733.検問所の部隊
「あ、あの……ホントにこんなたくさん、いいんですか?」
レノ店長が、食卓に積まれた堅パンのパックを前に恐縮する。一人当たり三日分もあった。
「缶詰は重いからな」
「その分、あたしらが缶詰食べるから、遠慮しないでいいんだよ」
肉屋と雑貨屋の配慮がありがたく、あたたかい。みんなは何度も礼を言って荷造りした。雑貨屋の母子と肉屋の一家が、明るい顔で七人を手伝う。
クルィーロの父と雑貨屋の息子が地上の様子を見に行ってから、三日経っていた。ラジオで聞いた限り、状況に大きな変化はないようだが、油断はできない。
「お陰ですっかり元気になりました。私たちの方こそ、このくらいしかお礼できなくてごめんなさい」
そう言った肉屋の娘には、半身麻痺の後遺症が残ってしまった。薬師アウェッラーナは、力及ばなかった申し訳なさに胸が痛み、目を逸らした。
「ちゃんと治せなくて、すみません」
「そんな、謝らないで下さい! 薬師さんがいらっしゃらなかったら、あのまま死んじゃったかもしれないんですよ。あなたは命の恩人なんです! ホントにありがとうございます」
肉屋の娘はアウェッラーナの手を取って何度も礼を口にする。他の四人も異口同音に礼を言ってくれたが、アウェッラーナの罪悪感は消えなかった。
「それに、みなさんもです。香草茶で随分、気持ちが楽になったお陰で、絶望しないで済んだんです」
肉屋の娘婿に言われ、みんなは曖昧な笑みを浮かべた。
この先、彼らの暮らしがどうなるかわからない。香草茶で不安を紛らわせても、困り事自体がどうにかなるワケではないのだ。
娘を呪医に診てもらえる目途は立たず、再び絶望に囚われる日が来るかもしれない。
……それでも、生き残ったからには、生きて行かなくちゃいけないのよね。
雑貨屋と肉屋の生き残りはみんな、長命人種だと言っていた。
いつの日か平和が戻った時、彼らはどんな言葉で、後世の人々にこの戦乱を語るだろう。
「じゃ、俺は商売のついでにみんなを一番近い村まで送ってくよ」
雑貨屋の息子ドージェヴィクが、リュックサックを背負って寝室の扉を開けた。石造りの棚が並ぶ倉庫を抜け、狭い梯子部屋に向かう。
最初に、力ある民のドージェヴィクが梯子を昇った。合言葉で【鍵】を開け、雑貨屋の一階に出る。アウェッラーナたちは、狭い部屋から遙か上の四角い光を見上げて待った。
ややあって、ドージェヴィクが顔を出し、両腕で赤毛を囲んで大きく丸の形を作った。
「ティス、しっかり捕まってろよ」
「うん!」
レノ店長が、おんぶしたエランティスを揺すり上げて姿勢を整え、梯子に取りついた。
「じゃ、お先に」
「お兄ちゃん、頑張って」
ピナティフィダが、どんどん昇る兄に祈りを籠めた声援を送る。レノ店長とエランティスの荷物を持って、肉屋の店主が続く。アウェッラーナたちも荷物の重量に引っ張られないよう、しっかり梯子を掴んで店に上がった。
雑貨屋のおばさんと肉屋の娘夫婦は、地下室に留まって手を振る。
「元気でねー!」
「こちらこそ、色々ありがとうございましたー!」
みんなで短く別れの言葉を交わした。
「さっき、停戦時間が終わったばっかりだ。今の内に行こう」
雑貨屋の息子ドージェヴィクが落とし戸を閉め、念の為に【鍵】を掛けて立ち上がる。店の柱時計は、訪れる客が絶えてからも律儀に時を刻んでいた。
ドージェヴィクがシャッターを上げ、エランティスを背負ったレノ店長を【不可視の盾】で庇いながら歩道に出る。
薬師アウェラーナはコートのポケットに手を入れて中身を確めた。右に【思考する梟】の徽章、左は作用力を補う【魔力の水晶】だ。
魔力は、肉屋の娘夫婦が満たしてくれた。アウェッラーナが試すと片手で七個握れた。これだけあれば、誰かを連れて【跳躍】できるだろう。片手に余る残りはクルィーロの父とピナティフィダに渡してある。
パン屋の兄姉妹は、長い間話し合って、エランティスの付き添いをレノ店長に決めた。妹をおんぶした店長が手を繋げば、アウェッラーナでも同時に二人連れて【跳躍】できる。
半月振りくらいに朝の光を浴びて、アウェッラーナは目を細めた。
爆風で倒れなかった街路樹も、すっかり実を落としている。民家の庭木が赤や黄に色付き、もう十一月なのだと教えてくれた。人通りが少なく、家々は鎧戸を固く閉ざしている。石畳の穴は、アスファルトで仮復旧されていた。
一行は、言葉少なに角を曲がり、首都クレーヴェルの西門商店街に出た。
