735.王都の施療院
三人は、王都ラクリマリス近くの丘――以前、運び屋フィアールカが、ランテルナ島のカルダフストヴォー市から【跳躍】で運んでくれた場所に立っていた。
高い空を鱗雲が埋め尽くす。
薬師アウェッラーナは力が抜け、秋草が茂る草地に膝をついた。
「大丈夫ですか?」
「すみません。大丈夫です」
レノ店長に笑顔を向けたつもりだが、上手く笑えただろうか。草の間に散らばった【魔力の水晶】を拾い集めて小袋に戻す。魔力を出し切り、輝きを失った【水晶】は身震いする程、冷たかった。
コートのポケットから薬師の証である【思考する梟】の徽章を取り出し、首に掛ける。少し目眩のような感覚は残るが、本来の自分を取り戻せた気がして、足に力を入れた。
荷物の重さに現実感が戻る。
エランティスが兄の背から、網の目のように水路が巡る王都を見下ろし、ぽつりと言った。
「折角、お船に乗ったのにね」
「そうだな。でも、また、ネモラリスに戻れるから」
エランティスは何も言わず、兄にぎゅっとしがみついた。
王都は以前と変わりなく平和だ。
荷をたっぷり積んだ行商の船が行き交い、人々は陸の道から声を掛けて新鮮な野菜や果物を買う。
「お兄ちゃん、戻る時、果物いっぱい買って行こうよ」
「そうだな。地下室に居る間、ずっと缶詰と堅パンだったもんなぁ。カボチャとか日持ちする野菜も買おう」
「足が治ったら、頑張っていっぱい持つからね」
薬師アウェッラーナは兄妹の会話に胸が詰まり、何も言えなくなった。せめて、西神殿へ向かう歩みを速くしたいが、二人分の荷物に押さえつけられて思うように進めない。もどかしさと申し訳なさに視線が下がった。
……すぐに繋げてもらえればいいんだけど。
三人は、大通りから外れた安い食堂でお昼を済ませ、のんびりしないで店を出た。
西神殿に着いてすぐ、顔見知りになった神官をみつけられた。
薬師アウェッラーナは、湖の女神パニセア・ユニ・フローラが繋げてくれた水の縁に感謝して、満員の渡し船を見送る神官に声を掛けた。
「こんにちは。お久し振りです」
神官が手を振るのをやめ、驚いた顔で振り向いた。
「どうされました? ニプトラさんから、クレーヴェルに渡ったとお伺いしたのですが……」
「その節はありがとうございました。お陰さまでクレーヴェルには行けたんですけど、クーデターが起きて……」
「まさか、戦闘に巻き込まれたのですか?」
神官の顔色が変わった。エランティスの足に気付いて祈りの詞を呟く。
アウェッラーナは慌てて言った。
「他のみんなは大丈夫です。私の魔力じゃ二人しか【跳躍】できなくて、後でフィアールカさんにお願いして合流する予定なんです」
「そうでしたか。喜ばしい状況ではありませんが、とにかく命が助かったことは何よりです。さぁ、こちらへ」
神官がレノ店長の荷物を持って、施療院へ促した。
「すみません。フィアールカさんは今、どちらに……」
「王都にはいらっしゃらないようですが……私からご連絡差し上げましょうか?」
……インターネットって、本人がどこに居るかわからなくても連絡できるのね。
「お願いします」
薬師アウェッラーナは便利さにホッとして、心からの笑顔で礼を言った。
神官がレノ店長と並んで歩きながら説明する。
「患者さんは、治るまで施療院に入院します。身内の方でしたらお二人までは、付き添いで病室に泊まれますよ」
「えっと、じゃあアウェッラーナさんは……」
振り向いたレノ店長が眉を曇らせた。
病室は、ゼルノー市の神殿より広いらしいが、湖の民では、大地の色の髪をした女の子の身内のフリはできない。
「フィアールカさんの知り合いの宿は、洒落になんないくらい高いですよね」
「どこか近くで安い宿を探しますよ」
「残念ながら、今は難しいですよ」
「えっ?」
薬師アウェッラーナが思わず立ち止まると、神官は振り向いて首を振った。
「避難して来られた方々に神殿の集会場などを解放していますが、全く足りないのです。財産を持ち出せた方や、こちらでお仕事をみつけられた方々は、宿にお泊りですが……」
「あッ……安い方から先にお部屋が埋まって……」
「その通りです」
薬師アウェッラーナは、運び屋フィアールカに言われたことを思い出した。
……えっ? じゃあ、私一人であんなお城みたいなとこに泊まるの?
