732.地上での予定
父とドージェヴィク、レノと薬師アウェッラーナは同じくらいに帰って来た。アマナが父に飛び付き、目を覚ましたエランティスもレノに甘える。
「お肉屋さんのご夫婦、明日には骨折も全部治せそうです」
「そうなんだ。そりゃよかった」
「薬師さん、助手のみなさんも、ホントにありがとね」
雑貨屋の母子は顔を綻ばせ手放しで喜ぶが、クルィーロは複雑だった。
……明日に治って、一日くらい様子を見るだろうから、二、三日中に出て行かなきゃいけないんだよなぁ。
街の様子はどうなのか。
アマナを撫でる父と目が合った。父はベッドの端に腰を降ろしてアマナを座らせると、静かな声で言った。
「お店は閉まっていました。商店街は静かで平穏でしたよ。停戦時間外なので、車の出入りも、人通りも少なかったんですが……」
父の目が薬師アウェッラーナに留まる。
雑貨屋の息子ドージェヴィクが、続きを引き受けた。
「お巡りさんは、出て行く人の中に【巣懸ける懸巣】学派の職人さんが居たら、協力して欲しいって言ってパトカーに乗せてどっか連れてっちゃうんだ」
「えっ?」
みんなの目が、赤毛の青年に集まった。
「東地区の警察署が壊されちゃったから、早く建て直したいんだと思う。それと……」
ドージェヴィクもアウェッラーナを見て気マズそうに口籠った。薬師アウェッラーナが、唇を引き結んで二人を見詰める。
レノが店長として、代わりに聞いた。
「……何があったんですか?」
父とドージェヴィクが顔を見合わせる。どちらが言うか、視線で押し付け合ったらしい。父が難しい顔で頷いて、口を開いた。
「兵隊さんは、呪医か薬師が居れば教えて欲しいと言っていました」
「えっ! それって……」
レノは続きを飲み込んだが、薬師アウェッラーナは一気に青褪めた。
……政府軍側の治療って言うより、癒し手を解放軍に渡さない為に確保したいんだろうな。
呪医も薬師も戦いになくてはならないが、稀少な存在だ。この分では、病院はとっくに機能の大部分を失っているだろう。
星の標の自爆テロや、政府軍と解放軍の戦闘に巻き込まれ、一度に大勢の負傷者が出た。
力なき民の科学の医師や薬剤師も勿論、頼りになるが、彼らでは魔法の治療よりずっと時間が掛かる。しかも、物流が途絶えて医薬品が不足している。付近の電線が切られてしまえば、自家発電だけが頼みの綱になるが、湖上封鎖で燃料は乏しかった。
「それで、病院に行っても怪我人が溢れてたんだね。何もしないよりゃマシだから、釘だけ抜いてもらって、家に連れて帰ったんだけどさ……」
雑貨屋のおばさんが、息子のドージェヴィクと顔を見合わせた。
薬師アウェッラーナが【思考する梟】の徽章を握って俯く。
「まぁ、あれだよ。徽章は外してポケットにでも入れて、【霊性の鳩】しか使えませんって誤魔化すしかないよな」
ドージェヴィクは笑おうとしたようだが、顔が引き攣っただけで上手くいかなかった。
……兵隊さんがそんな子供騙しで誤魔化されるかな?
クルィーロは思ったが口に出さず、アウェッラーナの顔を隠す緑色の髪を見詰めた。
「でも、ずっとここには居られないし、なるようにしかならないのよ」
ピナティフィダのしっかりした声にアウェッラーナが顔を上げた。エランティスが姉の隣でこくこく頷く。
……そうだよな。アマナの耳も、どっかで呪医に治してもらわなきゃいけないし。
「門は目と鼻の先だし、堂々としてれば何とかなりそうですよ。【跳躍】除けの結界から出ちゃえばこっちのもんです」
クルィーロが明るい声で励ますと、アウェッラーナは少し表情を和らげた。
「そうですね。【魔力の水晶】を使って、先にエランティスちゃんだけ王都に連れて行って、フィアールカさんと連絡がついたら、みなさんのこともお願いして……」
エランティスが一人だけ家族と別行動になると言われ、怯えた目で薬師を見た。レノが妹を励ます。
「心細いだろうけど、フィアールカさんが俺たちを迎えに来てくれるまでの辛抱だ」
「すぐ来る?」
「フィアールカさんの都合がついたらすぐだよ。ランテルナ島から王都までだって、一瞬だっただろ?」
「それにホラ、全然知らないとこじゃないし、あのホテルや近くの神殿の人たち、知り合いになれたでしょ?」
ピナティフィダが言うと、エランティスは少し考えるように眉根を寄せ、ぎこちなく頷いた。
「……待ち合わせ、どこでするの? フィアールカさん、ここ知ってるの?」
「ネモラリス島には土地勘がないっておっしゃってました。でも、この間、アゴーニさんと一緒にウーガリ古道の休憩所に行ったので、合流するならそちらになりますね」
薬師アウェッラーナが答えると、エランティスはポツリとこぼした。
「……すごく遠いね」
「でも、魔法ならすぐ会えるよ」
そう言ったレノの声は、自分自身に言い聞かせているように聞こえた。
「それともうひとつ……」
「悪いお知らせ?」
父は、アマナに困ったような苦い笑みを向けて誤魔化すと、表情を消して続けた。
「爆弾テロは同時多発で、会社にも被害が出たらしい」
「ん? 父さん、会社には行かなかったんだ?」
「あぁ。商店街で偶然、同僚と会ってな。社長が、無事だった部屋の物を運ばせて、今日は社宅の引越しなんだそうだ。私たちが出て行った後、大勢が辞めたそうだ」
「……そうなんだ」
クルィーロは辛うじてそれだけ言って妹を見た。
もし、父が仕事を続けていれば、巻き込まれて命を落としていたかもしれない。
アマナもその可能性に気付いたのか、何も言わずに父を抱き締めた。
☆東地区の警察署が壊されちゃった……「690.報道人の使命」参照
☆湖上封鎖で燃料は乏しかった……「606.人影のない港」参照
☆ランテルナ島から王都までだって、一瞬だった……「534.女神のご加護」参照
☆アゴーニさんと一緒にウーガリ古道の休憩所に行った……「700.最終チェック」参照