シャッターや鎧戸が下ろされ、店は一軒も開いていない。
通りのそこかしこで、銃を持った政府軍の兵士が立ち番していた。数人一組で巡回する隊もある。装備を見た限り、魔装兵ではないが、何人かは【飛翔する鷹】や【飛翔する蜂角鷹】学派の徽章を提げていた。
気ばかり急くが、荷物が重くて歩調は上がらず、泥沼を行くようにもどかしい。みんな一言もしゃべらず、西門へ急いだ。
人と車が減った門の手前で、検問する警官隊の顔がわかる位置まで来た。上下の車線に一部隊ずつ配置され、政府軍の部隊も一緒に検問している。
薬師アウェッラーナは動悸が激しくなり、震える足が止まりそうになるのを叱咤して、みんなについて行った。
……大丈夫。バレっこないのよ。
アウェッラーナは、コートのポケットの中で【思考する梟】学派の徽章を握り、胸の奥で別の生き物のように跳ねる心臓を宥めすかして歩いた。
「はーい、みなさん、止まってー」
警官の一人が、穏やかな口調で赤い誘導棒を振り、通せんぼする。反対側の車線では、兵士が軽トラを止めていた。
「どちらまで?」
別の警官が、調査票を挟んだクリップボードを手に質問する。レノ店長は背中にチラリと視線を送って答えた。
「門の外です。友達が【跳躍】で王都に連れてってくれるんです」
視線で示され、アウェッラーナは身を固くして頷いた。
警官が湖の民の少女に聞く。
「キミ一人でみんなを運べるのか?」
「いっいえッ、無理です。ごめんなさい。家族、バラバラになっちゃう……」
緊張と力及ばぬ罪悪感に涙が溢れる。
肉屋が、アウェッラーナと警官の間に入った。
「俺はそこの肉屋だ。この子ら、あんまり気の毒だから、まぁ、せめて門を出るまで荷物持ちくらいしてやろうと思ってな」
「こないだの爆発に巻き込まれて、その子の足……」
雑貨屋のドージェヴィクがエランティスの足を指差した。
兵士がエランティスの頭を撫でて聞く。
「可哀想に。酷い目に遭ったね。痛かったろう」
レノ店長が緊張に引き攣った顔で兵士を見る。エランティスが辛うじて首を縦に振ると、兵士はやさしく微笑んだ。
「でも、治してもらえてよかったね。誰にどうやって治してもらった? 病院じゃないよね?」
「……お薬」
エランティスは、兵士のやさしげな声にポツリと答えた。ピナティフィダが質問を遮って早口で付け足す。
「私たちゼルノー市の市民病院でテロの後、薬師さんにもらったの大事に取っといたんです。父が売り物のパン、病院の人にタダであげたら代わりにくれて……あ、ウチの実家、パン屋なんですけど、空襲で父も店も……」
続きは嗚咽で声にならなかった。
エランティスも泣きだし、レノ店長が絞り出した声は震えていた。
「ありったけ全部使ったけど、傷が塞がっただけで、くっつかなくって、病院は怪我人いっぱいだったし、何とかの蜥蜴の呪医じゃないとダメだって言われて……」
「あぁ、【有翼の蜥蜴】学派だな。術者は少ないが、王都の神殿なら、一人や二人居るだろう」
「兵隊さん、女の子たち泣かさないで下さいよ」
もらい泣きするアマナを抱き寄せ、クルィーロが迷惑がる。兵士たちはクルィーロを見たが、何も言わなかった。
アウェッラーナは、彼らの感情を殺した目に背筋が凍った。
警官が咳払いして質問を続ける。
「で、王都に行くのは誰と誰?」
「俺と妹と友達、三人だけです」
「俺はそこの農家へ。食べ物を分けて欲しいって頼みに行くとこです」
ドージェヴィクが言うと、クルィーロの父が便乗した。
「私たちは三人の帰りを待つ間、農作業の手伝いをさせてもらえないか、頼むつもりです」
「行くアテがある訳ではない、と?」
「えぇ。何せ、ゼルノー市は焼けてしまって、立入制限が掛かってますから」
クルィーロの父が声を落とすと、警官は眉を顰めて吐き捨てた。
「そうだな。ゼルノー市を差し置いて自治区の復興を急いでるからな」
「えぇッ? ホントですかッ?」
クルィーロが驚いてみせ、ピナティフィダも泣き腫らした目を見開いて警官を見詰める。兵士の一人が「なんだ、知らなかったのか」と呟いて簡単に説明した。ファーキルのタブレット端末で見せてもらったニュースと大差ない話だ。
「悔しくないと言えば嘘になりますが、まぁ、開戦理由が自治区民の救済でしたからね。自治区を先に復興させて、アーテルが戦争を続ける理由をなくそうとしているのでしょう」
クルィーロの父が言うと、兵士と警官は仕方ないよなと頷いた。