気詰まりな上、とんでもない無駄遣いに思えた。だが、今はとにかくエランティスの治療が先だ。薬師アウェッラーナが歩きだすと、レノ店長と神官も施療院へ急いだ。
緑髪がなびく神官の後ろ姿から、呪医セプテントリオーを連想し、彼の話を思い出した。
「あ、あの、私……治療が終わるのを待つ間、ネーニア島の王国領に身内の船を探しに行きます」
「えっ?」
レノ店長とエランティスが同時に驚いた顔を向けた。
「私がここに残っても、できることがありません。この間、セプテントリオー呪医が東岸のノージ市からグロム市まで【跳躍】を繰り返して移動したっておっしゃってて……」
「そこに、アウェッラーナさんのおうちの人が?」
「いえ、同じ漁協の人が居た所と居なかった所、呪医が立ち寄らなかった所を教えていただいたんです」
「あ、じゃあ、ゼルノー市の漁師さんが居る港町に行けば、手掛かりがみつかるかもしれないんですね」
パン屋の兄妹の顔が明るくなり、薬師アウェッラーナも少し心が軽くなった。
神官が歩きながら付け足す。
「アミトスチグマ行きの船を待つので、王都は人が多いんですよ」
「難民キャンプに行く船って、今も出てるんですね」
レノ店長に頷いて続ける。
「はい。都民の方がクーデターから逃れて来られて、ネーニア島の王国領も一時期、宿が塞がっていましたが、何割かは難民キャンプに行かれたそうなので……」
「今は手頃な宿が空いているかも知れないんですね?」
アウェッラーナが聞くと、神官は前を向いたまま自信なさそうに言葉を濁した。
「私は直接、現地を見ておりませんので、必ずとは言えませんが、巡礼の方々のお話では、多少は……まぁ……」
「いえ、教えて下さってありがとうございます」
薬師アウェラーナは神官の気遣いが嬉しかった。
施療院は西神殿の奥まった所――裏の通用門付近にあり、高い塀で他から隔てられていた。流行病の患者から一般の参拝者に感染を拡大させない措置だ。
「右手の建物に【青き片翼】学派の神官が居ます。受付でおっしゃって下されば、担当の者がご案内します」
「ありがとうございます。……ティス、よかったな」
「うん!」
エランティスが兄の背で微笑むと、神官も表情を緩める。改めて運び屋フィアールカへの伝言を頼み、三人は施療院の門をくぐった。
神殿の施療院は、壁や天井に「ひとつの花」の紋章がある以外、市民病院やアガート病院の外来窓口や待合室とそう変わらなかった。待合のベンチには、ポツポツ空きがある。
神官に荷物を返してもらったレノ店長が、エランティスをおんぶし直して受付に声を掛けた。
「あのー……初めまして。妹の足を、治してもらいたいんですけど……」
「はい。こんにちは。足をどうされました?」
レノ店長が歯を食いしばり、エランティスの目に涙が滲む。薬師アウェッラーナが代わりに説明した。
「首都で爆発に巻き込まれて、あ……足首が……」
声が詰まり、続きが言えない。
受付が他の者に言って看護師を連れて来させた。
看護師は、三人を待合のベンチに座らせ、エランティスにやさしく声を掛けた。
「痛かったよね。でも、もうすぐ治してもらえるから、待っててね」
クリップボードのペンを外し、レノ店長に聞く。
「怪我をしたのはいつですか?」
「えっと……二週間くらい? いや、もっと? 地下室に避難してたんで、日にちがちょっとよくわかんないんですけど……多分そのくらいです」
声はやや震えているが、思いの他、しっかりした口調だ。
「この応急処置が、どんなものだったかわかりますか?」
「あ、それは私が濃縮傷薬と【薬即】で、止血だけ……」
薬師アウェッラーナの説明を問診票に書き込み、看護師は声を潜めて質問した。
「この先の部分は、お持ちですか?」
レノ店長が頷いて自分の鞄を軽く叩いた。薬師アウェッラーナは手の甲で涙を拭って言い添える。
「お肉屋さんが【防腐】とかを……」
「その方は【弔う禿鷲】の術者ですか?」
「はい」
アウェッラーナが頷くと、看護師は薬師の肩をポンと叩いた。
「大変な状況で、あなたもよく頑張ってくれましたね。あなたの的確な処置で、この子は命に別条ありません」
労いの言葉で涙の種類が変わり、溢れて止まない。気持ちが言葉にならず、薬師アウェッラーナはただただ何度も頷いた。
「今は、命に別条ありませんから、順番にお待ちください。その間に必要事項の記入をお願いしますね」
看護師はレノ店長から患者の呼称を聞いて、問診票の一枚目に書き込んで外した。クリップボードとペンを渡され、レノ店長が困った顔で看護師を見る。
「……住所……住むとこ、なくなっちゃったんですけど……」
「身分証に書いてある住所と、今の状況を簡単に書いて下されば結構ですよ」
看護師はエランティスに番号札を握らせると、足早に廊下の奥へ消えた。
☆お船に乗った……「573.乗船券の確認」「574.みんなで歌う」参照
☆運び屋フィアールカに言われたこと……「534.女神のご加護」参照
☆あんなお城みたいなとこ……「535.元神官の事情」参照
☆彼の話……「699.交換する情報」参照
☆お肉屋さんが【防腐】とか……「718.肉屋のお仕事」参照




