に身を寄せる難民は、大半が湖の民だ。集会所の手前半分で食事をする人々も、奥の段ボールで仕切られた区画で休む人々も、誰ひとりとして食卓の会話に注意を向ける者はない。
赤ん坊が弱々しく泣き、何人かが奥へ目を向ける。乳呑児を抱いた若い女性があやしながら出て行った。
「まぁ、噂で聞いただけだから、話半分で聞いてくれ」
このおじさんも職人一家の一員らしい。潜めた声が物音に紛れ、アウェッラーナは長机に身を乗り出した。
「アミトスチグマの政府は、難民を開拓民にしようとしてるらしい」
「開拓民……ですか?」
「あの国は広いが、八割方、人が住んでねぇ森だ。難民に森を拓かせて、人の領域を増やそうとしてんじゃねぇかって噂んなってんだ」
アウェッラーナは少し考えて、彼らが難民キャンプ行きを渋る理由をみつけた。
「定住を強制されて、ネモラリスに帰らせてもらえなくなるんですか?」
「まぁ、噂だけどな」
おじさんが言うと、家族揃ってイヤそうに頷いた。
青年が、空いた食器を脇にどけてアウェッラーナの方へ身を乗り出す。二人の間に挟まれた老婆が邪魔そうにするのも気にせず、小声で捲し立てた。
「俺が聞いた話じゃ、俺らやあんたみたいな職人や何かは特に【制約】で【跳躍】を禁止されるとかなんとか……」
「えぇッ?」
驚くアウェッラーナにおばさんも言う。
「あたしが小耳に挟んだのは、力なき民でも職人は帰らせてもらえないとか……」
「それで、親切な人がこっそり【跳躍】で連れて帰ってくれるんだ」
おじさんも、家族と額を寄せ合うように身を乗り出して囁いた。
……そんな甘い話ってあるの?
何となく、詐欺や人身売買の胡散臭さを感じ、薬師アウェッラーナは疑問を口にした。
「連れて帰る……その親切な人が、一人で、どこにでも……ですか?」
「いや、流石にそれは無理じゃない? だから、まず、【霊性の鳩】しか使えない人たちを安全なとこに連れてってくれるんだってさ」
「場所を覚えて一回キャンプに戻って、アミトスチグマの役人に内緒で、帰りたいって人らをそこに運んでるそうだ」
夫婦らしきおじさんとおばさんに小声で捲し立てられ、アウェッラーナは話について行けなくなってきた。
頭の中で整理して口に出す。
「色んな人が居れば、行き先も色々……ん? でも、そんなまどろっこしいことしなくても、職人じゃない人たちが直接、ネモラリス領に連れて帰ってくれれば……」
青年が苦笑して、アウェッラーナを遮った。
「アミトスチグマの役人も馬鹿じゃない。職人じゃない人たちにもネモラリス領への【跳躍】は禁止してるってよ。だから、一旦、近くの外国に跳んで、そこから帰りたいとこへ船か何かで行くのさ」
「近くの外国……じゃあ、ネーニア島のラクリマリス領に跳ぶってことですか?」
「場所までは聞いてないけど、多分、そうなんだろうな」
アウェッラーナはスープを食べながら話を整理して、どうにか飲み込んだ。老婆も食事を終え、おばさんが一家の食器を重ねて言う。
「まぁ、だから、全く帰る手立てがないワケじゃなさそうなんだけど、もうちょっと様子を見てからにしようと思ってね」
「教えて下さってありがとうございます」
「あんたも、身内と会った後どうするか、行き先はよぉく考えて決めなよ」
おばさんもアウェッラーナと同じ胡散臭さを感じているのか、苦い顔で息子を見ながら食器を持って立つ。
夫婦が食器を洗いに行くのを見送り、青年がアウェッラーナに囁く。
「役に立つ話だと思ったんなら、情報料おくれよ」
「またお前は!」
青年が手を差し出すと、老婆がぴしゃりと叩いた。
「あ、いえ、参考になりましたから……香草茶しか持ってないんですけど、いいですか?」
「いいのかい?」
老婆と青年が同時に目を丸くする。
「お婆さんに緑青飴いただきましたし。少しですけど……」
足下の荷物からビニール袋を出し、淹れ方を説明して青年に渡す。口を括った袋は子猫くらいの大きさで、青年の両手にすっぽり収まった。
……この人たちがここでお茶を淹れたら、他の人たちの気持ちも落ち着くものね。私はまた、その辺で採ってくればいいんだし。
人々の苛立ちが和らげば、泣く赤子に批難がましい目を向けることもなくなるだろう。青年が打って変わって丁重に礼を言い、老婆を支えて立ち上がった。
翌朝、薬師アウェッラーナは朝食後すぐ、エランティスの見舞いをして港へ向かった。
☆あそこは人が荒れちまって……「304.都市部の荒廃」参照
☆三月に通った時、北ザカート市は廃墟……「196.森を駆ける道」~「199.嘘と本当の話」参照
☆ファーキルを思い出し、アミトスチグマでどうしているか……「699.交換する情報」参照
☆北ザカート市はネモラリス軍の前線基地……「274.失われた兵器」「309.生贄と無人機」参照




