734.野原での別れ
なんとかバレずに解放されたが、門を出るまで気を抜けない。道路を北側に渡り、検問中の車の脇を気もそぞろに通過した。
「アウェッラーナさん、大丈夫ですか?」
レノ店長に気遣われ、弱々しく首を振った。
「ごめんなさい。少し、休ませて下さい」
……こんなに動揺するなんて……情けない。
地元民のドージェヴィクが丘のひとつを指差す。
「じゃあ、あの丘を回り込んだとこに丁度いい空き地があるんで、そっちでお茶でも」
「そうだな。荷物はそこまで持ってこう」
肉屋がエランティスの涙を指で拭って西門を出た。
首都クレーヴェルから西のレーチカ市に続く道は、ゼルノー市のどの道路よりも立派だ。
歩道には守りの呪文を刻んだ石材が敷かれ、車道も両脇と中央分離帯に同じ物がある。要所要所に【魔除け】の石碑も建っていた。
……そっか。ここは山から遠いから、レサルーブ古道みたいに強力な護りは掛けられないのね。
アウェッラーナは歩く内にだんだん落ち着いてきた。先に検問を終えた徒歩の一団が、ずっと先に小さく見える。
検問を終えた車が一台また一台、すり減ったアスファルトをレーチカ市へ走る。首都クレーヴェルに入るのは救援物資のトラックやタンクローリー、漁協や農協の軽トラだ。
のろのろ動く業務用車両と、門を出た途端に速度を上げる自家用車。アウェッラーナの目には、四車線を埋める車のどちらも悲しく映った。
一行は、振り返らずに農村に続く二車線の枝道に入った。北から来る者はなく、九人は狭い歩道を一列になって歩く。
道を逸れてちょっとした丘の陰に回った。
何事もなければ、ピクニックによさそうな野原だ。秋の草花が何種類も咲き乱れ、早い物は実を付けていた。
北を向くと遠目に畑が広がり、家の塊の向こうに森とウーガリ山脈が影絵のように見える。一歩進む度にバッタが飛び出した。
「よし、じゃあ、ここでちょっと休んで行こう」
ドージェヴィクが、リュックサックを下ろしてどっかり座る。
みんなも草地に腰を下ろしてホッと息を吐いたが、ピナティフィダは小さな実を付けた香草を摘み始めた。アマナとエランティスが頷き合って、すぐに手伝う。
レノ店長が、自分の荷物からマグカップとビニール袋を数枚出した。クルィーロが、女の子たちから香草の束を受け取り、術で水抜きする。その水分で一杯分だけ香草茶を淹れた。
清々しい香りが広がり、アウェッラーナは、自分で思う以上に緊張していたと気付かされた。強張っていた顎が動くようになり、礼の言葉を呟く。
「ほぉ~……こいつが香草茶の葉っぱなのか」
肉屋が目を丸くして手近の草を一本手折る。アウェッラーナは首を横に振った。
「よく似ていますが、香草はこちらですね」
本物を折り取って肉屋の物と並べる。
「どう違うんだ?」
「葉の形は似てますけど、幅が違いますし、葉の付く位置も、こっちは一枚ずつ茎を螺旋状に上ってゆきますが、これは二枚ずつ交互です」
「ほぉ~……」
「叔父さん、間違って毒の草、採っちゃあぶないから、素人が俄か知識で薬草摘みなんてするもんじゃないよ」
「それもそうだ。助手の嬢ちゃんたちゃ、ちっこいのに優秀なんだな」
肉屋がニカッと笑うと、女の子たちは照れ笑いを浮かべて礼を言った。
レノ店長が、水抜きの済んだ香草を袋に詰めて、肉屋と雑貨屋に差し出す。
「どうぞ」
「おっ? いいのかい?」
「俺たちは真冬以外、いつでも手に入れられますから」
「そうかい。じゃ、遠慮なく」
「こんなにたくさん……ありがとう」
二人は一袋ずつ押し戴くようにして受け取り、肉屋は雑貨屋のリュックに自分の分を押し込んだ。
「俺が剥き身で持って帰っちゃ、兵隊に怪しまれるからな。農家でもらったフリしといてくれ」
「わかったよ」
二人の遣り取りに、みんなの表情が消えた。アウェッラーナは思わず振り返ったが、西門は丘に遮られて見えない。
風が香気を吹き散らす。
女の子たちは薬草摘みを再開し、レノ店長も加わった。クルィーロの父もアマナに教えてもらって虫綿と薬草の赤い実を集める。
「そんなのも、薬になんのかい?」
「えぇ。咳止めと熱冷ましの素材なんです」
「へぇー、そいつぁいいコト聞いた」
肉屋と雑貨屋が野原を見回す。
傷薬になる薬草の赤い実と、濃い緑の茎に付く白い虫綿は、秋の野原でよく目立った。
「寒くなると虫が綿を作って、中で冬を越すんです。収穫は初夏から今くらいまでがギリギリですね」
「そうかい。詳しく教えてくれてありがとよ」
薬師として素材の説明をする内に、アウェッラーナは胸のつかえが取れてきた。
クルィーロが水抜きを終え、薬草の袋をアウェッラーナに渡す。みんなは一袋ずつ、香草茶を荷物に仕舞った。
肉屋と雑貨屋が立ち上がる。
「もう、大丈夫だな?」
「はい。ありがとうございました」
アウェッラーナは、自分とエランティスの荷物を持って立ち上がった。鞄をふたつ、たすき掛けにする。エランティスの毛布がかさばって持ちにくいが、重さはさっきよりも軽く感じた。
レノ店長が、自分の荷物を持って妹をおんぶする。
「ティスちゃん、早く元気になってね」
「うん。ごめんね。先に治してもらって」
「私は大丈夫。片っぽはちゃんと聞こえるから。ティスちゃん、治してもらうの何日も掛かるんでしょ? お兄ちゃん居ないと入院してる間、大変だもん」
アマナが笑顔で手を振る。エランティスは、こぼれそうな涙を堪えて弱々しく微笑み、手を振り返した。
「身内以外も病室に付き添えればいいんですけど……」
アウェッラーナが俯くと、クルィーロが首を振った。
「アウェッラーナさんとアマナとティスちゃんの組合せじゃ、却って大変だからこうしようって、みんなで話し合って決めたんじゃないですか」
「アマナは治ったら、行き場がなくなります。こちらに連れてきてもらわなければなりませんが、ここから最寄りの村まで、女性と子供二人きりでは……」
クルィーロの父が辺りを見回すと、肉屋と雑貨屋も頷いた。例の超高級ホテルにアマナを泊まるのは、本人と父が嫌がった。
ピナティフィダが、兄の背で涙を拭う妹に声を掛ける。
「そうそう。その間、ティスが病室で一人になっちゃうし。ねぇ?」
「私は後でも平気だから、ティスちゃん、早く元気になって帰って来てね」
アマナがエランティスの背を軽く叩いて励ます。
エランティスは幻影肢が痛む筈だが、ここ数日はみんなを心配させまいと、泣くのを堪えるようになっていた。
アウェッラーナはポケットの小袋から【魔力の水晶】を出し、七個を左手で握った。右手をレノ店長と繋ぐ。
「長い間、ありがとうございました」
「クルィーロ、おじさん、ドージェヴィクさん、ピナをお願いします」
「わかった」
「レノ君も気を付けて」
「ティスちゃん、治療、頑張ってね」
「うん」
無事に再会できる保証はないが、いつまでもこうしているワケにはゆかない。アウェッラーナは【魔力の水晶】を握る手に力を籠め、一言一言確めるようにゆっくり呪文を唱えた。
「鵬程を越え、此地から彼地へ駆ける。
大逵を手繰り、折り重ね、一足に跳ぶ。この身を其処に」
名残を惜しむ間もなく、風景が一変した。




